第8話 沖さんがやってきた
結局、両親の気迫に押された私は、逆らえずにそのまま婚約を了承してしまった。
どうしよう。狐に嫁入りだなんて、まるで昔話の世界じゃないの。
「千代姉さんっ」
私が悩んでいると、ニコニコと手を振りながらカヨ子さんがやってくる。
「カヨ子」
カヨ子は大きな瞳をくりくりと見開いて尋ねてくる。
「千代さんったら、一体どうしたの? ため息なんてついちゃって」
どうしたのって言われても、色々あったのよ。話せない事が。
私が言葉に詰まっていると、カヨ子は目を輝かせて話を切り出した。
「あ、そうそう、聞いたわよ。姉さん、結婚を申し込まれたんですって? おめでとう!」
「あ、ありがとう」
私がとりあえず笑顔を作ると、カヨ子は私の顔を不思議そうにのぞきこんだ。
「あら、どうしたの? なんだか浮かない顔ね。あ、もしかしてお相手の方が凄く年上だとか? それとも物凄く豊満な方だとか、あっ、頭が薄いだとか?」
家庭の都合で、四十も五十も年上の人に嫁がねばならなくなったという人の話はたまに聞く。
カヨ子さんも、そういう相手を想像しているのだろう。だけれど、そうじゃないの。そうじゃないんだけど――。
「えっと――」
「だめよ、選り好みしてちゃあ。お姉様はもう悪い評判が立ってしまっているし、選り好みできる立場じゃないんだから」
だって信じてもらえるわけないもの。
求婚してきた相手が、人間じゃないだなんて。
「あら?」
私が下を向いていると、カヨ子が急に窓の外をのぞきこんだ。
「ねえちょっと、家の前に車が停まっているけど、誰かしら? お役人? お父様のお客様かしら?」
「えっ?」
私も慌てて窓の外を見ると、そこには見慣れない新品のフォードが停まっていた。
「しかも持ち主は素敵な紳士じゃない! 誰かしら?」
紳士?
私が目を凝らして運転席を見ると、ドアが開いてスーツと山高帽を身にまとった背の高い青年が出てきた。
――って!
お、お、お、沖さんじゃないの!
サーッと血の気がひく。
「ねぇ、お姉様も見てよ。凄い美丈夫! お父様のお客様かしら?」
バシバシと私の背中を叩くカヨ子。
「えっと……」
私が唖然として黙り込んでいると、お継母様がやってきた。
「千代、来なさい。沖さんが見えてるわよ」
「は、はい」
私が慌てて立ち上がると、カヨ子の顔色が変わった。
「えっ、もしかして、お姉様の婚約者ってあの方なの!?」
「え、ええ」
私が恐る恐る返事をすると、カヨ子はあからさまにむくれた表情になった。
「……ふーん」
お継母様が私の背中を叩く。
「千代の悪い噂を聞いても嫁にしたいと言ってくれた奇特な方よ。くれぐれも粗相をしないでちょうだいね」
「は、はい」
私は力なく返事をして、沖さんの元へと向かった。
私が客間に着くと、沖さんはお茶を飲みながらお父様と楽しそうに談笑していた。
「千代を連れて来したよ」
「こんにちは」
私が頭を下げると、お父様は上機嫌で話し始めた。
「おお、千代。今ちょうど結納の日取りを相談していたところだよ。もうすぐお前も女学校を卒業だし、早いほうが良いだろう。どうだね?」
ゆ、結納!?
もうそんな所まで話が進んでいたの!?
私は色々とついていけない気持ちでいっぱいだったけれど、お父様に逆らえるはずもなく、仕方なくこう答えた。
「そうでしたか。私は沖さんの都合の良い日で構いません」
「ならこの日に」
そんな訳で、あれよあれよという間に私と沖さんの結納の日取りが決まってしまった。
沖さんはにこやかな笑みを浮かべ立ち上がる。
「今日はありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ、千代をよろしく頼む」
頭を下げ合うお父様と沖さん。
私も慌てて頭を下げた。
「よ、よろしくお願いします」
……とはいえ、まだ実感が持てないなあ。
と、帰ろうとした沖さんがクルリと振り返る。
「そうそう、僕、これから買い物に行こうと思っているんです。千代さんも行きませんか?」
「お買い物、ですか?」
私がキョトンとしていると、お父様が私の背中をたたいた。
「おお、それはいい! せっかく夫婦になるのだから、二人きりでゆっくり話をするといい」
私は自分の着物を見つめた。
カヨ子のおさがりの、継ぎ接ぎだらけ服だ。
こんな服で出かけたら沖さんに失礼かもしれない。
「それじゃあ私、着替えてきます」
私は自分の部屋へと向かった。
「お姉様!」
そこへカヨ子がやってきた。
「ああ、カヨ子。ちょうど良かった。今から沖さんとお出かけをすることになってしまったのだけど、洋服を貸して貰えないかしら?」
私が頼むと、カヨ子は鼻をフンと鳴らした。
「姉さんは私と違って地味な顔だから、洋服より着物のほうがいいんじゃないかしら。あの藍の着物で良ければ貸すけど?」
「わあ、ありがとう!」
私はカヨ子から藍色の着物を受け取ると、自室へと向かった。
着てみると、確かに異人さんみたいに目が大きくて華やかなカヨ子と違い、面長で古風な顔立ちの私には着物の方が似合う気がした。
「カヨ子、ありがとう」
着替え終わり、カヨ子にお礼を言おうとするも、部屋の前にカヨ子はいない。
どこに行ったのかしら?
探し回ると、玄関の前でカヨ子さんと沖さんが話していた。
「ねえ、どうしてお姉様を選んだの?」
カヨ子さんの言葉に、思わず柱の影に身を隠す。
私がドギマギしながら聞き耳を立てていると、沖さんが答えた。
「そうですね、たまたま浅草に居るのをお見かけして感じがいいかただと思いまして」
「そうでしたの。……ねえ、私じゃ駄目かしら? 地味で堅物のお姉様より楽しめるわよ?」
カヨ子さんが上目遣いで沖さんにしながれかかる。
えっ、カヨ子さんったら、何言ってるの?
私が物陰からその様子を見ていると、沖さんは笑顔を崩さず言った。
「……悪いけど、君じゃ話にならないよ。千代さんの変わりはいないのでね」
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