第3話 魔女の思い出
『いいかい?メリッサよくお聞き。
深紅の瞳は誰にも見られてはいけないよ』
思考が停止して数秒。
それが人の瞳だと気が付いた瞬間、体から一気に冷や汗が噴き出した。
急いで木から飛び降り、宙返りをした瞬間に瞳の色を茶色へと変え、着地と同時に俯いた。正確には瞳に幻影の膜を張ったのだ。そうすれば他者からは、どこにでもある平凡な茶色い瞳に見える。町へ降りる時はいつもこの瞳の色にする為、慣れたものだった。
本当は、よく目立つらしいこの髪の色も変えたかったけれど、今変えれば不審に思われてしまうので諦めるしかない。
顔を上げるのがこわい。もしかしたら瞳を見られてしまったかもしれないのだ。どうしよう。
「だ、誰?」
心臓がバクバクとうるさい。
こんな失敗をした事がなかった。町に降りる時には警戒をしていたし、森の中では滅多に人は来なかった。極稀に迷ってくる人もいるけれど、結界があるし、そもそも人の気配は煩い。嫌でも気がつくのだ。なのに、この人からは何の気配もしなかった。気配も足音も息の音も瞬きする音も服の衣擦れ音も風を切る音も全て、なかった。
未知の存在に僅かな恐怖を抱きつつ下を向いて後退り、相手との距離をとった。まだ顔は見ていない。とにかく距離を詰めてこないように、相手の靴先を見つづけた。
「僕?僕はアンセント。君は?」
平常時に聞けば心地良さそうなその声も、今は焦りを掻き立ててくる。瞳を見られてしまった。深紅の瞳は魔女の証なのに。
『いいかい、メリッサ。決して人間に魔女だと
知られてはいけないよ』
『どうして?こんなに素敵な力を持っているのよ?人に自慢してはいけないの?』
『あぁ。それはいけない事なんだよ』
リーナが教えてくれた。この国の人々にとって魔女は恐怖の対象なのだと。
かつてこの国にいた魔女は迫害され姿を消した。正確には姿を隠した。人は他者の力を恐れる。それが己よりも遥かに大きければ尚のこと。
人間は術式を起点として己の魔力を引き出す魔術を扱う。体力同様一度に使える魔力には限りがあり、個人差が大きかった。
けれど、魔女は違う。魔女は術式など使わなくとも魔法が使える。
そして、決定的に違うこと、恐れの原因である魔力と呪い。
魔女の魔力は限りがない。魔術を扱う人間が魔力の入った器を持っていると例えるのなら、魔女は魔力の泉だ。どこまでも限りなく溢れ出る。
そして”呪い”。魔女は呪いを他者へとかけることができる。それが深紅の瞳の証。魔女は瞳で呪いをかけるのだ。目が合うだけで呪いが掛かるわけじゃない。ちゃんと己の意思を持って呪いをかける。だけど、人間たちはそれを知らない。目が合うだけで呪われたとおもうのだ。だから、魔女はその深紅の瞳を人間に見られてはいけない。
魔女は人間より遥かに強い力を持っている。けれど、数には敵わないのだと、リーナが言っていた。もともと、少なかった魔女だ。だから、ご先祖様は姿を消し、隠れた。リーナや私の様に魔女として隠れて暮らす魔女も居れば、正体を隠して人間として生きる者もいた。けれど、人間になりきった魔女はいつの日か魔法の使い方をわすれ、隠していたはずの瞳は本来の力を失い、その色さえも失ったという。
リーナは言った。
お前がそうしたいのならそうすればいいよ、と。たしかに人々が共に暮らす姿に憧れた。人の営みを見るたびにリーナを失った独りぼっちな私の日々を虚しく思う時もあった。けれど、私は魔法が好きだ。リーナが教えてくれた優しい魔法が、キラキラして綺麗な魔法が大好きだ。だから、私は魔女として生きていくことを選んだ。たとえ将来、お婆ちゃんになって森の奥深くの小さな家で一人寂しく死んでしまおうと私は魔女のまま死んでいきたい。
だから、やっぱり今ここで、バレるわけにはいかないのだ。
「ねぇ、聞こえてる?君は誰?ここで何してたの?」
警戒心のみえないその声に少しの希望を抱いた。魔女は人間にとって恐れの対象だ。
万が一魔女に遭っても目を合わせてはいけないよと、野菜売りのおばちゃんが、幼い子に言い聞かせている場面を町で見た事がある。
だから、もし、私が魔女だと気づいているならすぐに逃げる筈だ。けれど、この人は逃げもせず、警戒心すらない。
バレてない?
少しの希望にかけてみてもいいだろうか。
恐る恐る顔を上げて目の前の人を見上げた。
その瞬間、爽やかな風が二人の間を吹き抜けた。
星が舞ったのかと思った。
揺れる短い金髪は木漏れ日を受けてキラキラと輝いて、瞳は青空のように美しかった。
あぁ、やっぱり晴天に星が瞬いているみたい。綺麗な服に綺麗な顔。身長も高く、すらっと長い手足。幼い時に憧れた御伽噺の王子様みたいだなと思った。
横から吹く爽やかな風が深紅の髪を揺らして視界を邪魔してくる。こんなに綺麗な人初めて見るのに、私の見慣れた紅など、見たくない。
髪を片手で抑えて耳に掛けた。
「君、名前は?聞いてもいい?」
何も喋らずただ、瞳を凝視していた私へその人は微笑み、そう問いかけた。
『いいかい、メリッサ。決して誰にもその名を教えてはいけないよ。名はこの世に生まれた者に与えられる最初の呪いだ。名前という呪いで魂を縛り、この世に安定させる。人間の名は、ただそれだけの為のものだが、私たち呪いを扱う魔女は違う。私達の名は己の核だ。もし名を渡してしまえば、その名を渡した者への魔法は制限される。だから、決して誰にも渡してはいけないよ。ただ、、、』
一度目を閉じてリーナの言葉を思い出した。私の名を人に渡してはいけない。そして、目を開けてもう一度目の前の人を見つめ返した。
「私はメリィ。あなたは...アンセントというの?どうしてここにいるの?」
名乗らず答えず、逃げればよかった。
けれど、少し話してみたくなったのだ。私は自分で気がついていなかっただけで、本当はずっと寂しかったのかもしれない。
「そう、アンセント。ここから先は僕のうちの庭なんだ。この木は僕が植えた木なんだよ。森と庭の境を分かりやすくしておこうと思ってね」
そうやって笑いながら話す綺麗な人の笑顔にだんだん血の気が引いていくのがわかる。
あ〜...やっちゃった。
「ご、ご、ごめんなさい!!知らなくて、つい、その〜...美味しそうで、食べちゃいました!!」
全力で頭を下げて謝罪する。リーナが行ってはいけないって言ってたのはただ単に人のうちのお庭だったからかぁ
頭を下げたまま冷や汗をかく私の頭上でくすくすと笑い声が聞こえてきた。怒られると思っていた私は恐る恐る笑い声の方へと視線を上げ彼の顔を下から覗いた。
「いいよ。大丈夫。気にしないで、それにしてもよくあの枝に登れたね」
「...木登りは得意で」
ぎぎぎと音が出そうなほどぎこちなく体を起こしてポリポリ頭をかきつつ視線を横へと逸らした。幼い頃、夕飯の支度最中に摘み食いをした事がばれて優しく諭された時みたいな、そんなむず痒い気持ちになる。
「そっか。それより
ーーー君の瞳は元々その色?」
その言葉のおかげで一瞬で背筋が凍りついた。見られていた?いや、まだ分からない。大丈夫。
だめだ、焦りを表情に出すんじゃない。笑わなきゃ。表情筋。君なら出来る。余裕そうに笑って。君ならできる!
「...ソウデス」
声が裏返った。
「ふーん。そっか。メリィと呼んでも?」
「ドウゾ」
「じゃあ、メリィ。僕の事もなんでも好きに呼んで?」
彼の言葉で体の力がふっと抜けた。彼の顔を見上げて小首を傾げ、考える。
なんだか、まるで...お友達になるみたいじゃないか。何度も夢みた友達という存在。ずっとリーナ以外に誰かの名を親しく呼んでみたかった。それがこんなタイミングで叶うなんて。
「何でもいいんですか?」
「うん」
「ほんとに何でも?」
「うん。いいよ」
「じゃあーーーアン!アンがいいです」
それが彼との始まりだった。
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