第7話 メリィの思い出

円の右上に星を左下に月を中央に羅針盤と大地を。

自ら描いた覚えたての術式に手を翳し、指先から魔力を流せば式をなぞるように光が駆け巡った。

胸はドキドキと高鳴って、ワクワクが止まらない。こんな感覚は久しぶりだ。初めてリーナに空飛ぶ魔法を教えてもらった時の感覚に似ている。魔法は使えても魔術はさっぱり分からなかった。今まで知らなかったことを知るのは楽しい。生きている心地がする。今この時から世界が一つ広がったようなそんな気さえしてしまうのだ。

魔力が行き渡ると地面に描いた術式の中央が盛り上がり、浮き出た土はやがて小鳥の姿を象った。


「わぁ、出来たぁ」


土で出来た小鳥を、崩れてしまわないようにそっと掬い上げて、隣の人物へと差し出す。

金色の髪がとても綺麗で青空を瞳に宿した人。初めての友達そしてはじめて魔術を教えてくれた人。


「うん。よく出来てる!教えたらすぐ出来てしまうのだからメリィはほんとうに凄いね」


そう言って微笑んでくれるものだからついつい嬉しくなって頬が緩んでしまう。

こうやって褒めてくれる声が好き。

そう言って微笑む顔が好き。

優しく頭を撫でてくれる手が好き。



「じゅつふ?」

「そう。術符。これを持っておけばわざわざその場で術式を描かなくて済むんだよ。それにこれを描いた人物が予め魔力を注いでおけば、使用者は少しの魔力で術を発動できるんだ。便利でしょ?」



去年、林檎の木の下で出会って以来、ここに来てはアンに魔術や俗世のことを教えてもらうようになった。

普段、王都に住んでいるアンは、こちらの屋敷には数ヶ月に一度訪れているらしい。王都がいったいどこにあるのか分からず、彼に聞いてみればこの森から街を三つほど越えたところだと教えてくれた。だからこうして、過ごせるのはアンがこちらに来ている間だけ。その間だけはこうして林檎の木の下で一緒に過ごしているのだ。

アンがこちらの屋敷に訪れると、鳩を飛ばして手紙でお知らせをしてくれる。だから、朝起たらまず鳩を探すことが日課になってしまった。


そして、今日の朝、窓辺に鳩が来てくれた。見つけた瞬間あまりの嬉しさにベッドの上で飛び跳ねて頭を天井にぶつけてしまったが、これも毎回のことなので気にしない。


アンは暖かい季節にしか来れないらしく、寒い冬はしばらく会えない日々が続いた。一人で過ごす変わらない日々はもう慣れた筈だったのにこんなに寂しく感じるのは何でだろう。そんな気持ちが不思議で堪らなかった。

この気持ちが何か知りたくて冬籠の間に街で買った沢山の本を読むことにした。

友人を得るとこんな気持ちになるのかと、友情物語を読んでみたけれどしっくり来ず、師弟関係の物語を読んでみてもしっくり来ず、家族物語を読んでもリーナを思い出すだけで、この気持ちの答えは見つからなかった。


そして恋愛物語を読んだ時、見つけた。これは恋なんだと。私はアンに恋しているのだと気が付いた。

そんな気持ちを受け入れてからはもっと会いたい気持ちが募ってしまい余計に寂しくなってしまったのだ。



そして、雪も溶け、新緑が芽を出し始めた今日、久しぶりの嬉しい知らせとなった。



「魔術楽しい?」

「うん!とっても楽しい。知らない事を知るのはとても好きだよ」


アンは何時だってやさしい。その温かさが少しリーナに似ていた。姿形はちがうのに不思議だなと思う。けれど、アンにだけ抱くこの特別なとっておきの感情。そばに居るのがこんなに嬉しくて声を聞くだけドキドキする。恋がこんなに楽しいなんて知らなかった。






 この季節もアンがこちらに来るたびに沢山の時間を過ごした。どの時間も穏やかで楽しくて毎回胸がキュッと高鳴る。けれど、お別れの時はいつも寂しくて、いつの間にか一人の時間が退屈で仕方がなくなっていた。


 ーーーけれど、私は現実を知ってしまった。


『アンセントー。どこにいるのかしら?』


ある日アンと二人でいつものように過ごしていると、鈴の鳴るような愛らしい声でアンを呼ぶ声が聞こえた。


『ごめんね、もう行かなきゃ。またね、メリィ』


そう言うアンの声は落ち着いていたのに、帰る足取りはとても早かった。走り去るアンの後ろ姿を呆然と見送った後、今まで味わった事のない焦燥感に駆られた。今の声は誰だったのだろう。なんで、アンは慌てて帰ってしまったんだろう。波のように不安が押し寄せてくる。だから居ても立っても居られず、こっそりと彼の後をつけてしまったのだ。


そして、木の影に隠れて見つめた先に、美しいドレスを纏ったとても綺麗な女性と腕を組んで歩くアンの姿があった。まるで、御伽噺の世界を覗いているようで。

ーーーーかっこいい王子様と美しいお姫様。二人は仲睦まじく過ごしましたとさ。めでたし、めでたし。




自身を見下ろした。いつも着ている白いワンピースに、茶色い靴。裾には草と土がついていた。

この時初めて私は自分の容姿を気にした。なんだか長い夢から覚めた気分だ。住む世界が違うのだと。身の程知らずにも夢を見てしまったのだと気が付いた。アンには好い仲の女性がいたのだ。とても美しいお姫様。そうだ、私は人と関わってはいけないんだった。脇役にさえなれない存在だということを忘れていた。


その日はどうやって帰ったのか覚えていない。ただ次の日はどうしても気分が晴れず、約束していたのに林檎の木へは行かなかった。けれど、会える環境にいるなかで一日、日を置けばどんな心情でも会いたい衝動を抑えるのは難しいらしく、気が付けばいつもの場所へと向かっていた。



木へと辿り着いて辺りを見渡した。

木の周りや、いつも腰掛けている座り心地の良い木の根を見てみてもアンの姿はない。昨日私が約束を破ってしまったから、怒って来ていないのかもしれない。もしかしたら、もう王都へ帰ってしまった可能性もある。段々と肌寒くなってきた季節だ。アンと会えるのもあと少しなのに...こんな事なら昨日会いに来たらよかった。約束を破ったりなんてしなきゃよかった。誰かと約束を交わせる事を...一緒に予定を話し合えることをあんなに喜んだのに、身勝手にその約束を破ってしまったのだ。勝手に現実を知って勝手に落ち込んで、勝手に約束を破った。

俯いて自分の足元を見下ろした。靴の先には今日も土がついていて、膝の上ではいつもの白いワンピースの裾が揺れている。代わり映えしない地味な私。それと対比するように腕を組む美しい二人を鮮明に思い出した。


会えなくて...良かったのかもしれない。



住む世界が違うのだ。本当なら出会うことなんてなかった私たちなのだから。だから、もうこのまま会えなくていいのかもしれない。恋を知れた。楽しくて楽しくて仕方がない時もあれば、モヤモヤしてドロドロして暗い気持ちになったり。本を読んで分かった気でいたけれど、本物の自身の恋は想像以上に重かった。この気持ちは大切にしよう。これはきっと一生に一度の恋だった。




「メーリィィィ」








「ーーーっうわぁ!!!」


突然、頭上から声がしたと思った瞬間、顔を上げれば目の前に逆さまのアンがいた。

鼻が触れ合ってしまうんじゃないかという距離にアンの綺麗な顔がある。びっくりして後ろに飛び退けば、思った以上に足に力が入って相当後ろまで飛んでしまった。


「凄い脚力!さすが、野生児!」

「ア、アン...いつからいたの?」


 心臓がバクバクと暴れ回っている。思考の海から一気に引き上げられて頭が大混乱だ。


「うーん、メリィが来た時にはここにいたかなぁ。全然気がついてくれなかったね。それになんだか暗い顔してるし、何かあった?」


アンは枝に足をかけ、逆さまでぶら下りながら腕を組んで話している。重力に従って下へと流れる髪が光を浴びて輝き、まるで流れ星みたいだなと思う。


「ちょっとぼーっとしてただけだよ。それにアンはいつも気配がないんだもん。わからないよ」


そして視線を少しずつ顔に移していくといつもとは違う頬に気がついて眉を寄せた。


「ーーーねぇ、アン。その頬どうしたの?」


頬には大きなガーゼが貼られていた。自分の事に精一杯で気がつくのが遅れてしまった。他にまだ気が付いていないところはないかとアンの体を見渡してみても顔以外はほとんど衣服で隠れているため分からない。


「いやぁ、ちょっとドジしちゃって...っうわ」



せめてもと思ってアンの組んでいる腕を勝手に解いて手の平と手の甲を確認してみれば、左手に包帯が巻かれていた。


「アン...本当にどうしたの、この怪我...」


一昨日は怪我なんてしてなかったのに。

あの日アンが帰ってしまった後か、私が行かなかった昨日か、はたまた今日の朝か。

もしも、昨日なら私が約束を破らなければアンが怪我する運命にはならなかったのだろうか。


「そんな顔しないで。本当にドジして転けただけなんだよ。それより、手を繋いでくれるのは嬉しいんだけど、そろそろ逆さまになっているのも辛くなってきたから降りてもいいかな?」

「ハッ。ごめん」


慌てて手を離せばアンは軽々と一回転をして地面へと降り立った。慌てて離した手は行き場を失い、己の右手と左手迷子同士仲良く繋いで体の前へと降ろすことにした。

 男女は恋人ではない限り、素手と素手で触れ合うことはほとんどないらしい。そうアンに教えてもらったのにうっかり夢中になって手を握ってしまった。なんだか気恥ずかしくなり、俯いてぎゅっと握った自身の両手を見下ろした。それと同時に仲良さそうに腕を組む二人の姿が脳裏にチラついて胸に小さな棘が刺さる。けれど、今はアンの怪我が気になる。だから、胸の棘を今は無視して再び顔をあげた。


目の前に立つアンを見上げる。やっぱり今日も綺麗でカッコよくてどこまでの御伽噺に出てくる王子様そのもので、だからこそ、その頬のガーゼがあまりにも痛々しく悲しい。


「その傷、深いの?」



 その頬へ手を伸ばしたくなる衝動を抑えるのに必死で思わず声が震える。


「まぁ、それなりにね。生きていればそのうち癒えるから。心配してくれてありがとうメリィ」



そう言って頭を優しく撫でてくれる。

恋人でもない男女が素手で気軽に触れ合う事はないと教えてくれたのはアンなのに、貴方はそうやって私に気軽に触れてくる。私はこんなにも貴方に触れたくなる衝動を抑えているのに。ずるいよ。それでも拒むのなんて到底不可能で、寧ろ嬉しくて受け入れてしまうのだから、やっぱり恋は厄介だ。



「そんなことより、昨日はーーー」


昨日...

そうだ。謝らなきゃ。私が約束を破ってしまったのに。


「ごめんね」

「ごめんなさい」


「「...え?」」




 二人の声は重なり、動揺も重なり、視線も重なってお互いの頭上に、疑問が浮かんだ。

そうしていつもの木の根に腰掛けて話合えば、昨日はアンもここには来れなかったことが分かった。

二人で、良くないけど良かったねーなんて笑い合ってそれからいつものように過ごした。

ひとりの帰り道、今日の楽しかった時間を思い出して考える。アンには仲睦まじい人がいてそれもすごく綺麗な人で...それを知っても、私と過ごしてくれる時間はやっぱり変わらず楽しくて何も変わらない。

本で読んだ告白というものをする日はきっとこない。けれどこの森でいる時だけはアンと私だけの時間だから。それでいい。もうそれだけで十分だと思える。

だから、このモヤモヤに蓋をして明日もアンに会いに行こう。






これが私と彼との日々だった。


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