第肆章 懐中時計の怪

第17話 新たな依頼

「ありがとうございましたー」


 新聞を読みながらコーヒー一杯で粘っていた常連さんが帰っていく。


「ふう」


 私は店の前を箒で掃除すると、中に戻って新聞の整理を始めた。


 平日の夕方という時間帯のせいもあってか、お客さんは一人もいない。

  

 私が新聞の怪奇事件をぼんやりと探していると、カウンターの中で豆の整理をしていた沖さんが立ち上がった。


「それじゃあ僕は奥の倉庫で豆の補充をしているから、少しの間お店を頼んでいい?」


「はい、分かりました」


 一人になるのは少し不安だけど、お客さんもあんまり来ないからいいかな。


 そんなふうに高を括っていたんだけど、沖さんがいなくなってから少しして、小さくベルの音が鳴った。


 カランコロン。


「いらっしゃいませ!」


 慌てて頭を下げる。


 緊張しながら入口のドアを見つめていると、入ってきたのは、若くて背の高い警官さん――國仲さんと、着物を着た品の良さそうなお婆さんだった。


「あれっ、君はこの間の……」


「こ、こんにちは、國仲さん」


 私はぺこりと頭を下げた。


「こんにちは、千代さん。沖さんはいるかな?」


 國仲さんは神妙な顔でキョロキョロと辺りを見回した。


「はい、奥にいるので、呼んできます!」


 私は國仲さんの後ろに立つお婆さんをチラリと見た。


 もしかして、怪異関連の依頼かしら。


 何となくだけどそんな感じがした。


「それでは、こちらにかけてお待ちください」


 私は二人を奥のテーブル席に通すと、沖さんを呼びに行った。


「沖さん、沖さんっ!」



 だけど、沖さんの姿はどこにも見えない。


 おかしいな、倉庫に居るって言ってたのに。他に行くところといえば――。


 あっ。


 私は慌てて店の裏手に向かった。


「沖さーんっ!」


 勝手口からつっかけに履き替え、裏庭に向かう。


 そこには小さな赤い鳥居とほこら、そして狐の像があった。


 沖さんは祠に向かい、頭を下げている。


 ドクンと心臓が鳴る。


 店の裏にあの時の神社があるとは聞いていたけど、実際に来るのは初めて。


 子供の頃の記憶よりずいぶん小さく感じるけど、あの鳥居も狐の像も確かに見覚えがある。懐かしいな。


 私がほんの少しの間、小さい頃の思い出にふけっていると、沖さんがクルリと振り返る。


「千代さん、どうしたの?」


 はっ。いけないいけない!


「沖さん、お客さんが来ていますよ。たぶん、怪異絡みです」


「ああ、今行くよ」


 店長は立ち上がり、スーツのズボンをパンパンと叩くとカフェーへと向かった。


 びっくりした。沖さん、真剣な顔してた。


 あんな真剣な顔の沖さん、初めて見たな。


 ――あそこってもしかして、ただの神社ってだけじゃなくて何かあるのかしら。


 ***


「こんにちは。私が店主の沖です」


 ぺこりと頭を下げた沖さんに、國仲さんがお婆さんを紹介する。


「この間はどうも。こちら、ご依頼人の前澤まえさわさんです」


 お婆さんは小さく頭を下げた。


「前澤と申します。國仲さんに、こちらでおはらいをしていただけると聞いてこちらに伺いました」


 青白い顔の前澤さん。へえ、お祓いの依頼かあ。お祓いってどうやるんだろ。少し楽しみ。


 沖さんはにこやかに対応する。


「ええ、大丈夫ですよ。ちなみにお祓いしたい物というのは何です?」


「それは、これです」


 チャリと金属音がして、何かがテーブルの上に置かれる。


 そこにあったのは、金の鎖が付いた懐中時計だった。


 コチコチと時を刻む時計に、私の目は釘付けになる。


 わあ、素敵。西洋風でおしゃれ!


 ……だけど、言われてみれば確かにこの時計、変な気配がするような気がする。


「ふむ、懐中時計ね」


 沖さんは懐中時計を受け取ると、ひっくり返したり横から見たりして観察しだした。


「この懐中時計がどうかしたんですか?」


 私が尋ねると、お婆さんはゆっくりと話し始めた。


「この時計は私が若い頃に貰ったものなのですが、最近、孫が就職して、スーツに合う時計が欲しいと言うので、お祝いにあげたのです」


 だけど、時計を貰ってからというもの、お孫さんは女の人の幽霊に悩まされるようになったのだという。


「お願いです。この時計のお祓いをしてください」


 前澤さんはガバリと頭を下げた。


 沖さんは渋い顔をして懐中時計を上から下からひっくり返した。


「うん、確かに何かの気配は感じるね。そんなに嫌な感じではないんだけど」


「嫌な感じではないんですか?」


 國仲さんの問いに、沖さんはうなずいた。


「うん、悪霊のたぐいではないね。どちらかと言うと付喪神つくもがみっぽいというか」


 付喪神? 頭の中に、舌をベロンと出した唐傘お化けの姿が思い浮かぶ。


「付喪神って、古い提灯とか傘とか壺とかが妖怪になるものですよね? 懐中時計もなるんですか?」


 私がびっくりして尋ねると、沖さんが教えてくれる。


「うん、一般的には、人に使われた道具は百年経つと魂を宿して付喪神になると言われているね」


 だけど沖さんが言うには、使った持ち主の強い思いがあれば、百年を待たずして付喪神になるという場合もあるのだとか。


「だから今回はそのパターンかもしれないね」


「なるほど」


 時は大正。横浜の開港から五十年以上が経っている。


 今までは、付喪神と言うと昔ながらの古い物がなると思っていたけれど、この先は西洋風の付喪神も増えてくるのかもしれない。


 電話の付喪神とかタイプライターの付喪神とか……なんだか想像つかないけど。

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