7 初仕事の後に、朝食を

 ハッと目を覚ますと、周囲は暗闇に包まれていた。


 机の上の窓から、白んだ明かりが差し込んでいるのが見える。

 おそらく、もうすぐ夜明け前という頃なのだろう。


 ここは……?

 あ、そうか。私は昨日この船に乗ることになって、ここは私の部屋だったんだ。と、記憶が次第に甦ってくる。


 頭がハッキリしてきて、ベッドから起き上がり部屋を見渡してみる。すると、机の上にパンとスープが置かれているのが目に入った。

 おそらく、戻ってきたアニーが置いて行ってくれたのだろう。

 

 ベッドから立ち上がって机に向かい、椅子に座る。

 パンを手に取り、スープに浸して口に入れながら、窓から望むだんだん明けていく空を眺めていた。


 水平線上から少しずつ太陽が見えきて、周囲の景色を露わにしていく。

 新しい生活がはじまる予感に、ニコラは少しの高揚を覚えながら徐々に変わりゆく景色を眺めていた。



 ⚓︎ ⚓︎ ⚓︎


 

 食事もとり終わって少しした頃、外から足音が聞こえてきた。

 部屋の前で足音が止まり、同時にドアをノックする音が響く。


「起きているか?」


 昨日初めて会った時のような、落ち着いた様子のロイドの姿がそこにあった。

 ロイドは雑巾の入ったバケツとモップを両手に持っている。

 

「お、ちゃんと起きていたな。それじゃあ、行くぞ」


 そう言って廊下を歩き出したロイドを追って、ニコラは慌てて部屋を出た。

 

 朝、まだ誰もいない船内は少しひんやりとしていて、足元を薄暗いライトが照らしている。

 静まり返った船内に、二人の足音が重なって響く。

 長い廊下を抜けた先にたどり着いたのは、昨日、はじめて船に乗った後にアニーと出会い、お菓子をもらった部屋だった。


 そこにはすでに人がいた。


「おはよう、エリック」

「ああ、おはよう、ロイド。と、君はニコラっていったかな? 初めまして、エリックです。これからよろしくねー」

「あ、初めまして、ニコラです。よろしくお願いします」


 エリックは、今までニコラが見たこの船の屈強な男達とは違っていた。

 少し細身で、肩より下までありそうな金髪を後ろで一つ結びにし、何だか飄々ひょうひょうとした雰囲気を感じさせる。

 

 エリックはニコラからの挨拶に、にこりと微笑みながら軽く手を振る。

 そして、体勢を前の方向に戻していった。


「エリックが座っているのは操縦席だ。この部屋は操縦室と言って、船の進路を決めたり、見張りをしたり……あと、何かあった時はみんながここに集合して、報告や指示を受けることになっている。必ず一人は誰かが操縦室にいることになっていて、エリックは今日の見張り番だよ」


「まぁ、今日はっていうかだいたい俺が夜の見張り番だよ。俺は星が好きだから、夜はずっと空や星を見ていて、日中はほとんど寝ているんだよね」


 ロイドの説明の横から、というか前からエリックが会話に入ってきた。


 だから昨日エリックとは会わなかったのかな?

 他にも会っていない人がいるんだろうか。

 と、ニコラは二人の様子を窺いながら考える。


「じゃあ、雑用係の仕事を始めるぞ。俺たちの仕事は主に掃除と洗濯だ。まずは、みんなが起きる前に操縦室や食堂、トイレといった共用部分の掃除を行う」


 ロイドはそう言うと、雑巾を差し出してきた。

 

「エリックのいる前方の操縦席の方は俺がやるから、お前は後ろの方の床や長椅子を拭いて」

 

 雑巾を受け取り、ロイドの視線の先に振り向くと、そこは昨日、お菓子を食べた時に座っていた長椅子だった。

 小さく頷いて、言われた通りに掃除を始める。


 役割が与えられ、この船の歯車の一つとして組み込まれていく。

 ニコラのノアラークでの生活が、今、始まった。



 ⚓︎ ⚓︎ ⚓︎

 


「最後は食堂だ。サリーはもう起きて朝食の準備を始めてるはずだから、食堂の掃除が終わったらそのまま朝食にするぞ。サリーには……もしかしたらちょっと驚くかもしれないが、まあ、悪いやつじゃないから……」


 あらかたの掃除を終えて食堂に向かう道中で、歯切れ悪くロイドがそう言った。


 廊下も拭き上げたため、見渡す限りどこもかしこもピカピカだ。

 そして、掃除をする最中に見た船内は、全てが驚くことばかりだった。


 この船には、シャワーやバスタブ、トイレといったニコラの知らない設備が存在していた。

 用途を教えてもらっても、家では川で汲んできた水を火で温めて身体を拭き、家の外で用を足して土で埋めてから家に戻るような生活を当たり前にしていた自分にとっては、使い方すら分からない代物ばかりだった。

 

 後でアニーに色々聞こう……と考えながらロイドの後に続いていたニコラは、食堂に向かう途中のロイドの怪しい言葉に疑問を持ちながらも、お腹が空いていたこともあって軽い足取りで歩みを進めていく。

 そして、辿り着いた食堂で、先ほどのロイドの言葉の意味をすぐに理解することになった。

 

「あらー! あなたがニコラちゃん!? 私はサリーよ、よろしくね。やだ、ニコラちゃん可愛いわぁ! これから一緒に暮らせると思うと、私とっても嬉しいわ!!」


 サリーは食堂に入ってきたニコラを見るなり朝食を準備する手を止め、まあまあまあ! と言いながらこちらに近づいてきて熱烈な挨拶をしてきた。

 勢いに固まるニコラにウインクも飛ばす。

 

 チラッとロイドの方を見ると、彼はいつの間にかここから少し離れたところにいて、二人の様子を何とも言えない表情で見ていた。

 

 ロイドはどうやら、サリーが得意ではないようだ。

 この状況の説明を求めようとするが、目が合わない。


「それにしても、せっかく可愛いのに格好が地味ね。この前の商人の荷物の中に、確かいい服がなかったかしら。髪の毛ももうちょっと艶が……あと、もう少し肉付きが……」


 サリーはニコラの全身をチェックしながらブツブツと呟いている。

 その様子を見てロイドは、ため息をつきながら助け舟を出した。


「……サリー、自己紹介と全身チェックはそこまでにしてよ。俺たちは食堂の掃除に来たんだ。掃除が終わったら休憩だから、その時にまたゆっくりニコラと話せば良いさ。サリーの美味しい朝食もニコラに食べさせたいしね」


「あら! ロイドちゃんもおはよう。相変わらずイケメンね、推せるわ! ……そうね、昨日はニコラちゃんが寝ちゃってたみたいだから、パンとスープくらいしか出せなくて悔しかったのよ。今日の朝食は腕によりをかけているから楽しみにしていてね」


 サリーはそう言ってニコラに何度目かのウインクをし、朝食の準備に戻っていった。

 サリーはこの船の屈強な男達と比べても、さらに筋骨隆々だった。

 自分より二回りも三回りも大きいサリーから解放されて、ほっと胸を撫で下ろす。


「……ロイド、ありがとう」

「いや……まあ、今は助けられたけど、悪いやつじゃないから、休憩の時はサリーの気が済むまで付き合ってやってくれ……」


 ロイドの言葉に、どっと疲れが増した気がしたニコラだった。

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