36 死病①

「あれ? この傷、ちゃんと魔法をかけたのに、傷は塞がっても腫れが引いてないね」


 私は膝に手を当てている一人の男の子を見て、小さく首をかしげた。

 周りの子どもたちは、まだ魔法の余韻で興奮していたけれど、その男の子だけは、どこか元気がないように見える。

 

 彼はしきりに、先ほど治療したばかりの膝を気にしていた。

 他の子と談笑していたララもその異変に気付いたのか、こちらの方に寄ってくる。

 

「リュシカ、どうかしたのですか?」

「あ、ララ様……うーん、なんか、まだちょっと痛いなあと思って」


 リュシカはそう答えながら、治療したばかりの膝をさすっている。

 腫れは引いていないようで、触ると彼は少し顔をしかめた。

 

「……この傷は、いつできたものですの?」

「えっと、これは確か、二,三日前に、家の外で転んだ時に出来た傷なんだ」


 リュシカの足元には、彼に寄り添うようにネズミたちが集まっている。

 小さな体を縮め、心配そうに彼の膝を見つめていた。

 

「二,三日前……傷が古いからかしら。それにしても、動かすたびに痛みが戻るのは、少し気になりますわね。他に変わったところはないのですか?」


 ララの問いに、リュシカは少し考え込むような仕草を見せる。

 

「うーん、特には……あ、でも最近、ちょっと体が動かしにくいっていうか……固い感じがする? くらい」


 リュシカはそう言いながら、確かめるように少し身体を揺らす様子を見て、私も少し気になった。

 そう言えば、リュシカの発言には舌が付いてきていないような……ほんの僅かではあるが、そんな違和感があるような気がする。


「動かしづらい、ですの……。まあ、そうですわね。今日はもう遅いですし、少し様子を見てみましょう。リュシカ、私たちは明日もここに来ますから、明日はリュシカも必ず顔を見せに来るのですよ」

「うん、分かったよ」

 

 ララがそう言うと、リュシカも小さく頷いた。そして、リュシカを含めた子どもたちは、それぞれに「また明日ね」と声を掛け合いながら、家路へと着く。

 頭上に浮かぶ疑似太陽がゆっくりと沈み、地下の街に夜が訪れようとしていた。

 

 私たちも、子どもたちが帰ったのを見届けて、公園を後にした。

 地上へとつながる階段を登っていくが、その足取りはいつもより重く感じる。


「……なんだか、少し気になるね」

「ええ。明日、様子が悪化していないといいのですが……」

 

 ララの言葉に私は頷きながら、ふとリュシカの痛む膝と、彼を見守るネズミたちの姿を思い出す。

 徐々に暗くなっていく地下と、寂しい雰囲気に、ほんの少しの嫌な予感が漂うようだった。

 

 ☫ ☫ ☫


 翌日、公園にリュシカの姿はなかった。公園に集まる子どもたちも、今日はリュシカの姿を見ていないと口々に言う。

 胸騒ぎがして、私はララや、他の子どもたちにお願いして、リュシカの家を訪ねてみることにした。


 リュシカの家は、地下に広がる街の中でも、さらに奥まった場所にあった。周囲は似たような住宅がひしめき合っていて、疑似太陽の光もあまり届かず、まだ昼間だというのに、薄暗くてじめっとした空気が漂っている。

 

 リュシカの家のドアをノックしてみると、母親らしき女性が出てきた。

 女性は、見知った子どもたちとララの突然の来訪に驚いた様子だったが、その表情には少し疲れにじんでいる。

 

 「リュシカはいますか?」


 ララがそう尋ねると、女性はため息をつきながら答えた。


「リュシカは昨夜から急に熱を出して、ずっと寝込んでいるんです。今日は起き上がることもできなくて……」


 その言葉を聞いて、嫌な予感がさらに強くなった。

 私はララと目を合わせ、彼女もうなずいているのを確認する。


「お見舞いをさせていただいてもよろしいですか?」とララが尋ねたが、母親は困った顔で首を横に振った。


「もし感染するような病気だったら、ララ様にうつってしまっては大変ですから」


 断られてはしまったものの、それでも放っておくわけにはいかなかった。

 私とララは視線を交わし、そこを何とかと母親を押しきって家に入る。

 

 そこで見つけたのは、息も絶え絶えにベッドに横たわるリュシカの姿だった。


 ベッドの上で横たわるリュシカの体は、全体的に赤みを帯び、触れるととても熱い。

 そして、布団をめくると、足が昨日よりさらに腫れ上がっていた。


「これ……もしかして……『死病しびょう』なんじゃ……」


 リュシカの惨状を見て一同が静まり返る中、一緒についてきた子どもたちの誰かがそう呟いた。

 その言葉を聞いた途端、ララは手で口を押さえ、見る見るうちに顔が青ざめていく。


「ララ……『死病』って何?」


 思わず尋ねると、ララは小さく震える声で答えた。

 

「死病は……この国でたまに見られる、ある病気のことですわ。発熱や痙攣などの症状が出て……一週間ほどで、半数以上が命を落とす、恐ろしい病気ですの」

「そんなに……!? それじゃあ、今のリュシカの状態って、とても危険なんじゃ……。お医者様を呼んだりはしないの?」


 リュシカの苦し気な様子と死病の高い死亡率に、私は焦って問いかけたが、ララの表情はどんどん暗くなっていく。

 彼女は眉間に皺を寄せて、グッと下唇を噛みしめ、拳を強く握りしめながら言った。


「……ここには、医師はいませんの。医師は全員、上に住んでいて……ここに住む人々は、病気になっても十分な医療を受けることができないのです。手に入るものと言えば、これまた上に住む薬師が作った薬を、さらに薄めたような粗悪品だけなのですわ」


 そう話すララの表情が、苦しむリュシカを目で捉えながら悔しそうにどんどん歪んでいく。少し瞳がうるんでいるように見えた。

 ララの言葉に、私の胸も締め付けられる。

 

「……それを抜きにしても、わが国ではいまだ、死病の治療薬どころか原因もわかっていません。ただ、回復を祈ることしか……」

「そんな……」

 

 ララの言葉を聞いて、私は言葉を失う。

 ここには医師もいなく、死病の治療法もなく、原因もわからないという。


 原因が分からなければ……

 光魔法を使うには、病気の原因とそれに合った適切な魔法の知識、そして具体的な治療イメージが必要だった。

 でも今は、そのどれもが不足していた。


(こういう時のために、私は光魔法を勉強していたのではなかったの……?)

 

 こり治療専門とはいえ『治癒師』を名乗っているのに、目の前の苦しむリュシカに、何もできない自分に絶望する。

 静まり返る部屋に、リュシカの荒い息遣いだけが響く。


「唯一できることと言えば、上に住む医師を連れてくることぐらいですが……。ほとんど首長一族に囲われている彼らが、果たしてここまで来てくれるかどうか……」


 ララの力のない呟きが、耳に入る。

 しかし、その言葉は、私に一つの希望を抱かせるのに十分だった。


「……そうだよ、医師に来てもらえばいいんだよ! この国の医師じゃなくてもいい! ノアラークには、! ララ、今すぐ上に戻るよ! ボブにここまで来てもらおう!」

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