9 光魔法②

「また明日、昼食を取ったらここにおいで。その時は『実践魔法・入門』を一緒に持ってくるといい。本を見ながら実際に魔法の練習をしていこう。あ、できれば最初の方をあらかじめ少し読んできてね」


 部屋から出る時、ボブはそう言葉をかけてくれた。私の手には、先ほどもらった辞書が収まっている。

 ボブは私とロイドにそれぞれ笑みを浮かべながら出入り口で軽く手を振り、自身の部屋の中に戻っていった。


「ロイド、今日は一緒に来てくれてありがとうね」


 帰り道、私は先ほどボブに迫られて固まっていた時のことを思い出して、改めてロイドにお礼を言った。

 ボブ……大人しそうな穏やかな見た目で、熱い人だった。ボブの狂気を帯びた目の輝きを思い出して、ブルっと体を震わせる。

 サリーも自分の世界に入るとなかなか止まらなかったし、この船に乗っている人たちは、もしかしたらみんな、そういった気質があるのかもしれない。


「ああ……だが、ボブはニコラに強い関心を抱いているようだ。心配だから、念のため明日も一緒に行ってやるよ。ニコラが初めて魔法を使うところも見てみたいしな。というか、ボブは明日までに『実践魔法・入門』を読んで来いと言っていたが、大丈夫そうか?」


 先程、「『実践魔法・入門』は読むのに少し難しい」と言ったことを気にしているのか、ロイドが少し心配そうに問いかけてきた。

 まあ、ロイドはその本を貸してくれた時、私が文字を問題なく読めるものと思って渡してきたようだったから、自分の配慮が足りなかったのではないかと気にしてくれているのだろう。


「うん。さっきも言った通り少し難しいけど、辞書ももらったことだし少しは自分で頑張ってみるよ。心配してくれてありがとうね」

「……わかった。もし分からないところとかあったら、明日の仕事の時にでも教えてやるから頑張れよ」


 安心させるために微笑みつつ言うと、ロイドは少し顔を赤くしてそう返した。

 ちょうどその時、二人は私の部屋の前に辿りついた。じゃあな、と自分の部屋の方へ向かうロイドを、私は姿が見えなくなるまで見送った。


 自分の部屋に入ると、窓から部屋を満たす光は少し暗さを含み、夕方に差し掛かる頃を示していた。

 机に向かい椅子に腰かける。手に持っていた辞書を机の上に置き、その手で机に備え付けられていたランプを触って明かりを付けた。


 これも、光魔法の魔石が使われたものらしい。

 穏やかな明かりはほんの僅かずつ、でも確実に活力を回復させているようだった。


 一息ついた後、ロイドに借りたまま机の上に放置していた『実践魔法・入門』を手に取り最初のページを開いた。

 最初のページには目次が記されていた。まずは全魔法の基礎となる、魔法の概念や理論、そして魔力操作について書かれており、その後は各章にてそれぞれの魔法の実践方法が書かれているようだ。私はボブからもらった辞書を片手に、ページを読み進めていく。


 魔法とは、『魔素』と『生命エネルギー』を融合して『魔力』を作り、『意志』によって発現する現象であるとのことだった。

 『魔素』は自分の外の空気中に存在し、『生命エネルギー』は自分の中で作られる。


 これまでさんざん言われていた『魔法適性が強い』というのは、体内に蓄積できる魔素量が多いということだった。

 たくさんの魔素を蓄積できれば、その分、強い魔法を発現できる。


 そして、魔法の発現に使用する『魔力』の量は、『魔力操作』という訓練によって効率化することができるらしい。

 『魔力操作』はまず、体の中を巡る『魔力』を自覚することから始まる。


『魔力』を自覚するには瞑想などでひたすら体内に意識を集中するか、何かのきっかけで無理やり意識させるかのどちらかで、一般的でかつ最も簡単なのは、『魔道具』を利用して強制的に魔法を発現させることだった。

 『魔道具』は魔石が組み込まれた道具のことだ。


 ここまで読んで、『実践魔法・入門』から目の前に置かれたランプに視線を移した。ランプはこの部屋で唯一の魔道具だ。

 おもむろにランプに手を伸ばし、明かりを消した。本を読んでいる間に太陽はさらに傾いていたようで、部屋は一瞬にして薄黒色の暮色に染まる。


 私は窓越しに沈みゆく夕陽を見ていた。この世界は『魔素』というものに溢れ、自分の想像もつかないような『魔法』という事象が本当に存在しているらしい。

 自分が見ているこの景色にも、自分がいるこの部屋にも『魔素』なる物質が満たされていると思うと、不思議な気分だった。


 少しして、再びランプに手を伸ばした。

 指先含め五感すべてに意識を集中させて、再びスイッチを押す。


 ――カチッ。


 その瞬間、目の奥がチカチカと光った。

 何かが、自分の指先を通り抜けてランプの中心に集まっていった感覚がする。

 

 再び灯ったランプの明かりは、本を読むためにつけていた時とは全く別物のようだった。ランプの中心から明かりと共に、小さな何かがふわふわと帯状になって放出されているように見える。

 そこへそっと手のひらをやると、その帯状の何かは手のひらから零れるように広がり、じんわりと温かく感じられた。そしてゆっくりと肌表面から体内へ吸収されているようだった。


 温まっていく範囲が手のひらから次第に全身へと広がってきて、その温かな何かが体内全体へ巡っていく感覚だった。

 それが全身へ満ち渡った時、それまで難しい内容との格闘で酷使していた目や顔や背中部分など全身が徐々に解きほぐされていく感覚がおぼえた。そして自然と瞼が閉じ、その心地よい感覚へ身も心も預けた。


(……これが、魔法。これが、光魔法か……)


 この日初めて私は、『魔法』と呼ばれるものを明確に自覚した。


「そうか。昨日、魔素や魔法について自覚できたんだね。それなら話は早い」


 光魔法が全身を巡る感覚を自覚できたあと、そのあまりの心地良さに、私は気が付くと机に伏して寝てしまっていた。翌朝、ロイドが迎えに来てくれた音で目を覚まし、慌てて準備をして部屋を飛び出す。

 本の感想を聞いてくるロイドに、昨日のことを話しながら雑用係の仕事を終わらせた私は、仕事の後に体を清めて昼食を取り、ロイドとともに再びボブの部屋を訪れていた。


 同様の内容を伝えると、ボブは非常に興味深そうに私の話を聞いていた。

 適性の高い魔法は、より自覚しやすいらしい。


 ボブは元々雷の魔法にしか適性がなかった。しかし、医学に携わり、治療を行ってきたためか最近少し光魔法を扱えるようになってきたということだった。

 ただ、ボブの部屋の机にも同じランプが置かれているが、付けても体がじんわりと温まるなと感じる程度で、帯状の何かを知覚したり、全身を巡って緊張をほぐしていく感覚を覚えることはないらしい。


「本当に、強い適性というのは得難い才能だね。特に、光魔法は『光の国・シャイネポリス』の独占状態だったから、ニコラを通じてこれから色々知ることができると思うと、胸の高鳴りが抑えきれないよ!」


 ボブはまた、頬を高揚させながら自分の世界に入りだしたようだ。

 私の隣に座ったロイドが、ゴホンゴホンと咳払いしてボブを現実に引き戻そうと試みている。


「でもそのまま寝てしまって、各章の実践のところはまだ読めていないんです」


 ロイドのボブの引き戻し作業に加担する。

 この発言は運よく耳に届いたようで、ボブはハッと我に返ったあと、「失礼」と少し咳払いをして二人に向き直った。


「まあ、魔法を知覚して急激に世界が広がったようなものだから、疲れて寝てしまったのも無理ないよ。では今日は一緒に魔法の実践を行おう。そうだな、やはりここは光魔法からいこうか」


 ボブはそう言うと、『実践魔法・入門』の実践の各章のうち、光魔法のページを開いた。

『実践魔法・入門』では、具体的な魔法の現象をレベル別に並べ、ページを進むごとに徐々に難易度が上がっていくような構成になっていた。それぞれの現象について、発現のイメージや発現した魔法の一般的な規模や注意点なども一緒に記載されている。


 光魔法の一番最初は、ライト《明かりよ灯れ》と呼ばれる魔法だった。

 これは指先等に意識を集中させ、明かりを灯す魔法のようだ。今ではこの魔法の代替となるランプの魔道具が一般的に流通しているものの、汎用性が高く有用な魔法ということで重宝されるという。


「強い適性があるということだからね。僕はこの『ライト』の魔法は、一年ほど前にようやくできるようになったばかりで、まだ発現するのに集中力が必要だけれど、ニコラは簡単にできるようになると思うよ」


 ボブは何も心配する必要がないといった様子で、私にライトの魔法の発現方法を指南してくる。

 イメージとしては、昨日ランプを付けたときに手のひらから吸収されていった小さい何かが今も体中を巡っており、それらが指の先端に集まると同時に「ライト」と言うと発光する感じとのことだった。


 胸の前で人差し指を立て、静かに目を閉じる。

 体の中、そして指先に意識を集中させていく。


(これで何も起きなかったらちょっと恥ずかしいなあ)

 

 という気持ちが少し脳裏によぎりながら、勢いよく目を開けて言った。


「ライト《明かりよ灯れ》!」


 その瞬間、カッ!と目を刺すほどの強い光が部屋中を包んだ。


「わああああ!! 目が……目が!!」


 真っ白でチカチカする視界の向こうから、ボブの叫び声が聞こえてくる。

 横の方からロイドの「おおおおお……」という小さな唸り声も聞こえてきた。


「これは一体……!?」と思いながら目をしきりに瞬かせていると、徐々に視界が戻ってきた。

 そこには両目を手で押さえて悶絶しながら床を転げるボブと、これまた両目を押さえて体を震わせながら椅子にうなだれて座るロイドがいた。

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