4 ロイドとの出会い

「ニコラ、この子がさっきアニーが言っていた子だ。名前はロイド。彼から色々話を聞くと良い。あと、ロイドはこの船の雑用係をしている。ニコラはこれから、ロイドの仕事の手伝いをするように。この船は、働かざるもの食うべからずだからね」


 ヘインズはそう言って、ある部屋の前で私をロイドという少年に引き合わせた後、「じゃ、俺は花達の世話があるから」と言って早々に去っていった。ロイドのいる部屋に辿りつくまでにチラリと見えた船内は、田舎で育った私にとって驚くことばかりだったけど、ヘインズの最後の言葉が一番衝撃的だった。


(ヘインズってあの見た目でお花とか育ててるんだ……。あ、もしかして、あの最初にいた場所で綺麗に咲いていた花もそうなのかな、意外……)


 そう思いながら、去っていくヘインズの後ろ姿を見送り、紹介された少年の方に視線を向ける。

 先程までいた場所から離れ、船内を奥に進んだ月当たりの小さな部屋に彼はいた。


 開け放たれていたドアの中を覗くと、モップや雑巾、バケツといった掃除道具が、私のいる部屋の入り口から向かって左隅に置かれているのが見える。部屋には他に、右手奥の方にベッドが置かれ、ベッドに備え付けられた本棚には所狭しと本が積まれていた。


 ロイドと呼ばれる少年は、ベッドを背もたれにして、この部屋の上方窓から柔らかな明かりが差し込む場所で床に座って本を読んでいた。

 

 年は私より確かに少し上の、十二,三歳くらいだろうか。黒いサラサラの髪に、ここでは初めて見る私と同じ白い肌。そして、左目の下に涙ボクロが小さくふたつ並んでいるのが見て取れる。見えるのは横顔だったけれども、それでも彼が端正な顔立ちをしているのが分かった。

 すると、ふと、彼は読んでいた本から顔を上げて私の方を見た。


「てかお前、だれ?」


 こちらを見つめる瞳が、光に照らされて宝石のように紫色に輝いている。


「あ、私はニコラといいます。さっき、この船に乗せてもらうことになりました」

「ああ、エディ達が話していたの、お前のことか。それで? ヘインズ達に拾われて、お前もこの船で暮らすことになったんだ? で、雑用の仕事を俺に教えてもらえと」


 ロイドはそう言いながら、私にはもう興味がないと言わんばかりに再び手元の本に視線を戻す。


「はい……あ、あと魔法についても聞くように言われました。あなたも強い適性があるから、と」

「……魔法?」


『魔法』という言葉を聞き、ロイドは再び私に視線を向ける。

 それは先ほどまでとは違い、ジロジロと物色するような視線だった。


「なにお前、そんなに魔法の適性があんの?」


 そう訝しんでくるロイドの不躾な視線にビクッと肩を揺らしながらも、アニーとヘインズに見せたようにペンダントを服の下から取り出し、ロイドの方に差し出す。

 彼は床から立ち上がって私の前に立ち、ペンダントをじっと見つめて……、一瞬、顔が曇った気がした。


「……俺はロイド。まず、雑用の仕事は基本的に午前中にしているから今日はもう終わった。仕事のことについては、明日の朝にでも改めて教えてやる。で、魔法についてだけど、強い適性があるって言っても俺は光魔法のことはよく知らない。俺が使えるのは土魔法だ。てかお前、そもそも魔法についてはどれくらい知ってんの?」


 ロイドはペンダントから視線を外し、体勢を起こして私とまっすぐに向き合う。


「あ、正直、全然知らない、です……。魔法に強い適性があるって知ったのもついさっきだし、これまで魔法とか、存在自体知らなかったから」


 おどおどと答える私から視線を落とし、ロイドは頭から足の先まで静かに私の全身をゆっくり確認する。


「……まあ、見たところお前、田舎の村出身だろ。それなら、魔法を知らなくても仕方ない。面倒だが、ヘインズ達にも言われているようだし、まあ、魔法のことも少しくらいは教えてやるよ」


 ロイドはそう言うと、私に背を向けて部屋の奥に歩を進めていった。

 ベッドに備え付けられた棚の前に立ち止まり、少し思案した後、詰まれていた本の中から二冊取り出して私に差し出す。


 渡された本に視線を落とすと、それらの本の表紙には『始祖の乙女と七つの国』と『実用魔法・入門』と書かれていた。


「これは魔法を含めた世界の成り立ちが描かれた絵本と、初心者用の魔法の入門書だ。お前にはまずはこれくらいが丁度いいだろ。その本貸してやるから、空いた時間にでも読んで勉強してこい。分からないところがあったら教えてやるから」


 差し出された本のうち、ひと回り大きくて薄い絵本の方の表紙と裏表紙を見てみる。そして一枚ページを開いてみた。絵本の最初のページには、『始祖の乙女』という一人の少女が世界に降り立った場面が描かれている。


 ロイドは本の中身を確認する私の様子をじっと眺めていた。その視線に気付き、本から顔を上げるとロイドと目が合う。

 そして、ふと、アニーが他にもロイドについて言っていたことを思い出した。


「あの……アニーから、あなたは私と境遇も少し似ていると聞きました。私は水の国で『水の乙女』候補に選ばれて、家を出ることになって……」


 そこまで言って、静かに話を聞いてくれていたロイドの瞳から、スッと光が消えたのが見えた。

 一瞬にして不穏な空気が流れ始め、途中で思わず口を噤む。


(ああ、これは触れてはいけなかったことなのだろう……)

 

 そう悟るももう遅い。その場がしーんと静まり返る中、表情を強張らせてロイドの反応をひたすらに待つ。

 随分長く感じる沈黙の後、ようやくロイドが言葉を発した。


「……俺と境遇が似ているとアニーは言ったのは、強い魔法適性のせいで親や故郷と離れることになったという点だと思う。ただ、その事実は同じかもしれないけど、そこに至った過程は多分、全然違う。お前はまだ魔法のことを知ったばかりで分かっていないだろうが、強い魔法適性を持つことは必ずしもいいことばかりじゃない。俺は……強い適性なんて、別に欲しくなかった」


 ロイドは顔を歪め、絞り出すようにしてそう言った。

 できた陰に、彼が背負う心の傷が少し見えたようで、知らずに聞いてしまった自分を恨む。


 いつの間にか穏やかに照らしてくれていた光は傾いて部屋は橙色に満ち、影が落ち始めていた。

 恨むような、それでいて何かに縋るような、低くか細い声で話していたロイドの紫色の瞳は、夕焼けを受けてチカチカと赤く燃えていた。


 ⚓︎ ⚓︎ ⚓︎


 ロイドの部屋を出て、借りた本を片手に来た道をとぼとぼと戻っていると、向こうの方からアニーがやってくるのが見えた。こちらに気が付いたのか、少し駆け足になってこちらに近づいてくる。

 やらかしてしまった自分に後悔でいっぱいだったのだが、笑顔で手を振るアニーの姿に心が癒やされる。


「ロイドとの話は終わった? ちょうど、ニコラの部屋の準備ができたから呼びに来たのよ」


 私の家は程々に貧しかったから、今まで自分の部屋と呼べるようなものは当然なかった。それどころか殆どのものが家族や弟と共用だった。

 なので、アニーに案内されて着いた人生初となる自分の部屋に、これまで渦巻いていた感情は一気になりを潜め、私は純粋に感動に胸を震わせた。


「わぁ……素敵……!」


 急遽住まわせてもらうことになったものだから、部屋の準備ができたと聞いて物置部屋とかそんな所かなと思っていたのだが、とんでもない。

 先程のロイドの部屋よりひと回りくらい小さいものの、部屋にはベッドと、小ぶりではあるが机と椅子、そして本棚が置かれていた。机の上には丸い窓があり、外の景色を見ることができる。


「ふふふ、喜んでもらえてよかったわ。この部屋はね、私の部屋の隣なの。元々は私が物置部屋として使っていたんだけど、女同士お隣が良いかなと思ってね。大急ぎで片付けたものだから、まだ少し埃っぽいかもしれないけど……この部屋、ニコラの好きにして良いからね」


(物置部屋というのは当たっていたんだ……)


 とは頭の片隅で少し思ったものの、初めての自分の部屋に浮かれて気付けばフラフラ部屋を歩きまわっていた。ロイドの部屋でも思ったけど、ベッドも棚も、その部屋にある何もかもが目新しく、上に下にと興味津々で見て回る。

 その様子にアニーは気を遣ってくれたのか、「お腹空いたでしょう? そろそろ夕食の時間なの。食堂の様子を確認してくるから、ちょっと待っていてね」と、一旦部屋から出ていった。


 アニーを見送り、私は早速、机の上に本を置きベッドに横たわった。

 家ではベッドは藁などで出来ていたから横たわるとチクチクしていたが、このベッドは藁ではない何かが詰められて、ふかふかしていて気持ちがいい。

 澄んだ空気を鼻からお腹いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。肌に触れるパリッとしたシーツがヒンヤリとして気持ちが良かった。


 私は仰向けの姿勢になって、初めて見る天井を眺めながら今日のことを思い出していた。

 

 馬車で王都に向かっていたら突然空賊に襲われて、ノアラークと呼ばれるこの船に乗ることになって、アニーやヘインズと出会って、自分以外の魔法に強い適性があるというロイドに出会って、自分の部屋をもらって、今ここにいて……。

 たった一日の出来事だというのに、本当に色々なことがあったなと振り返る。


(そういえば、私が王都に向かう途中で攫われて、家族はどうなるんだろう……)


 と、ふと家族のことが頭に浮かんだ。あんなに別れを惜しんで送りだしてくれたのに、私が空賊に攫われたと知ったら、どんなに悲しむだろうかと考えると心が痛かった。


 縁を切らされたようなものだから、いずれにしても消息不明なことに違いはないが、それでも家族のことを考えれば考えるほど気持ちが沈んでいく。でも、どんなに考えても私に今できることなんて何もないのだと認識するだけだった。

 暗くなっていく思考を手放して目を瞑り、自分がいない日常を過ごす家族に思いを馳せる。


(直接伝えることはできないけれど……お父さん、お母さん、私は良い空賊の人達に拾われて元気にしているよ。だから、心配しないでね)


 と、心の中で家族の笑顔を願いながらそう呟く。

 目を閉じているとふかふかなベッドのせいか、これまでの疲れが一気に襲ってきた。身体が鉛のように重くなってきて、意識もだんだんと沈んでいく。


 薄ぼんやりしてきた意識の中で思い出したのは、ロイドのことだった。ロイドの悲痛な表情と言葉が、小さな楔のように心に引っ掛かっている。


(何かを思い出して苦しそうだったな。私に出来ることはないのかな)


 そう考えながら、私は静かに夢の中に落ちていった。

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