第4話 女騎士と隊長

「アンセントがまた被害者を出さないとは限らないだろう。もし彼奴が逃げ出すことがあれば、お前はどう責任をとるつもりだ」


豪奢な書斎。部屋の中心には書斎机があり、そこに肘をついてこちらを睨め付けている人物。この国の国王陛下であり、王子の父であり、彼をあの離宮へ閉じ込めた人物だ。彼が腰掛ける椅子の両脇には少し後ろに下がって近衛騎士が控えている。同じ騎士ではあるが、所属部隊が違う上に、ここに来てまだ日が浅い私は面識がある、程度の関係だ。そんな近衛騎士達は先ほどから然程興味のなさそうな目をしている。瞳は全てを物語る。表情を繕うことはできても瞳は繕えない。だから、本当にこの騎士二人はこの話に興味がないのだろう。

すぐに視線を陛下へと戻して先程の言葉を頭の中で繰り返した。

"また"という言葉が引っかかった。

彼自身は一度も被害者を出した事なんかない。優しくて強い人だ。それなのに、彼は今、彼の知らないところで実の父にこんな言い方をされている。その事が非常に腹立たしくてたまらない。

けれど、一番最低なのは私だ。全ての元凶。全部私のせいだ。


「恐れながら陛下。王子殿下は離宮に籠られてからも尚、国の為にと術符を描いておられます。息抜きは必要かと」


 重厚な低音で私を後押ししてくれるのは今日、陛下との謁見を取り付けてくれた人物。レブラント王国騎士団魔術騎士部隊隊長グリード・デニア。私の上司である。

 この部屋に来てからずっと私の後ろで静かに控えていてくれた彼は陛下とは長い付き合いらしい。一緒に居てこれほど心強い人物はいないだろう。


「お前は昔からアンセントに甘いな、グリード」

「殿下は、魔術士として優秀な方でこざいます。彼に魔術をお教えしたことは私にとって最高の誉。殿下の才能は唯一無二でございます。

そんな彼が、このまま閉じ込められ気を病んでしまわないか気がきではないのです。魔術士は心の乱れが術に流暢に現れる。彼の素晴らしい魔術が損なわれてしまえば、それこそ国にとって大きな損失となりましょう。陛下、どうか寛大なご判断を」


恭しく礼をする隊長に倣い頭を下げる。

頭を下げた拍子に、後頭部で結んでいた髪が顔の横にはらりと落ちてきた。金色の髪。彼に似せて魔法で染めてみたけれど、あんなに美しくは輝いていない。何が違うのだろう。ううん。きっと何もかもが違う。光と影。彼とは正反対の場所に私はいる。


「お前がそこまで言うのであればいいだろう。ただし、何もなく外へ連れ出すのは許さん。魔獣討伐に連れて行け。いい加減休み飽きただろう。国の為に働いてもらわなければな」

「なっ!?」


この人は何を言っているの?彼を外に連れて行きたいのは、気晴らしの為だ。なのに、なぜ命の危険が迫る討伐に連れていかなければならない。


「お言葉ですが、陛下ーーーッ隊長...」


 抗議のために身を乗り出そうとした私を隊長の右腕が制した。


抗議の視線を陛下から隊長へと移す私を隊長は一瞥し、陛下へと頭を下げる。


「承知しました」


隊長は王子の魔獣討伐の同行を了承してしまった。





「納得がいきません」


退室し、廊下を隊長と歩く私は大変不機嫌で、足音はいつもより大きくなっている。上司の前でとるべきではないそんな態度も隊長は咎めもせずただ苦笑いを浮かべるだけだ。

隊長はこの王宮で王子以外に一番信頼出来る人だと思っている。

 隊長は入団試験の時も入団してからもずっと私の事を気にかけてくれていた。特に、魔術に関しては基礎しか知らない私に特別講義をしてくれたりと色々便宜を図ってくれている人だ。

 というか、魔術を基礎しか知らない、剣技だってろくに出来ず、暗器の短剣だけ何故か妙に使いこなす怪しい田舎娘をよく第一王子近衛騎士に任命したなと思う。希望を出したとはいえ、第一王子だ。それほどに、王子の近衛騎士希望者がいなかったのかと思うと哀れだよ王子。


「まぁまぁ、落ち着きなさい」


そう言って私の頭をぽんぽんと撫でる隊長を睨め付けてそっぽを向く。別に隊長に怒ってこんな態度をしてる訳じゃない。ただ、頭を撫でて貰うのが、むず痒くて顔を見られたくなかった。もし、お父さんという存在がいたらこんな感じだったのかな?


「落ち着いてなんていられません!王様め〜!!!!!」

「メアリ、気持ちは分かるけどね?廊下で言うのはやめようね?今は防音にしてるから大丈夫だけど、本来は他の人に言っちゃだめだからね?いくら隊長でもダメだからね?」


 苦笑しつつ私を宥める隊長の笑う顔が好きだ。この人はほんとに優しい人だと思う。それに魔女の私でさえ心酔してしまうほどの魔術の腕前を尊敬だってしている。騎士団に来た当初は、田舎者だとバカにされ、女だと馬鹿にされ、魔術を知らないと馬鹿にされ、剣技が出来ないと馬鹿にされた。人間の世界がこんなに醜く苦しいものだと知らなかった。別に好かれたいだなんて思っていないし、そもそも人間と仲良くなる為にここにきた訳じゃない。けれど、やっぱり慣れない人付き合いは疲れるし、嫌な顔をされて心が傷付かない訳じゃない。けれど、隊長の隊に配属されてからはそんな思いをすることも少なくなった。類は友を呼ぶ。まさにその通りで、優しい隊長の周りにはいい人が多かった。


「分かってます。分かってるから優しい隊長に甘えてるんです!」

「はぁ。全く可愛いことを言うね君は。叱りたいのに叱れないじゃないか。どうだい、私の娘にならないかい?」

「お断りします」

「それは、残念」


 隊長はいつもこうやって私を揶揄ってくる。冗談でもそんな甘い寝言は寝てても言わないでほしい。


「さて、アンセントをどう連れて行くかだな」

「どうしても連れて行くんですか?」


嫌だなぁ。魔獣なんて、魔女でも面倒くさくてお会いしたくない相手なのになんで気晴らしに外出したいだけの王子を連れていかなければいけないのか。


「そうだね、陛下の言うことは絶対だ。覆すことはできないよ」

「公爵様でも?」

「公爵様の隊長でも無理だよ。王の命令は絶対だからね」


はぁ...

深く深くため息をついた。

ここに来てから、王族、貴族の世界について学んだ。とてもややこしくて、覚えれなかったけれど、公爵様が貴族の中では1番偉いってことは分かった。そして、公爵様である隊長は、第一王子派筆頭貴族だということも。

隊長を信用している一番の理由はそれだ。たとえ、隊長が優しい人ではなかったとしても、王子の味方でいる人ならば私はその人を信用するし信頼する。

けれど、やっぱり隊長は隊長だったから好きだし、尊敬している。王子以外で出会えた喜びを感じた初めての人だ。

そんな隊長は顎に手を当ててうーんうーんと呻きながら何か考えているようだった。

隊長は忙しい人だ。だからなるべく考え事をしている間は邪魔をしたくないので、黙って静かに隣を歩くことにした。


暫くして、魔術部隊の練習場までもう少しで辿り着くという所で隊長がピタリと足を止めた。それに倣って私も動きを止めて隣に並ぶ隊長を見上げた。そんな私を隊長は見下ろし、小首を傾げるのでその動きも倣って私も一緒に小首を傾げる。


「術式を編んだ解けない目隠しをアンセントにつけるって変?」

「うーん....カッコ良くはないかもですねぇ」

「そうだよねぇ。でもそれしか思い浮かばないんだよね。魔女の呪いがかかったと言われてる眼だからね。討伐に同行する間は隠さないと他の同行者が怖がると思うんだよ。私としては是非見てみたいんだけどねぇ」


その言葉があまりに衝撃的で目を大きく見開いた。


「王子の眼、怖くないんですか?」

「うん。全然。むしろ、魔術の研究者にとって魔女なんて未知で魅力的でしかない。そんな魔女の呪いを受けたと言われている目を見たいと思うのは自然なことでしょ?」


じゃあ、なんで...

なんで、あんなところで王子を独りぼっちにしているのか。顔は見れなくとも話すことだって出来るはずなのに。



「じゃあ...どうして離宮に来て王子と話さないんですか?」 


手の平に爪が食い込むほど力一杯手を握り込んだ。王子は今私しか話し相手がいない。

たしかに、二人っきりの空間は森でいた時のように穏やかで幸せだ。誰にも邪魔されたくないと汚れた欲が顔を出す。

けれど、やっぱり寂しいそうなのだ。

だから、せめて師と仰ぐ隊長くらい王子に声を掛けに来てほしいとも思うのはきっと私の我儘だ。



「行きたいのは山々なんだけどね。今の機を狙って第二王子派が不穏な動きをしていてね」


隊長は眉を下げて困った様に笑い私の頭に手を乗せてゆっくりと撫でていく。


「私は殿下の最後の砦だと自負している。私が隙を見せてはいけないのだよ。だから、今はアンセントには会いにいけない。その時間があるのならば、少しでもアンセントのいない隙を突かれぬように、立ち回ることを優先する、それに.....」



そうか...

愚かで我儘で浅い考えしかできず、幼い発言をしてしまったことを隊長の言葉に気づかされるなんて。そもそも、人付き合いもまともにした事もないくせに意見だけは一丁前で相手の真意を考えようともしない。ほんとに私は未熟だ。

 俯きかけた私に、ふっといつもより柔らかな声が降り注いだ。


「それに、今はアンセントの側にはメアリ、君がいてくれる。どこからともなく現れて、王子を尊敬し、守ってくれる心強い騎士がいる。だから私は安心してその背に大切な未来の王を任せられるんだ」


顔を上げれば隊長は目尻に優しい皺を刻み、穏やかに微笑んでいた。瞳は嘘をつけない。その深い翠色の瞳が優しくまっすぐ私を見つめてくれる。だから、嬉しいはずなのに私の瞳は不安と動揺で揺れた。


「どうして、私をそこまで信じてくれるんですか?」


ずっと気になっていた。

どうしてそこまで優しくしてくれるのだろう。どうしてそこまで信じてくれるの?


「僕は人を見る目があると自負している。たしかに君は突然入団試験に真っさらな履歴書で現れるし、魔術は基礎しか知らないというのに、教えればすぐに習得してしまうし、何故か暗器だけは一流に扱いが上手いし、分からないことだらけだったけど、王子を守りたいという意思はしっかり伝わってきたし、信用に値するとなぜか確信出来た。これで、もし君が第二王子の諜報員ならば、僕はお手上げだ。アンセントに土下座するしかないね」


 隊長は、王子の近衛になりたいと言う私に、その理由を深くは聞いてこなかった。私にとっては好都合な事だったけれど、あまりにあっさりと近衛騎士の希望が通ったものだから...

だから、側仕えを希望する者がいない為やむを得ずこんな新人を採用したのだとばかり思っていた。けれど、隊長は、ちゃんとした自身の意思で私を採用してくれていた。そのことが嬉しい。

 今まで、人目を避けて生きてきた。見つからない様に見られないように、人の意識の中に入ってしまわないように。私のことを誰も知らないのが最善だと言い聞かせてきた。

けれど、アンに出会って人と触れ合う楽しさを思い出してしまった。隊長に褒められて認められて私自身を見てくれる喜びを知ってしまった。

 アンに出会って、ここに来て、沢山の感情を知った。胸にあった空虚がゆっくり温かく埋められていく感覚。

けれど、感じる喜びを私の理性が必死に抑えている。そうだ。思い出せ。お前は自分を満たすためにここに来たんじゃない。

分かってるよ。大丈夫。分かってる。





「諜報員なんてそんな怖そうな者じゃありませんよぉ。

それに小刀が扱えるのは田舎で食糧調達の為に覚えたあと、なんだか楽しくなっちゃって。森で振り回していたら上手になっただけです!」

「そんな少女がいる森は是非とも近づきたくないねぇ」



それから、たわいない話をしつつ歩みを進め、練習場に着いた後、隊長と魔獣討伐の予定を話し合った。

ある程度話が纏まったので、私は急足で離宮に戻る事にした。

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