償い

三鹿ショート

償い

 彼女を目にしたとき、私は駆け出していた。

 手を伸ばせば届くほどの距離まで近付いたところで彼女の名前を呼んだが、彼女が振り返ることはなかった。

 その反応によって、私は己が間違っていたことに気が付いた。

 私が捜している人間は、既に彼女ほど若くはないからだ。

 そのように気付いていながらも、私は彼女に声をかけた。

 捜している相手ではないとはいえ、その顔と再会することができたことが嬉しかったためだろう。

 彼女は不審な目を私に向けてきたが、私が別の人間と間違ってしまったと頭を下げると、口元を緩めながら気にすることはないと告げた。

 その笑みもまた、私が捜している人間と同じものに見えた。

 もしかすると、彼女は私が捜している人間の娘なのではないか。

 つまり、彼女を尾行することで、私は自身が捜している人間と再会することができるのではないか。

 そのような期待を胸に、私は彼女の跡を追った。

 やがて集合住宅に辿り着いたが、彼女を迎えた母親らしき女性は、残念ながら私が捜していた人間ではなかった。

 何時になれば、私は罪滅ぼしをしなければならない人間と再会することが出来るのだろうか。

 このままでは、私が生命活動を終了させるまでに再会することは不可能なのではないか。

 謝罪の言葉だけでも口にしたかったのだが、その機会が訪れることは永遠に無いのだろうか。

 そう考えたとき、私は集合住宅の内部に消えていった彼女の姿を思い浮かべた。

 真に捜している人間と再会することが叶わないのならば、その代わりとして、彼女のために動くことで、仮の罪滅ぼしと化すのではないだろうか。

 捜していた人間と似ている彼女と出会ったことは、私が一歩を踏み出す切っ掛けとなるに違いない。

 彼女との出会いは、運命以外の何物でもないのだ。

 私は集合住宅を見ながら頷いた。


***


 恋人に対して、私は彼女のために動くことを正直に説明することにした。

 私が別の女性に対して執心する姿を見て、恋人が誤解してしまうことを避けるためである。

 だが、仮の罪滅ぼしということについては、詳細を省いた。

 そのことを話すということは、私の犯した罪について話すということである。

 そのようなことをしてしまえば、恋人が去ってしまうことは明白だったからだ。

 不誠実な態度ではあるが、私は恋人との関係に終止符を打ちたくはなかったのだ。

 恩人がこの世を去ってしまったために、その娘である彼女に対して、恩人の代わりに恩返しをしたいという偽りの説明をしたところ、我が恋人は訝しむことなく、

「その姿勢は褒めるべきものですが、ほどほどにしてください。あなたにはあなたの生活があるのですから」

 娘ほどに年齢の離れた恋人の落ち着いた態度に、私は感心してしまう。

 恋人に感謝の言葉を口にすると、私は自宅を飛び出した。


***


 それからの私は、彼女のために行動した。

 性質の悪い人間や迷惑な相手に絡まれていた彼女を救っているうちに、彼女は私に心を許してくれるようになった。

 何時しか彼女は、熱を帯びた視線を私に対して向けてくるようになったが、私は同じ過ちを繰り返すつもりはなかったため、その想いに気が付いていない振りをした。

 やがて、彼女は引き越しのために、この土地を離れると私に告げてきた。

 私にも私の生活が存在しているゆえに、彼女を追うことは出来ない。

 つまり、仮の罪滅ぼしは、これで終了ということになる。

 彼女の笑顔を見ることができなくなってしまうということは残念だが、仕方の無いことだった。

 自動車に乗り込んだ彼女とその家族に対して、姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 他者ならば、一度くらいは身体を重ねても構わなかったのではないかと考えることもあったが、私が捜している人間と同じ顔をしているために、完全なる他者だと思うことは不可能だった。

 自宅に戻ると、私は彼女に対して抱いていた劣情を発散するかのように、恋人との時間を愉しんだ。


***


「彼は良い人間でしたから、騙すことには気が引けました」

「それは間違った感覚です。彼は良い人間などではありません。己の欲望に敗北し、実の姉を襲うような獣なのです。あなたに手を出さなかったことは、奇跡といえるでしょう」

「手を出されたところで、私は彼に対して悪感情を抱いていませんでしたから、特段の問題もありませんでしたが」

「ともかく、これにて依頼は終了です。感謝します」

「しかし、あなたも奇妙な人間ですね。わざわざ私の顔をあなたの元々の顔と同じように作り替えた上で、彼と親密になるように頼むとは」

「彼が現在も獣かどうかを確認したかっただけです。それ以上の理由はありません」

「では、あなたは何故、彼と恋人関係を続けているのですか。その口ぶりですと、彼のことを嫌っているようですが」

「嫌っているわけではありません。獣の子どももまた獣であり、私は自身の感情が正しいかどうかを知りたかっただけなのです」

「それで、知ることは出来たのですか」

「快楽の前には、誰もが敗北してしまうということを知りました。私の母親はそのことに耐えることが出来ずに自らの手で生命活動を終了させましたが、どうやら私と彼は異なっているようです」

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償い 三鹿ショート @mijikashort

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