第12話 女騎士と魔女
そこには穏やかな顔でソファに腰掛け本を読んでいる王子の姿があった。壁一面の本棚に並べられた、たくさんの本達は次々に燃え、音を当てて崩れていく。机も大きなベッドも赤く燃え盛っているのに、まるで王子の周りだけ時が止まったかのように静寂を纏っていた。
炎炎と燃える周りと対称的な彼の姿はあまりにも穏やかで異様だった。何も言葉を発することもなくただ呆然と立ち尽くす私と本を読み続ける彼。
何か、何か言わなくちゃ。
「....王子、外へ出ましょ?」
喉がカラカラに乾いているのは、炎の熱さのせいか、それとも緊張のせいか。
覚悟を決めて扉を開けたのに声は臆病に掠れて音を紡いだ。
そして、彼は本を閉じてゆっくりと顔を上げ、こちらへと向いた。
届いたかも分からないほどの声だったけれど、どうやら王子の耳はそれを拾ってくれたらしい。
アン....。
久しぶりにアンに会えた。
炎の色を反射しオレンジ色のように見える金髪がキラキラでとても綺麗。色が変わってもその美しさは変わらないけれど瞳はーーー
彼の青空が炎を映して紅く染まっていた。
また、染めてしまった。あなたの空を私は...
「初めまして、メアリ」
彼は静かに微笑んだ。けれど、瞳は深く深く闇を映し出している。
それに気づいてしまえば、勢いよくぐちゃぐちゃな感情が溢れ出してくる。込み上げてくるものが目頭と鼻の奥に痛みをもたらし、拳を強く握り下唇を噛んでないと、耐えられなかった。
何を言えばいいんだろう。ずっと考えてきたことがあった筈なのに今頭に残っているのは罪悪感とどうしようもない恋心だけだった。
俯きたいと嘆く意思をなんとか押し殺す。まだ私は俯けない。
彼はソファに読んでいた本を置き、立ち上がってこちらへとゆっくり近づいてくる。あぁ、駄目だ。これ以上近づいては。これ以上近づいてしまえば不甲斐ない覚悟が消えてしまう。
けれど、言葉も出ず、行動もできなかった私のすぐ目の前までとうとう彼がやって来てしまった。久しぶりに近くで感じる彼の気配にどうしたって心が喜んでしまう。彼をこんな場所に閉じ込めておきながら今も尚浮かれる恋心。そんな自身に抱く嫌悪感は底を知らずに胸の黒は染みを広げていった。
僅かなプライドが俯くことを許さず、視線は目の前の彼を見上げるかたちとなった。
「ねぇ、メアリ」
しばらく互いに言葉を発することも無く顔を合わせているだけとなったが、その沈黙を破ったのは王子だった。
「何でしょうか、王子」
平静を装い必死に紡いだ言葉は僅かに震えた。
怯える唇に必死に力を入れていると、王子の口が何か言葉を発しようと開かれる。
王子は何を..何を言うつもりなんだろう....
「君は....「あ、王子!話はとりあえず置いておいて先にここから出ませんか?ここほら!熱いですしー!」
この無様な臆病者。
王子の言葉を遮り背を向けて扉の方へと向いた。
話を聞いて受け入れて全て終わりにしようと決めてきたのに...いざとなると臆病になって王子の言葉を遮った。怖い。こわいよ。
嫌われたくない。アンに嫌われたくないの。
とうとう涙が頬を伝っていく。泣きたくなんかない。最後の最後くらいちゃんとしていたかったのに。
こんな泣き顔を見せたくなくて手で拭おうと腕を上げたその時、右腕が何か大きなものに捕まった。
それが何なのか振り向かなくても分かる。分かるから振り向きたくない。
「ねぇ、君は誰?」
そう問われると共に彼の手が触れ、髪に開放感が訪れた。頭の後ろで一つに纏められていた髪が解かれ背中へと流れ落ちていく。
彼の手によって腰まで流れた髪を一房掬われたことによっていよいよ逃げ出すことができなくなった。
「...」
また...私は逃げようとしていたのか。
出口へ向かって一歩踏み出そうとしていた足を戻した。往生際の悪い。今もなおアンを苦しませているのは私自身だというのに。
これでもう...終わり。
「アン」
背後で、っはと息を呑む音が聞こえた。
私はメリィが呼んでいた彼の名を呼び、自身の髪に掛けていた魔法を解いた。頭頂から毛先にかけてゆっくり金を散らして紅髪へと戻っていく。この髪に戻るのも随分と久しい。
そして背後から齎されていた僅かな髪の拘束感はそれと同時に解かれていた。
紅髪に戻ったからだろうか。どうやら偽物なりにも心は人間に近づこうとしていたらしいことに気がついた。けれど戻った今は魔女である自身を思い出しつつある。
魔女は人間と共には生きてはいけない。私は望んではいけなかったのだ。自身の紅い髪を人房掬い上げた。この色が私が私だと思い知らせてくれる。先程まで荒んでいた心が虚しいほどに凪いだ気がした。
己の髪から手を離しゆっくりと後ろへ振り返った。驚いているだろうか、それとも私を憎しみのこもった瞳で見つめているだろうか。もうどちらでもいいよ。私が貴方にしてあげられることはこれ以外はないのだから。
「ーーーーッ!?」
ど、うして....
振り返って見上げた先には驚くこともなく怒りを滲ませることも無くただただ穏やかに微笑む彼がいた。あたりは赤に染まっているのに、まるであの緑に囲まれて過ごした日々のような穏やかな表情に言葉が詰まってでてこない。
「....アン?」
そう名前を呼ぶことが精一杯で
「やっぱりメリィだったんだね」
なんて言って笑うから私はそんな彼の顔から視線を外すことが出来なくなってしまった。
震える唇を強く噛んだ。じんわりとした痛みと鉄の味が口に広がって、己に喝を入れてくれる。迷うな。止まるな。本当に彼が好きならば彼をここから救い出すのだ。
「気づいていたんだね」
そう言って私は彼に微笑んだ。
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