第13話 魔女とアン
「いつから気づいてたの?」
「君が護衛になって少ししてからだよ。話し方を変えても声や言葉の抑揚はメリィそのものだったからね」
「そっか。声も変えておけば良かったな」
「僕は嬉しかったよ。君が来てくれたこともそれに気が付けたことも。ねぇメリィ、あの日会いに行けなくてごめんね」
「ううん。いいの。謝らないといけないのは私の方だから。....ねぇ、アン。ここから出よ?みんな心配してるよ」
アンは静かに首を横へ振った。
「僕はね、もう、戻るつもりはないよ」
「どうして?」
「もう疲れたんだよ。求められるのも、邪魔にされるのも、守られるのも、守れないことも全部、全部もう嫌なんだ」
「アン...」
「だから、ここに全て置いていく。この炎に全て燃やされて、僕はこのままここを出て行く」
「アン」
「誰も僕を傷付けないし、誰も僕のせいで傷付かない。そんな世界でなら僕は自由に生きられると思うんだ」
「アン」
「ねぇ、どうして僕は王族に生まれてきたんだろうね。この国の民の一人として生まれていれば、ただ強さだけを求められ、勝利だけが存在価値になることはなかった。そんなものだけが必要ならば僕やレイナントじゃなくても良かったのに」
「アン」
「ねぇ、メリィ。メリィも一緒に行こうよ。ここから出て二人でさ。世界中を旅して回って自由に生きるんだ。ね、いいと思わない?」
もう名前を呼んでも届かない。目と目が合っているはずなのに彼の瞳は私を映してなんかいないのだ。
だから私は彼の手を取った。彼の優しく冷えた大きな手を両手で包み彼の瞳を見つめた。その瞬間っビクと震えた彼はやっと瞳に私を映してくれる。澄み切った青空を彼は今まで何度陰らせてきたのだろうか。大丈夫。大丈夫だよ。アン。あなたの憂いを私が全部持っていくから。
「アン...私は一緒には行かないよ」
「...どうして?」
「アンはここに残って王様になるの」
「嫌だ」
「アン。王様になったアンはきっともっと素敵だよ」
「嫌だ。もう疲れたんだ。」
「うん。だから、もう戦わなくていいよ。アンは沢山頑張ったんだもん。だから今度は私の番。私が全部持って行くから。アンは幸せになれるよ。私があなたを幸せにするから。だから、王子殿下は王様になって好きな人と共に生きてください」
「...メリィ?」
「アン、私ねーーーー」
『ーーーいいかい、メリッサ。決して誰にもその名を教えてはいけないよ。名はこの世に生まれた者に与えられる最初の呪いだ。名前という呪いで魂を縛り、この世に安定させる。人間の名は、ただそれだけの為のものだが、私たち呪いを扱う魔女は違う。私達の名は己の核だ。もし名を渡してしまえば、その名を渡した者への魔法は制限される。だから、決して誰にも渡してはいけないよ。ただ、、、
ただ唯一にだけお前の名前を教えてあげなさい。それは愛した人でも大切な友人でも、恩人でも誰でもいい。魔女は己の名を渡した者を魔法で傷付けることはできない。たとえ、その人が己を傷つけてきてもだ。だからメリッサ、何があっても傷つけたくないほど大切に思う人が出来たならお前の名前をその人に渡しなさい。そんな人ができることを私は願ってるよ』
目を瞑ればリーナのその言葉を、頭を撫でる温かな手を鮮明に思い出す。リーナ私にも唯一の人が出来たよ。これは一方通行の想いだけれどそれでも私はこの人に名前を渡したい。これ以上この人を傷つけなくないから。
ううん。そんなの建前だ。これは私のわがまま。最後に一度だけでもあなたに私の本当の名前を呼んでほしかった。そんなどこまでも貪欲な魔女の願い。
瞼をゆっくりと上げた。そこにはもう自分を偽るものは何もない。深紅の髪に同じ瞳。これが本当の私だ。
目が合った瞬間にアンは驚愕を表情に浮かべた。けれど、言葉を発することはない。
やっとだ。やっと本当の私があなたの瞳に映った。だから、これが貴方にかける最後の呪いだ。
「やっぱり。
メリィは魔女だったんだね」
表情を緩めてそう言うアンの感情は読めない。けれど、ほらね、やっぱり気付いてた。私が魔女だってこと。だから、私のせいでアンがここに閉じ込められたこともきっともうわかっている。けれど、髪を戻しても瞳を戻してもまだアンは私を責めてこない。そんな貴方だからこんな欲深い魔女に魅入られてしまうのだ。
「うん。
アンに呪いをかけたのは私」
だから、私をどうか恨んで。
人々から怯えられ一人孤独の塔に閉じ込められた王子。愛した人に会うこともできず、知らずのうちに自身を呪った魔女だけが側にいた不運な王子様。
「知ってたよ。分かってた」
「そっか...」
わかっていたのに。その返事を聞いた瞬間にドクンと臆病な心臓が跳ねた。でも視線だけは彼の瞳から離すことはしない。一体あなたは今まで何を考え思ってきたのだろう。そんな考えばかりが思考を埋め尽くそうとするけれど、結局、こうなってしまっては私が彼の為に出来ることなどこれくらいしかないのだ。
「ねぇ、アン。私ね、
本当はメリッサっていうの」
その瞬間どこからともなく不自然な風が二人の間を駆け抜けていった。
言った。ついに言えた。私の名前。これで、もう私は貴方を傷つけることはできない。胸の奥底から温かいモノが込み上げてくる。生まれて初めて自ら告げた私の名前。唯一知っていたリーナはもうこの世にはいない。だからこの世で私の名前を知っているのはアンだけだ。なんだか気持ちがむず痒い。アンが、大好きなアンが私の名前を、本当の私を知っている。心が歓喜に震えていた。
そんなアンはまた何かを告げようと口を開こうとする。それを人差し指で抑えて制した。
そして、瞳を見て語りかける。
「でもね、どうかその名を他人の前では告げないで。私のとっても大切なモノなの。アンだけに渡す特別な名前。だから心にしまっておいて」
彼の唇からそっと指を離しても、その薄く開かれた唇からは音を紡ぐ気配はない。
私は一つ微笑んで一歩後ろへと下がった。二人で話していた間にも刻一刻と離宮は燃え落ちていく。もう時間がない。
これで本当に終わりだ。もう行かなくちゃ。
「さ、アン行こうか」
「...どこに?」
「外だよ。これからアンはね、外に出て皆んなに無事を知らせるの」
「無理だよ。僕は恐れられてる。いきなり外へ出てしまっては皆怯えてしまうよ」
「大丈夫だよ。私が先にでるから。だからアンは後から出てきて。そしてみんなの前で私を
殺して」
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