第伍章 呪いのレコード

第20話 呪いのレコード


 平日のの昼間。


 数人いたランチのお客さんが帰り、お客様は毎日来る常連の國仲さんだけになった。


 私は國仲さんのグラスにお水を注ぐと、カウンターの横でスプーン磨きを始めた。


 怪異絡みの依頼はあれ以来一件も来ない。


 こうして見ると、ここはあやかしなんて何の関係もない普通のカフェーみたい。


「千代さん千代さん」


 私がカレーを食べている國仲さんをぼうっと見ていると、沖さんが手招きする。


「何でしょうか?」


 駆け寄ると、沖さんは蓄音機からレコードを取り出した。


「今日は暇だし、國仲さん以外のお客さんも来なそうだから、今日はお店に合う音楽を探して貰える?」


「音楽ですか?」


「そう。最近、近所にレコード屋さんが開店したんだよ。それでつい、買いすぎちゃってね」


 沖さんが蓄音機の横の黒い木箱を指さす。

 そこには、今まで見た事がないほど大量のレコードが入っていた。


「わあ、こんなにたくさん!?」


「実はレコードを聞くの、結構好きなんだよね」


「へぇ」


 沖さんったら、相変わらず新しいもの好きだなあ。


 私は蓄音機に近づき、しげしげとレコードを眺めた。


 明治時代に欧米から日本に入ってきたレコードは、今ではすっかり映画とならぶ人々の娯楽として定着している。


 特に、流行歌を歌う歌手は女学生の間でも大人気で、休み時間になるとみんなどの歌手が良いって噂をしたりしているの。


「あ、これ、最近人気の曲だわ」


 見覚えのある題名のレコードを見つけ、さっそく蓄音機にかけてみる。


 男性の甘い歌声が店内にゆったりと響き渡った。


 わあ。うちにも蓄音機はあるけど、お父様はクラシック音楽ばっかりで、ジャズや流行歌はあまり聞かないものだから、なんだか新鮮。


 私が鼻歌を歌いながら音楽を聞き入っていると、急にドアが開いた。


 カランコロン。


「い、いらっしゃいませ!」


 慌ててドアの方へと向かう。


 入ってきたのは、黒いカンカン帽を被り、丸い青眼鏡をかけた洋装の若い男だった。


「お一人様ですか?」


「……はい」


 少し周りを気にするように辺りを見回し、小さな声で返事をする男性。


「お好きなお席へどうぞ」


 私が言うと、男性はコソコソと周りを気にしながら奥の方の席へ腰掛けた。何だか怪しい。変な感じ。


「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」


 私が水を置いて戻ってくると、沖さんが小さく手招きした。


「千代さん、千代さん、あのお客さん、ひよっとして古賀こが余月よげつじゃない!?」


「えっ?」


 私はカンカン帽の男をじっと見つめた。


 古賀余月と言えば、『撫子の唄』という流行り歌を歌った大人気歌手だ。


 雑誌やポスターで見る爽やかな印象とはちょっと違うけど、ひょっとしたらファンの目を気にして変装しているのかも。


「えーっ、凄いです」


「ねっ。まさか、こんな小さなカフェーにそんな有名人が来るだなんて」


 ビックリしている私をよそに、沖さんはゆっくりと古賀さんのテーブルへと近づいた。


「あの、失礼でけど、古賀こが余月よげつさんですよね……?」


 沖さんが尋ねると、古賀さんはゆっくりと青眼鏡を取り、ニヤリと笑った。


「ああ、よく分かったね」


「あー、やっぱり! うちの店にもレコードありますよ!」


 沖さんが笑顔で蓄音機の横からレコードを持ってくる。


「『撫子の唄』、擦り切れるほど聞きましたよ~! あの、できればでいいんですけど、ここにサインと握手を……」


 全く、沖さんったらあんなにはしゃいじゃって。女学生じゃないんだから!


「有名な歌手の方なんですか? じゃあ僕も、握手を……」


 どさくさに紛れて、國仲さんまで握手を求めてくる。


 く、國仲さんまで! 真面目そうな人だと思っていたけど、やっぱり沖さんの血を引いているのね。


 古賀さんは嫌がるでもなく、沖さんと國仲さんと、快く握手をした。


「千代さんはいいの?」


「いえ、私は」


 私は断ろうとしたんだけど、沖さんと國仲さんな背中を押される。


「いいからいいから」

「せっかくだし、こんな機会滅多にないですよ」


 二人に言われ、仕方なく古賀さんと握手をする。


 古賀さんはにこやかに私の手を握ってくれる。


「みんな、応援ありがとよ。ところで――」


 と、そこで古賀さんは急に視線を落とした。


「実は、そのレコードの事でマスターに相談があるんだ。呼んでくれねぇか」


「ん? 店長なら僕だけど、相談って?」


 沖さんが言うと、古賀さんは少しビックリした顔をした。


「あんたがマスターなのか」


「あのっ、沖さんは若いですけど、力はちゃんとしているので」


 私が慌てて付け足すと、古賀さんは少し安心したような顔をして話し始めた。


「そうか。なら話すけど――」


 古賀さんが鞄の中から一枚のレコードを取り出す。


「実はこれ、俺の新作レコードなんだが、これが呪いのレコードだっていう評判が立っていて困ってるんだ」


「呪いのレコード!?」


 私と國仲さんは同時に声を上げた。


 顔を見合わせる私と國仲さんの横で、沖さんは冷静にうなずく。


「ああ、話は聞いているよ。『撫子の唄』の次に出した『哀愁の海』に女の人の声が混じっているらしいとね」


「さすがマスター、話が早い」


「失礼ですけど、呪われてるというのは本当なんですか? 録音中に周りの音が入っただけでは?」


 國仲さんが言うと、古賀さんは少しムッとした顔をする。


「違うよ、録音したのは俺が仲間と建てたばかりの最新式のスタジヲなんだ。山奥にあるし、防音設備もしっかりしているから周りの音なんて入るはずないさ。俺もそのためにかなり投資したしな」


 そう言うと、古賀さんは鞄から一枚のレコードを取り出した。


「これがそのレコードだよ」


「ふむ……」


 沖さんはレコードを取り出すとしげしげと上下左右から見つめた。


「特に何も感じないけど……千代ちゃんはどう?」


「わ、私ですか!?」


 突然、話を振られてビクリとする。


「そうですねぇ……私も何も感じませんけど」


 私はじっとレコードを見つめたけれど、レコードからは何の気配もない。


 だけど――古賀さんの顔をこっそりと盗み見る。

 ほんの少しだけど、古賀さんの体から何か嫌な感じがする。


 この嫌な感じが何なのかは分からないけど、とにかく霊やあやかし関連の何かに違いない。


「ま、とにかくこのレコードを聞いてみようか」


 沖さんが蓄音機にレコードをかける。

 やがて哀愁のある曲とともに澄んだ歌声が聞こえてきた。


「止めて。今のところだ」


 古賀さんが指示を出したので、私は慌ててレコードを止めた。


「ああ、今のね」

「聞こえた聞こえた」


 沖さんと國仲さんがうんうんとうなずく。

 だけど私には特に普通の歌にしか聞こえなかったような……。


 うーん。


 女の人の声なんて入ってたかな……。


「……あの、すみません、もう一度いいですか?」


 恐る恐る手を挙げると、古賀さんが少しムッとしたような顔をした。


「仕方ない、もう一度だよ」


 沖さんが再びレコードに針を落とす。

 すると――。


「あゝ美しや“こっちへ来て”波の光」


 あれ? 今、「こっちへ来て」って女の人の声が聞こえた?


 背筋がゾワゾワと寒くなる。

 あ……これは、間違いない。


 この世の者じゃない声だ。

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