7 はじめてのお風呂

「そういえば……ニコラはノアラークに乗ってもう二日目だけど、お風呂には入ったかしら?」


 操縦室での話が終わった後、傾きかけた陽の穏やかな日差しを見送りながら、さてそろそろ自分も部屋に帰ろうかと思っていたところでアニーに声を掛けられた。


(え、もしかして臭うのかな……)


 と、顔がみるみる青ざめていく。

 その私の様子を見て、アニーは焦って言葉を続けた。


「あ、臭いとかそういうことじゃないのよ! ただ、ここの設備はニコラにとっては初めてのものじゃないかと思ってね。特にお風呂に関しては、男共は基本的にシャワーで、バスタブは私しか使っていないから……。ロイドもそんなに教えてくれなかったんじゃないかと思って」


 アニーの優しさが身に染みてくる……。

 うん、その通りなんです。と、私はうつむきながらも正直に話した。


「……うん。実はノアラークに乗って以来、まだちゃんと身体も拭けていないし……バスタブ? っていうのは朝の掃除の時に見たんだけど、使い方がよく分からなくて……」


 おずおずとそう答えると、アニーは「そうだったのね……」と少し可哀そうなものを見る目でこちらを見つめ、元気付けてくれるかのように明るい声で言った。


「じゃあ、今日はもう私もやることないし、一緒にお風呂に入りましょう!」


 ⚓︎ ⚓︎ ⚓︎


 私は一旦、自分の部屋に戻り、ほどなくして再びアニーと落ち合った後に、目的のバスタブのある部屋へと一緒に向かった。

 辿りついた先で扉を開け、まずは着替えをするための小さな空間で着ている服を脱ぐ。


「この船は、雷の国の技術の粋を集めて作られているの。といっても、船のメンテナンス全般をしてくれているジルが色々手を加えちゃって、私も全容を把握しきれてはいないのだけどね。まあ、それで、他の国にはあまり見慣れない設備もたくさんあって、これから入るバスタブもそのひとつね。正直、バスタブの良さを知ってしまうと、もう以前のやり方には戻れないわよ!」


 バスタブ初心者の私は、服を脱いだ後もキョロキョロと所在なさげに周囲を見渡していた。この部屋も、見たことの無いような作りでとても目新しい。

 そんな挙動不審な私にアニーはクスリと笑うと、私の手を引いて、バスタブのあるさらに奥の部屋へと連れて行ってくれた。


 その部屋にあるものの中で、これまでの人生で見知ったものと言えば手桶と垢を擦るための布くらいなもので、その他は見たこともないものばかりだった。

 確か、すでに日も暮れ始めていたように思うのだが、この部屋にはろうそくも見当たらないにも関わらず部屋全体が明るい。光源らしきところをぼーと見つめていると、私の視線に気付いたアニーが説明してくれた。


「これは光球と言ってね、中には光魔法が込められた魔石が組み込まれているの。ニコラのペンダントの水も光っていたでしょう? あれと似たようなものね。ただ、これは光っているだけじゃなくて、光魔法だもの。少し疲労回復の効果も込められているわ」


 へえーと思わず感嘆の声がこぼれる。説明されても原理を理解することはできなかったが、知らない知識に触れて少しわくわくしていた。

 私の様子にアニーは微笑みながら、その他の物についても説明してくれる。


「これは石鹸よ。水を含めると泡が立って、この泡が体の汚れを落としてくれるわ。ニコラは石鹸を使うのが初めてでしょうから、最初は泡が立たないかもしれないわね……。先にバスタブにお湯を張っておくから、まずはお湯につかって垢を落としちゃいましょう」


 そう言って、アニーはバスタブについていた突起をひねった。

 湯気の立った温かいお湯が、突起についた口から勢いよくバスタブに注がれていく。


「これは蛇口と言って、ひねると水が出る仕組みになっているわ。この蛇口には炎の魔石が組み込まれていて、入浴にちょうどいい温度になるように調節されているの。さあ、垢を落とすなら、とりあえずこれくらいで十分でしょう。中に入ってみて」


 アニーに促され、恐る恐るバスタブに足を入れる。初めての状況にバスタブの中で立ちつくしていたが、「中で座ってね」とアニーにさらに言われてバスタブの中に腰を下ろしてみた。

 胸下まで達したお湯は、じんわりと温かかった。アニーが手桶を使って髪の毛にもお湯を浸してくれ、毛先から丁寧に石鹸で泡立ててくれる。


 石鹸からはうっすらと花の香りが漂ってきた。あまりの心地よさに、目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。

 体いっぱいに満たされた良い香りと温もりに、身も心もほどけていくようだった。


 髪の毛が全体的に泡立ってきたころ、アニーに促されて一旦、バスタブから出た。髪の泡を流して体の垢を確認すると、十分にふやけていて布で擦ると簡単に取ることができる。


「あら、ニコラってとても肌が白いのね」


 垢を丁寧に取り、さらに石鹸で洗って徐々に露になった私の素肌を見てアニーは言った。

 自分の周りにいた人たちを思い出しても、こんな感じではなかっただろうかと小首をかしげるが、アニーは私の手を取り、肌をまじまじと観察する。


「うーん、確かに水の国の人達は肌が白いことで有名だけれども、これまで会った人達の中でもニコラの肌はさらに一際白く見えるわ。そういえば、ニコラは髪の毛も栗色だけれどもほとんど金色に近いし、瞳も薄い深緑色に赤みが混じっていて……全体的に色素が薄めなのね?」


 もしかして、これも水の乙女候補たる所以の一つだったりするのかしら……? などと、アニーはぶつぶつ言いながら一人で思考に耽りだした。

 こうなっては戻ってくるのに少し時間がかかりそうなので、アニーから視線を外して、改めて自分の肌を眺めてみる。


 垢がない状態の自分の肌を見るのは、本当に久しぶりだ。信じられないくらい、全身がつるつるとしていてとても気持ちがいい。

 アニーは私の肌の色を気にしているようだけれど……うーん、やっぱり、そう言われてみれば確かに白いかも? くらいにしか思わなかった。


 私を十分に洗ったところで、アニーも自分自身の体を丁寧に洗いだした。

 時折、互いに洗い合い、身体や髪の毛に付いていた泡をすべて洗い流して、改めてお湯を張りなおしたバスタブに二人は向かい合って入る。バスタブ内に貼られてお湯は一度目の時よりも多く、余裕をもって肩まで浸かることができた。


 アニーは「こうして女の子と二人で一緒にお風呂に入るのが、ずっと憧れだったの」と終始嬉しそうだった。気を遣うことなく、毎日好きな時にバスタブを使っていいとアニーは言う。

 肩まで浸かったお湯に、体の奥の方まで温かさが伝わってくる。


(ああ、とても幸せ……。この世に、こんな素晴らしいものがあっただなんて……)


 お湯にゆっくりと浸かりながら、私ははじめてのお風呂を堪能した。

 改めて、アニーたちに拾われて良かったなとしみじみ思っていた。

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