第16話 メリッサとアンセント
「兄上!ご無事ですか」
レイナント王子がすかさずアンに駆け寄り安否を確かめている。アンもそれに応え、優しく微笑んでいるように見えた。後退していた人々も私の発言と二人の様子から、もう大丈夫だろうと判断したらしく、ゆっくりと二人の元へ近づいていく。
良かった。これで、アンに呪いが掛かっている誤解は解けたみたい。これで彼を陽の下へ帰すことができる。後は、アンセントが正義の名の下に悪の魔女を殺すだけだ。そうしてアンがこの国の英雄となり、王様になって、好きな人と結ばれて...それでハッピーエンドだ。胸が痛いのは気のせい、、
アンはゆっくりと振り向いてこちらを見上げた。最後は、最後こそは心から笑おう。楽しい日々をありがとう。閉じ込めてごめんなさい。でも、貴方と過ごしたメリィとしての日々もメアリとしての日々もとても幸せだったの。貴方に名前を渡せてよかった。アンには申し訳ないけれど、でも私はこうなった今を後悔なんてしないよ。貴方が生きてる。それで私は満足だから。
ーーーさぁ、アン。私を殺して
アンの手に膨大な魔力が集まりだす。雷を出したレイナント王子の時とは比べ物にならないほどの力に肌が粟立った。眩いほどの黄金の光はアンの握った拳からどんどんと溢れ出てくる。
痛いのはいやだなぁ。出来れば一瞬で終われば嬉しいけれど.....
地面を思い切り蹴ったアンがこちらへと飛んでくる。だから、私はあからさまな結界を張って防御してるように見せた。少しでも抵抗しているように見せないと違和感が出てしまう。だから薄いガラスほどの強度もないただの光のハリボテを。
まぁ、どんな術式かは分からないけれど、あれほどの魔力を消費する魔術であれば、どんなに頑張って本当の結界を貼ったところで防げそうにないけどね。なんてこっそり苦笑いが溢れた。
最後は楽しかったあの森での日々を思いだそう。そうやって現実逃避をしつつ目をそっと閉じて来る衝撃を待ち構えた。
パリンッと目の前で結界が割れる音がした。
身体には浮遊感が襲いどんどんと宙へ浮いていく。痛みはない。あるのは拘束された圧迫感だけ。懐かしい愛しの香りが鼻腔を擽り幸福感で満たされていく。大好きな人から名前を呼ばれた気がして目頭が熱くなった。これが走馬灯というものなのだろうか。
「ーーーッサ」
ああ、紛れもないアンの声。
例え幻聴だとしてもこんなに幸せなことはない。
「メリッサ」
鼓膜を揺らす低い艶やかな声と耳を掠める温かな吐息。ハッとして閉じていた目を開けた。そこには微笑むアンがいた。この拘束感はアンに抱き上げられていたからで、この浮遊感はアンが空に浮いているからで...。
アンの顔を見上げると背後に大きな満月が佇んでいた。
こんなにも月の光は眩しかったんだ...
なんだか、頭がふわふわする。
眠たいような、だけど寝たくないような。
案外死ぬ時って気持ちがいいものなんだなぁ。
「今は誰にも聞かれないから名前で呼ばせてよ、メリッサ」
意識がゆっくりと覚醒していく。
違う、死に際なんかじゃない。まだアンは私を殺していない?
「...どうして」
思っていた以上に声はまともな声を紡いではくれず、掠れた声はとても弱々しい。
「ん?」
「どうして、殺してないの...?あの時、私は確かにアンに呪いを....」
「ふふ、残念、メリッサ。僕にその瞳の力は届かないよ」
「どう..いうこと?」
そう問う私を見下ろしてアンは可愛らしく笑う
「それは、後で教えてあげる」
そして、その笑顔を絶やさないまま続けた
「さて、メリッサ。よくも長い間こんなにも僕を煩わせてくれたね」
何故だろう。恐怖が背を張っていく。笑ってるのに、優しい声なのに、覚悟したはずなのに。今更、本当に今更、怖気付いている。
「ご、ごめんなさい...」
情けなく震える声で許しを乞うことしか出来ない。
歯をカチカチと鳴らす口をなんとか手で押さえて、アンの瞳から目が離せないでいる。
見つめ合ってどれくらいが経っただろう。
痺れを切らしたのか、アンが大きなため息を吐き出した。それに驚いてビクッと肩が大きく上がる。
「ごめんなさい」
無意識にまた謝罪の言葉が零れ落ちた。
気づいてしまった...
自分で命じた殺意だから、アンの本意ではないと思えていたから、私は受け入れることが出来たのだ。だから、私は覚悟を決めた筈だったのに、アンの意思で殺されると知ってこんなにも恐怖を抱いて、悲嘆しているのだ。
「ねぇ、メリッサ」
ポロポロと目尻から情けない雫が落ちていく。私を抱えるアンの手に僅かに力が入った気がした。とうとう、その時がくる。
来る衝撃に備えて目を硬く瞑った。
アンの手に更に力が篭り浮遊感が増していく。
「メリッサ」
そう名前を呼ばれた瞬間に痺れるような熱い吐息が首を掠めていき、湿り気のある柔らかいものが首筋に微かに触れた。
身体はビクッと跳ねて心臓は煩いくらいにドキドキと暴れている。
頬には柔らかいふわふわしたものが触れて少しくすぐったい。
状況を理解するまで数秒。
アンに抱えられながら、さらに抱きしめられる形となり、私の首筋にアンは顔を埋めている。
「ア、アン?」
「好きだよ、メリッサ。メリィとして出会った時からずっと」
「え?」
アンが紡いだ言葉が耳に届いて理解する前に頭の中でほどけていく。今アンは何と言ったか...
「君が好き」
再び届いた言葉はしゃぼん玉のように、触れたら破れてしまいそうなもので、それでも必死に手を伸ばさずにはいられなくて
「うそ....
だって...アンは皇女殿下が好きでしょ?」
「は?」
けれど、私は知っている。触れた瞬間に壊れることも、結局触れることなんて出来ないことも。
「ヴィオラのこと?」
ぎこちなく首を縦に振り肯定をする。
首筋から顔を離したアンはなんだか苦い顔をしていた。
「はぁ...。違うよ。ヴィオラは幼なじみではあるけれど、恋仲ではないし、僕の想い人でもない」
ね、やっぱり壊れて.....
ん?
「ーーーえっ??!?」
「...どうしてそんなに驚くの?」
「え、いや、だって...アン、好きな人がいるって言ってたし、ヴィオラ様はアンの顔の方が好みって...それに、二人で仲睦まじく歩いてるとこ、森でみたこと、あったから...」
恐る恐る見上げれば、物凄く残念そうな顔がこちらに向いていた。私は今この残念そうな顔にどんな表情を返しているのだろう。
「ヴィオラは素直じゃないからそう言ってるだけだ。あの子は本当はレイナントが好きなんだよ。メリッサが僕達を見かけた時もきっとレイナントのことを相談にのってる時だろうね」
「え、じゃあ、あの二人両思いなの?!」
「そうだよ。僕はただの当て馬だ。酷いと思わない?」
「なんか、うん。可哀想」
「...なんでだろう。同情を求めたはずが、余計に傷ついた」
大仰に悲しそうな表情を作ってみせるアンを見てなんだかとても懐かしい気持ちになった。
こんな時にでもアンは平然と私と会話をしてくれる。あの森の時のように。そう思っただけでまた涙が込み上げてきそうだった。
そして一呼吸置いたあと、アンの表情は真剣なものへと変わった。
「僕が好きなのは君だよ。メリッサ。メリィの時からずっと」
なんで.....なんで、なんで。
「じゃあ、なんでアンは私の告白を断ってたの?」
そう聞けばアンはまた大きな溜息を吐いた。
「だから、煩わせてくれたと言ったんだ」
「???」
アンには珍しい、少し怒りを含んだ言い回しに驚いて肩がはねた。
何を言っているのかさっぱりわからないけれど、優しいアンが煩わせたと言ってくるくらいだからよっぽどひどいことをしてしまったのかもしれない。
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