第2話 魔女との思い出
森の奥深くに小さな家がある。
小さな家と小さな畑と井戸。
そこには魔女が住んでいた。
肌は白く、愛らしい顔立ちをした彼女は白いワンピースが良く似合う。
燃えるような深紅の長髪に同じ色の瞳。緑の深い森の中では彼女の色はよく映えた。けれど、それを彼女に教えてあげる人はもういない。
この森は彼女以外誰も住んでいないからだ。
だから、彼女は独りぼっちだった。
昔はリーナという老婆が彼女と一緒に暮らしていた。リーナはまだ幼かった彼女を愛し、魔法を教え、それと同じく魔女として生きる上での大切な掟を教えてくれた。
彼女はそんなリーナが大好きだった。
けれど、リーナは彼女が十二歳の時に死んでしまった。最後は手を握って笑い、そして眠るように死んでいったリーナの顔を彼女はずっと覚えている。
ーーーそれから三年間、私はこの森でずっと独りぼっちだ。寂しくはなかった。毎日小鳥が歌で起こしてくれるし、鹿や兎はよく遊びに来てくれる。悪戯好きのお猿が干していた洗濯物を持って行ってしまうのを追いかけるのも楽しかった。リーナは自分がいなくなっても悲しまないでほしいと言った。だから悲しんだりしない。
ただ...虚しいなと思うことはあった。
月に一度町へ降りて買い物をしている。人と人とが笑い合って共に暮らし、昨日あった事を語り合って明日の予定を話す。そんな人々の営みを見た時、っふと思うのだ。自分は空虚なのだと。
けれど、町におりて暮らそうとは思わなかった。森の家はリーナとの思い出が沢山ある。木漏れ日を浴びながらお昼寝をするのも大好きだし、珍しい薬草を見つけたときは飛び上がるほど嬉しい。だから森での暮らしだって気に入っている。
それに魔女の掟を守るためには、人と暮らすというのは少々不便だ。
だから、町に行くのは薬草を売って生活に必要な物を買う時だけ。
今日も小鳥の歌声で目を覚ました。いつもは一羽で鳴いているのに今日は高い声と少し高い声でハーモニーを奏でている。気になっていつものように窓を開ければ、小鳥はガールフレンドを連れていた。
その微笑ましい光景に寝ぼけ眼を擦りながら頬が緩んだ。
「君には家族が出来たんだね」
いつもあげる木苺を、手のひらに乗せて差し出せば二羽は可愛らしい小さな嘴でそれをつついた。なんともくすぐったいその感覚は何度経験しても慣れる事はなく、さらに今日は二羽分なのだから、もう笑いを堪えることができない。
「あはは。くすぐったいよ。
ねぇ、明日も君たち二羽できてくれる?」
小鳥たちは首を傾げると愛らしくピチチと鳴いた。いつもの日常とは少し違う一日の始まりになんだか胸が躍る。
二羽が去った後、大きく背伸びをして目一杯空気を吸い込んだ。
今日もいい天気で、窓から吹く爽やかな風が気持ちいい。
「何か楽しい事が起こるかも」
顔を洗って、櫛で髪をとき、朝食を食べて歯を磨く。その横では、大きな桶の中でブラシが機嫌良さそうに洗濯物を洗っている。あまりにも動きが大きいのでシャボンの泡があちこちに飛んでしまったけれど指をちょちょいと動かしてタオルを引き寄せ、拭くように指示を出せばあっという間に床はきれいになった。
いつもの白いワンピースに着替えて洗い終わった洗濯物へ、指で指示を出す。
ふわっと浮いた洗濯物は自ら物干し竿へとぶら下がり、あっという間に洗濯が終わった。その間に箒が床を掃き、モップがその後へと続く。布巾が窓をきゅっきゅっと拭いたら今日の掃除は終了だ。家が綺麗になるのは気持ちがいい。洗濯物が揺れる外へと出て大きく背伸びをする。さて、日課を済ませた今日は何をしようか?
「ウッキー」
その時、聞きなれたお猿の声が後ろから聞こえてきた。その声に振り返ってみれば、いつものように軽々と木と木を渡ってこちらへと向かってくる。
「お!来たなぁ!」
いつものようにこちらは臨戦態勢をとる。
今日こそは洗濯物を守ってみせる!!
「....あれ?」
けれど、目の前まで来たお猿は手に持った物を差し出すだけで、悪戯をする気は無いらしい。意気込んだこちらの体勢は見事的外れに終わり少々の気恥ずかしさはあったものの差し出されたそれを素直に受け取った。
「これ...林檎?もう生っている木があるんだね。教えてくれてありがとう!」
お猿は悪戯っ子だけれど、こうやってお知らせに来てくれる森の情報屋さんだ。
今日は、嬉しいお知らせを持ってきてくれただけのようだった。
「ウキャキャッ」
と、思ったらお猿はいきなり洗濯物の方へと走り出した。
「あ!ーーーア"ア"ァァァァーーー!!!」
結局、本日の洗濯は2回となった。許さん、お猿!完敗だ!
洗濯物を荒らすだけ荒らして風のように去っていったお猿から林檎の場所までは教えて貰えなかった。
ということで、今日は林檎の木を探すことにしよう。
折角、変わらない日々とは少し違った一日の始まりだった今日は、いつもと違うことがしたい。普段は行かない森の反対側へ行ってみようか。
そうと決まればさっそく出発だ。勿論お出かけの時だって家の鍵なんてしない。そもそも鍵が無い。ここには誰も来ないし来れないから。家の周りには結界を敷いてある。リーナに教えてもらった魔法で、ある一定の領域を超えると、家周辺の空間を飛ばして反対側に行ってしまう仕組み。故に仮に誰か来たとしても、近づいたら気が付かないうちに家を飛び越してしまうのだ。だから絶対にこの家に人が来ることなんてない。だけど、動物は出入り出来るようにしている。無害だから。
森のさらに奥深くまで進んでいく。といっても家があるのが丁度森の中心部だから、多分この先を進めば森から出るはず。この先には何があるんだろう?町か崖か川か海か...考えれば考えるほどワクワクする。でも
リーナが生きていたら怒られるのかなぁ...
『この方向へは、決して行ってはいけないよ』
リーナが生きていた時に口酸っぱくそう言われていた。けれど、私だって一人前の魔女になったのだ。リーナが行ってはいけないよと言っていたのは、つまり彼女はこの先に何があるのか知っているという事。この先へ行った事があるのだ。だから、私にも行ってみる権利があると思う!いざとなれば、魔法でなんとかすれば良い。なんてったって私はリーナの一番弟子なのだから。
それに、こっちからなんだか林檎の甘い香りがする。
居ても立っても居られず、駆け足で林檎の香りを追いかけた。
そしてたどり着いた先には、
「わぁ!すごい!」
少し開けた場所に一本の大きな林檎の木があった。たわわに実った果実が真っ赤に染まってとても魅力的だ。
木漏れ日が差して幻想的に見える林檎の木にゆっくり近づいた。木にそっと手を添えて上を見上げる。
「君、立派だねぇ」
まだ実の生っていない庭の林檎の木は小さい。何に登らなくても天辺の実まで、とどいてしまうほどだ。
けれどこの木は1番下の枝まで登らないと果実を頂けそうにはない。
「よし!」
一番下の枝とはいっても、まあまあの高さにある。気合を入れて木肌にしがみついた。魔法だったらあっという間に飛んで摘めるのだけれど、木登りは好きだし得意だ。
こんなに背の高い木だって私の技術にかかればあっという間に登れてしまうのだ。
「おっいしぃ〜〜〜」
枝まで登れば真っ赤な林檎が出迎えてくれる。登った枝に腰掛け、早速一つもぎ取って齧じる。甘味と酸味が絶妙な果汁たっぷりの美味しい林檎だ。あまりに美味しいものだから一口一口その味を噛み締めペロリと食べてしまった。残った芯は指を鳴らして小さく小さく砕き、小鳥のご飯にする事にしよう。
「おいで〜」
手を少し前に出せばどこからともなく鳥たちが集まってくる。手に留まって素直に食べる鳥もいれば、肩や頭に乗るだけの鳥もいた。
そして、瞬く間に食べて終わると皆どこかへ飛んでいってしまった。再び一人になり、ふーっと息を吐いて、遠くを見つめた。特に考える事もないし、景色を楽しもうにも、森を出ない限りはどこへ行っても特に代わり映えはしない。
何も考えず何も望まずただぼーっと生きている。それがわたしの生だ。過去もこれからもきっとこんな毎日。
「さ、帰ろっかな」
お持ち帰り用の林檎は流石に魔法を使って採ろうかな。
宙ぶらりんになっていた足に力を入れて枝にかけ、後ろへと倒れ込んだ。コウモリのように逆さまにぶら下がった私の視界には逆さまになった森が映る...はずだったのに、何故かそこには澄んだ青空と瞬く星が広がっていた。
「晴天に星が瞬いてる。へんなの...
ーーーーッ!?」
それが彼との出会いだった。
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