第参章 幽霊列車の謎
第13話 喫茶店のお仕事
私たちの新居は、カフェー・ノワアルの隣にある白い洋館だ。
大きな螺旋階段が特徴的で、家具もほとんどが舶来品。
窓には、特注品だろうか、狐の姿を象ったステンドグラスが嵌められている。
純和風の家に育った私には慣れないけれど、それと同時に、新しい生活が始まるんだな、と新鮮な気持ちにもなる。
妻なのだから、早起きして朝ごはんを作らなくては。
私が居間で朝食の準備をしていると、沖さんが起きてきた。
「やあ、おはよう。僕の愛しい人よ」
どこで覚えたのと思うほどキザな物言いに、私は顔を引きつらせる。
「愛しい人って。その手は何ですか!?」
「何って抱擁だけれど? 外国の映画で見たんだ」
何を見て何を覚えてるのよ、この人は。
「日本人はそんなことしません!」
私がドサリと椅子に腰かけると、沖さんはクスリと笑った。
「そうなんだ? 最近の日本人は西洋化しているって聞くから、てっきり抱擁もするのかと」
「しません」
全くもう、映画から何を学んでるんだか。
というか、狐でも映画なんて見るんだ。
「それより、朝ご飯できているんですが、食べます?」
「うん、食べようかな」
と、言ったあとで、沖さんはすまなそうな顔をして頭を下げた。
「ごめんね、お嬢様だから、料理するの大変だったでしょ。今度から使用人を雇うよ」
私はびっくりして答えた。
「いえ、大丈夫です。実家でも料理してましたから」
家では、お継母さまやカヨ子に小間使いのように使われていたので、料理くらいはできる。
私がお味噌汁をお椀によそっていると、沖さんはクスリと笑った。
「何かいいね」
「何がですか?」
「本当に、夫婦になったって感じだ」
沖さんが愛おしそうに目を細める。
私はなんだか恥ずかしくなって目を逸らしてしまった。
「そ、そうでしょうか……」
二人での朝食が終わると、沖さんはいそいそと外套を身にまとい始めた。
「どこへ行くんですか?」
「いや、そろそろカフェーの準備をしようかと思ってね。千代さんは好きなことしてていいよ」
好きなことと言われてもな。
私は恐る恐る手を挙げた。
「あの、もしよければ私にもカフェー・ノワアルのことを手伝わせてください」
沖さんは私の提案にキョトンと目を丸くする。
「なるほど、君がそうしたいって言うのならそうしよう。僕は君の側に居られるならそれで満足だし」
「はい、ありがとうございます」
沖さんは琥珀色の瞳で優しく笑う。
「じゃあ、今度からは、君にカフェーの事を色々と教えてあげなきゃね。手取り足取り……むふふ」
全く。何を考えているやらこの男は。
私たちは、さっそく二人でカフェーへと向かった。
「あ、そうだ。千代さん、こっちにおいで、ここで働きたいのなら、良い物があるよ」
「良い物?」
二人で店の奥へと向かう。
「えーっと、確かこの辺に……あった! 昔、ここにいた女給さんが置いていったんだ」
昔働いていた女給さんなんていたんだ。
そんな事を考えていると、沖さんは引き出しの奥から
「わあっ、これってもしかして、カフェーの制服ですか?」
「うん。これに白のエプロンをつけるんだよ。可愛いでしょ。きっと千代さんに似合うよ」
「はい、ありがとうございます」
私は早速、ルノオルの制服を持ってお店の奥へと向かった。
臙脂色の着物に袖を通し、白いフリルのついた女給さんのエプロン。足元はブーツのままで、頭には沖さんに買って貰った大きなリボン。
わあ、素敵。新聞や雑誌で見た女給さんの制服そのものだあ。
最近、雑誌や新聞でもしょっちゅう女給さんの特集記事が組まれているし、女給さんをテーマにした小説なんかもあって、少し憧れてたんだよね。
「どうでしょうか?」
着替えを済ませ、沖さんに制服を見せる。
沖さんはぱあっと顔を輝かせた。
「わあ、可愛い! やっぱり僕の想像した通りだあ」
再び抱きつこうとした沖さんをグイッと押しのける。
もう、恥ずかしいじゃないの!
「それより、女給さんの仕事について教えてください」
気を取り直して質問をすると、沖さんは急に真面目な顔つきになった。
「そうだね、今みたいにお客さんが居ない時は、メニューやテーブルを拭いたり、あとは掃除とか、ナプキンの補充をしたり、スプーンやフォークを磨いたりかな。あっ、福助の餌も」
沖さんが窓辺に座っている黒猫を指さす。
「なるほど」
お客さんがいない時も、ちゃんとやることがあるんだ。
良かった。暇なお店だと思ってたけど、これなら退屈しないかも。
私は拳を握りしめて気合いを入れた。
よしっ、これからは夫婦ふたりでカフェーのお仕事、頑張ろう!
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