第5話 女騎士と皇女


「それじゃあ私はこれで失礼しまーす」


はやく帰らないと。

そんなに時間もないし、今日は近道をしようか。果物園の側を通ると近いんだよね。



「あら、メアリちゃん!」

「あら、おばあちゃん!」



 隊長との話し合いも終わり、急いで離宮に戻ろうと近道をしたら、王宮にきてからいつの間にか仲良くなっていた果物管理のおばあちゃんにばったり会った。


「これからアンセント様のところかい?」

「はい!」

「じゃあ、これ持ってお行き。二人で食べな」

「わぁ!ありがとうございます」



粒が大きくて美味しそうな葡萄。王子きっと喜ぶなぁ。


おばあちゃんに別れを告げてまた走り始めたけれど、その後も仲良くなった料理人のお兄さんにお酒とチーズを貰ったり、仲良くなったメイドさんから街で人気の焼き菓子を貰ったりと、嬉しい美味しい道草を沢山食べてしまった。

 王子が魔獣討伐に参加することが決定になってもやもやした気持ちが、みんなのおかげで元気を取り戻し始めたみたい。

けれど、それと同時に日が傾き始め、あたりは夕焼け色に染まり、私は目的を思い出して焦り始めた。


しまったぁぁぁ...急がなくっちゃ。


普段は食事を離宮の入り口までメイドさんに持ってきてもらい、それを私が受け取って王子へとお出ししている。私がいない日は、調理場に予め食糧を用意しておけば、王子が自分で作って食べている。なんとも手間のかからない王子である。

今日は夕食までには戻る予定だった為、食事の支度をお願いしておいた。メイドさんが王子の食事を運んでくるまで時間がない。両手に沢山の優しさを抱えて走る足を速めた。

こんな時魔法でちょちょいと飛べたなら、あっという間に離宮まで辿り着けるのに。

流石にここで使うわけにはいかないしなぁ...

あと少しだし頑張って走るかぁ。


 荷物を抱え直して、さらに走りを速め、もう離宮も目の前だという所で足を止めた。心臓がキュッと締め付けられた感覚に襲われ、鼓動が速くなる。

見慣れた景色の中に異物がいる。扉の前で煌びやかなドレスのスカートを広げ、真っ直ぐのびた銀髪を腰まで流した後ろ姿。側には豪華な馬車。私が好ましく思っていない人物がそこにはいた。

敵前逃亡は嫌だし、そもそもそこは私の大切な職場だ。だから堂々と、寧ろ大きな足音をわざわざ立ててその背中へと向かう。

そのおかげであちらはこちらの存在に当然気が付き振り向いた。今日で見るのは三回目の筈なのに、見慣れる事が出来ないほど圧倒的な美しさを纏った人。桃色の瞳が愛らしくけれども豊満な体付きは女性の妖艶さを放っている。圧倒的な佇まいを見せるその人は私と背丈は変わらない筈なのに、随分と自分が小さく感じた。王宮に来て沢山の感情を知った。劣等感もその一つだった。


「あら、アンセントの騎士さんかしら?ご機嫌よう」

「お目にかかれて、大変光栄でございます。ヴィオラ皇女殿下」


荷物を地面に置き、隊長に教えてもらった貴人への騎士の礼を取り挨拶を交わす。

ヴィオラ皇女殿下。国同士の契約により隣国からやってきた、未来の国王の婚約者だ。つまり、第一王子と第二王子二人にとっての婚約者であり、将来どちらかの妃になる方だ。


「アンセントは元気にしているかしら?」

「はい。お変わりなく健やかにお過ごしです」

「そう、それは良かった」


桃色の瞳が楽しげに揺れる。その色を見て悔しさで歯を食い締めた。

桃色の瞳を持つ彼女は魔女ほどの膨大な魔力を己の器に納めているらしい。それ故に国王は彼女を息子の妃にと望んだ。魔力量は必ずしもではないが遺伝する可能性が高いからだそうだ。

一国を統べる王家としては何としても絶対的な力を生み出したかったのだろう。だから彼女は将来の王の婚約者なのだ。つまり、アンセントが王になれば、この人と結婚することになる。


「中に入ってお話をされますか?」


嫌だ。入って来ないで 。ここは私の楽園なのに...



ーーー自分で提案しておきながら、なんて我儘だろう。私にはそんな権利ないのに。


「いいえ。やめておくわ。石になったら堪らないもの」

「そう...ですか」



握った拳に力が入った。爪が手のひらに突き刺さる感覚はあるのに痛みは不思議と感じない。

自ら願った事が叶ったとはいえ、余計な一言に飛び掛かってしまわないように、己を律すのに必死だったのだ。

自分じゃないだれかの気持ちなんて分からない。けれど、そんな言い方しなくてもいいじゃないか。私は彼の瞳を見ても石にならないことを知っている。けれど、彼女はそのことを知らないから、怯えるのも分かる。分かるけれど、彼を思うのならもっと言葉を選んでほしいのだ。例え本人の聞こえないところでも。




「じゃあ、私はこれで失礼するわね」


その一言にッホっと胸を撫で下ろした。

早く帰ってほしい。そしてもう、来ないでほしい。

馬車へと乗り込む背中を見つめて安堵した。

御者も乗りこみやっと出発すると思ったとき、乗り込んだ馬車の窓が開かれて皇女が顔を覗かせた。



「あぁ、そうだ。出来るだけ早く魔女の呪いを解いてあげてね?こんなところに閉じ込められて可哀想だもの。それにね


ーーーレイナントでも良いけれど、顔はアンセントの方が好みなの。だからはやくここから出て私に会いに来させてね?」



馬車が走り出しその姿が見えなくなるまで礼を取った私は一目散に離宮へと入り、調理場で塩を取った。そして一目散に外へ飛び出し馬車が走り去った方向へ壺ごと思いっきり投げつけた。パリーンと派手な音を立て、割れた壺は無惨に粉々となって塩と一緒に撒かれた。荒れる呼吸が胸を上下に揺らす。頭が熱い、顔が熱い、体が熱い。なんで、なんで、なんで.....



なんで王子はあの人が好きなんだろう。





鼻の奥がツーンと痛くなる。頭に血が上って全身暑いのに、目頭が一番熱くて火傷をしてしまいそうだ。膝に手を当て腰を曲げ自身の足元を見下ろした。





「まあ、見なかった事にしてあげるわ」


そんな呆れた声が耳に届いて急いで顔を上げた。気がつけばいつも料理を運んできてくれるメイド長がすぐ目の前に立っていた。いつもは人の気配に敏感なのに、全く気が付かなかったほど、取り乱していたのだろうか。まだ頭を上げただけで、体を起こしきれていない私の肩をメイド長は優しく叩いた。


「気持ちは分からないでも無いからさ。ほら、今日はメアリの好きなシチューだよ。料理長に頼んで沢山作ってもらったから、いっぱい食べて元気だしな?」


私の背中を撫でながらエントランスまで一緒に入ったメイド長は用意していたワゴンを見つけると術式の描かれたテーブルクロスをエプロンのポケットから取り出した。

それをワゴンの上に広げると、あっという間に本日の夕食が現れる。メイド長の言った通り今日はシチューだ。

美味しそうな匂いが空腹を刺激してくる。もうこうなってしまってはどんな心境であれ鳴る腹は抑えられない。

グーグー鳴るお腹を押さえて泣きべそをかきながらお礼を言うと、メイド長は笑いながらその胸に迎え入れてくれる。


「メアリは良く頑張ってるよ。偉いね。みんなの分まで頑張ってくれてありがとね」


 その温かさに触れるたびに、胸の中で罪悪感という墨が心を染めていく。ごめんなさい。全部私のせいなのに、優しさを受け取ってごめんなさい。


そんな気持ちを隠して、微笑んだ。


メイド長を見送った後、急いで夕食を王子のいる部屋へと運んだ。部屋に近づくにつれて微かな熱気と石鹸の香りが漂ってきた。きっと湯浴みをした後なのだろう。湯の準備でさえ、魔術を使って自分でしてしまうのだから、本当に手間のかからない王子様だ。


そして、いつも通り小さい方の扉をノックする。今日はすこしだけ緊張するのは先ほどの出来事のせいだろう。まだ、心に何か引っかかっている。


「はい」

「お待たせしました。王子、今日はシチューですよ!嬉しいですね」

「メアリ、料理長のシチュー好きだもんね」



 扉が内側から開けられて、いつものようにカウンターへと食事を渡していく。部屋の中まで手は伸ばせないので手前に置いては、王子自身が皿をセッティングしていくという、王子にはあるまじきセルフスタイルだ。でもこればかりはしょうがないのでお願いするしかない。


「ねぇ、メアリ。本格的に机をこっちに持ってきたんだよ。これで会話しながら食事できるね。メアリも廊下に机持ってきて一緒に食べようよ」

「え!私廊下で食べるんですか?!恥ずかしい!」


 そう言いつつ、食事のお誘いにさっきまでの憂鬱な気持ちが少しづつ晴れていく。本当に単純だ。


「誰も見る人いないでしょ?」

「それもそうですね。実はすっごくお腹空いてるんですよー。ありがたく一緒に頂きますね?」


いそいそと机を運んできて壁にくっつけると早速食事を頂く。

料理長の作るシチュー本当に美味しい。パンもサラダも何もかも全部美味しい。美味しいからまた込み上げてくる感情を一緒に飲み込んでしまえる。美味しいのに今日のシチューはいつもより少ししょっぱいかもしれない。



「そういえば、さっき外から大きな音が聞こえたけど大丈夫だった?」


魔獣討伐参加の件を話しつつ食事終え、食器を片付けていると、タイミングを見計らったかのように、王子が尋ねてきた。


なんて言おうか。なんていえば、この話は掘り下げられずに済むだろうか。なんて考えていたのに口から出た言葉は



「王子の好みってほんとに分からないです」

「え?なに?何の話?」


 なんて、八つ当たりで。

ッハとして口を閉じたけれどもう出てしまった言葉は王子に届き、返事まで返ってきてしまった。


「何でも無いです。...ごめんなさい」


最低だ。本当に、自分が嫌になる。


「メアリ?どうしたの?元気ないね?」


 不用意に棘のある言い方をしてしまった私にさえ、王子は優しい言葉をくれる。こんな心の綺麗な人の側に私がいるなんて絶対に許されないのに、望んで、羨んで、絶望して、自己嫌悪に陥って私は勝手に傷ついて傷つけて、本当にどうしようもない。


「ほんと、何でも無いんですよ。今日もご飯美味しかったですね!では、私はこの後、一旦自室戻りますので、何かあれば呼び鈴を鳴らしてください。それでは王子今夜も良い夢を」


 そう言って逃げるようにその場を後にした。ワゴンを押しながら1人ため息を吐く。

今は王子と離れて一人になりたかった。いつもならずっとお側にいたいのに、今は離れたかった。


「ほんと、自分勝手」


自分自身に呆れて笑うしか無い。

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