16 怨霊退治するぞ(前)

「こんな簡単に……すごい」


 目の前に開いた空間の穴。

 それを見て若菜さんが驚愕の声を漏らした。

 

 ふふふ。

 なんだかよくわからないけど、気付いたらできるようになっていたからね。

 思いっきり力技なので、俺からすれば空間師さんとやらのほうがすごいというか、どうやっているのか不明なんだけど。

 

「それじゃあ行ってきます」

「ああ、ミアちゃんなら大丈夫だと思うが十分気をつけるんだよ。若菜ちゃんも、無理はしないように」

「わかってます。笹塚さんは心配しすぎです」


 注意され、若菜さんが少しだけ不服そうに返答する。

 とはいえ、緊張は隠せないのか、その表情は固い。

 

 これは笹塚さんがメールで言っていたことなのだが、異界を創ることができるのはかなり力を持った存在だけだそうだ。

 薄々わかってはいたが、霊能者側の知識でもそういうことらしい。

 である以上、若菜さんの表情が強張るのも無理はない。

 いつも強気のイメージだったが、よく考えたらまだ二十歳にもならない女の子だもんな。

 

「なにか?」

「あ、いやいや、なんでもないです」


 ジッと見ていたら怪訝な表情をされたので、慌てて目を逸らす。

 馬鹿正直に指摘したところで怒られるのがオチだ。

 ここは黙っておくのが良いはずだ。

 

 さて、行くか。

 

 俺は迷いない足取りで空間の穴の前に進むと、一息に中へと飛び込んだ。

 瞬間、視界が切り替わる。

 

 どこか古ぼけて見える校舎。

 紫色の光。

 圧迫感を感じる重い空気。

 

 どれもこれもが、以前見た異界の風景だった。

 

「悪趣味ね……」


 ついてきた若菜さんが後方で顔を顰めた。

 次いで、口だけさん達もゾロゾロと異界に侵入してくる。

 

 全員が入り終わった頃、キンと澄んだ音が響いて、入ってきた空間の穴が閉じられた。

 

 笹塚さん達が結界を張ったのかな?

 妙な閉塞感というか、閉じ込められたような感覚がある。

 

 これで怨霊と外部との繋がりは断たれたはずなんだけど……。

 

 後は一時間以内に怨霊を退治するだけ、と思った瞬間だった。

 

『キィィィィイィイヤァアァアァアアァ!!!!』


 まるで女性の悲鳴のような声が響き渡った。

 同時に、感じる圧迫感が倍増する。

 

「な、に、これ……」


 若菜さんが口元を抑えて顔を青くしている。

 市子さんがガタガタと震え始め、ドゥ子が俺の背後へと隠れる。

 

 紫がかっていた空間が、赤く染まっていく。

 

 気付かれたか。

 

 校門から校舎への道すがら、いつの間にか俺たちは無数の霊に囲まれていた。

 

 まるで地面から生えるように出現したそれらは、いずれも首が無く「ウゥ……」だの「アァ……」だのうめき声を上げている。

 

 結界に閉じ込めたのがバレたのかな?

 

 だとするならば、俺が本気で退治に来ていることも察されているのだろう。

 怨霊流の歓迎といったところだろうか。

 

「くるわよ!」


 首のない霊達が一斉に向かってくる。


「市子さんはカメラ師匠、モニターくん、ドゥ子の三人を守ってあげて。口だけさん、行くよ」


 俺の言葉に、市子さんは素直に頷いてドゥ子達の側に寄ってくれる。

 普段はドゥ子と仲が悪いが、こういう時に反発せずに行動してくれるのは助かる。

 

 口だけさんは……俺が何かいうより先に動き出していた。

 二つの巨大な口を顕現させ、周囲の霊を片っ端から食い散らかしていく。

 

「っ! 舐めるんじゃないわよ!」


 若菜さんはというと、以前見た紫色の炎を周囲に浮かべ、それらを敵にぶつけていた。

 同時に、お札から炎の剣を生成し、近付く霊を危なげなく切り捨てていく。

 

 おお、若菜さん強い!

 

 なかなかの殲滅力だ。

 格上に通じるかは怪しいが、お札を千切っては空中に投げ、そこから生じた複数の炎球が自動追尾のように敵を撃っていく。

 

 市子さんも、近付いてくる霊を念力でまとめて捻じ切っている。

 順調にパワーアップしているようで何よりだ。


 みんな何だかんだで強い。

 今のところまるで危なげなく霊の群れを処理できている。


 見た目のインパクトこそあったが、出現した霊達はどれも大したことはなさそうだ。

 今のメンバーの殲滅力を思えば、さほど時間もかからず倒し切ることができるだろう。

 

 とはいえ肝心の怨霊は?

 

 雑魚をいくら蹴散らしても根本的な解決にはならない。

 俺は改めて気配察知に意識を向けると、巨大な気配を捉えた。

 自然、そちらへと視線を向ける。

 

 そして、校舎の屋上にそれはいた。

 

 相変わらず俯いているため、表情は見えない。

 しかし、フェンスを乗り越え、まるで自殺志願者さながらに校舎の縁に佇む姿は禍々しい気配にあふれている。

 

 女子校の怨霊。

 今回のターゲットが俺たちを見下ろすようにしてそこに立っていた。

 

 やっぱり不快だな……。


 俺ですら、思わず眉をひそめてしまうほどの怨念だ。

 禍々しさだけなら、俺が今まで出会った悪霊の中で一番かも知れない。


 まさか素直に出てくるとは思っていなかったが、それならそれで手間が省ける。

 退治して終わろう。

 

 そう思い、一歩を踏み出した時。

 

「逃げなさい」


 若菜さんが俺を庇うように前に立った。

 その身体は大袈裟なほど震え、表情は目に見えて焦燥を浮かべている。

 

「ぐっ、うごぇ……」


 若菜さんが嘔吐した。

 それでも、瞳は真っ直ぐ怨霊を睨みつけ、俺を庇う姿勢を崩さない。


「あ、え、若菜さん? えっと」

「まさかここまでとは思わなかったわ……とても勝てる相手じゃない。私が何とか時間を稼ぐから、その間にあなたは逃げなさい」


 どういうこと?

 突然の事態に混乱する俺。


 若菜さんは視線を怨霊から離さないまま続ける。


「甘く見ていた。何だかんだで貴女と私でかかれば倒すことはできるはずだと……こんな、常識はずれの化け物が出てくるなんて……いいから早く逃げなさい。結界のせいで一時間は脱出できないけど、ギリギリまで時間を稼いでみせるから」


 困惑する俺を他所に、若菜さんは一人で盛り上がっていく。

 短い掛け声とともにお札を宙に飛ばし、紫の炎を周囲へと広げていく。


 ふと、その動きが止まった。

 かと思うと、何か躊躇うような仕草を見せた後。

 

「……最初に会った時、いきなり攻撃しようとしてごめんなさい」


 こちらに背中を向けたまま、悲痛さを滲ませた声で呟いた。

 

「ずっと謝りたかったの。貴女が本当に悪霊化することがないなら、私のしたことはただ小さな女の子に不当に襲いかかっただけなんじゃないかって。自分は間違ってないんじゃないかって気持ちも捨てきれなかったけど、でもやっぱり罪悪感が拭えなくて。理由はどうあれ、笹塚さんのように最初は対話を選ぶべきだったと今なら思うわ」


 だからごめんなさいと、若菜さんは謝罪をしてくれた。

 う、うん。

 それはもちろん許すし、気持ち自体はありがたいんだけど。

 

「あの、若菜さん?」

「そうだ。実は私の幼馴染に貴女のファンがいるのよ。もし無事にこの空間を脱出できたらサインの一つも書いてあげてくれない? きっと喜ぶわ。いい年して小学生の女の子に入れあげてるみっともない人だけど、お人よしで、情に脆くて、いい人なのよ」


 ダメだ、こっちの話を聞いてくれない。

 もう完全に死ぬ覚悟を決めた人の顔になっている。

 

 あの、多分俺のほうが怨霊よりかなり強いんだけど……。

 

 なんで怨霊のほうが上だと思っちゃってるんだろう?

 あれかな、悪霊以外の強さは測れないとか?

 

 確かに怨霊は見るからにヤバそうなオーラを撒き散らしている。

 生身の人間が近くにいると、あてられて気分が悪くなりそうなくらいだ。

 

 一方俺はというと。

 

 自分の身体を見る。

 ツルペタだ。

 いや違うそうじゃない。

 今俺の身体的特徴は関係ない。

 

 まあ少なくとも威圧感とかは出ていない。

 笹塚さんは俺の実力をある程度見抜いていた節もあるので、何か条件があるのだろうが、少なくとも若菜さんからは弱いと思われているのかも知れない。

 

「あーあ、こんなことならもっと素直になっておけばよかったな……」


 若菜さんが後悔の言葉を口にしているが……。

 う、うん。

 何のことかわからないけど、これからいくらでも素直になればいいと思うよ?

 

「あのね、若菜さん?」


 とにかく、いい加減この誤解をとかないとと思い、後ろから声をかけようとした時。

 

『カエレ』


 怨霊が声を上げた。

 

『カエレカエレカエレカエレクルナカエレキエロカエレドウシテワタシダケカエレコナイデカエッテカエレシネカエレカエレカエレカエレカエレ』


 空間全体に響き渡るような怨嗟だった。

 明らかにこちらを意識しての言葉だ。

 喋れたのか。

 

 しかし帰れと言われても……。

 

 向こうからすれば家に猛獣が乗り込んできたくらいの感覚なのかも知れない。

 まあ自分より格上の存在が自分を消滅させるためにやってきたのだ。

 こういう反応にもなるのかも知れないが……。


 こうして怨霊を目の前にしたことで、やっぱり放置はしておけないと再確認した。

 放つ気配が禍々しすぎるのだ。

 しかも、既に女子校の生徒相手に縁を結んでいる。

 ろくでもないことが起こる未来しか想像できない。

 

「帰らないよ。悪いけどお前はここで倒す」

『アァァァアァアァアアァ!!!!』


 怨霊が咆哮する。

 それと同時に、口だけさんが動いた。

 

 空中を駆け上がり、校舎の屋上へと一直線に向かっていく。

 その右手が一瞬大きく歪み、気付けば巨大な口が顕現していた。

 

 なにあれ怖い。

 新技だろうか、いや形状からすると既存の牙持つ口を身体にくっつけた感じか?

 

 なんにせよ、瞬く間に怨霊の前に躍り出ると、口だけさんは右腕を大きく振りかぶった。

 

『クルナァアァ!!』


 瞬間、怨霊の背後に無数の生首が出現する。

 老若男女、血の涙を流しながらうめき声をあげるそれらは、一斉に口だけさんのほうに視線を合わせると。

 

『ーーーーーーー!!!』


 音波のような、衝撃波のようなものを発生させた。

 

 ビリビリと空気が震える。

 口だけさんが不可視の波に押され、後方に弾き飛ばされる。

 

「口だけさん!」


 思いっきり吹っ飛んだので心配になるが、視界の端で何とか体勢を整えたようでホッと一安心する。

 

 そして、気付けば怨霊の姿は消えていた。

 今の一瞬でどうやら移動したらしい。

 気配察知に意識を向ければ、どうやら校舎の中、二階あたりに存在を感じる。

 同時に、周囲にいた無数の首なし霊達も姿を消していた。

 

「逃げたか……面倒だな」

「えっ、なに、逃げた? 何で?」


 一人状況がわかっていない若菜さんが、混乱したように怨霊のいなくなった屋上と俺とを見比べていた。

 

 う、うん、えっと、あの……。

 い、今から説明するね?

 

 

 ◯

 

 

「死にたい……」


 そして現在、俺たちは怨霊のいる場所目掛けて校舎内を駆けていた。

 

 若菜さんはあの後、顔を真っ赤にして涙目になってしまったが……。

 今ではブツブツと独り言を言いながらもついてきてくれている。

 

「あ、あの、そんなに気にしなくてもいいと思いますよ。その、幼馴染の人でしたっけ? なんなら後でサイン書きますね」

「いらないから! いいから忘れて!」


 気を利かせたつもりが怒られてしまった。

 解せぬ。

 

「で、でも、本当に貴女のほうが強いの? ちょっと尋常じゃなかったわよあの悪霊」


 いまだに納得がいかないのか、走りながら若菜さんが問いかけてくる。

 俺はしっかりと頷いた。

 

「それは間違いなく。あいつがこっちとの接触を避けて逃げ回っているのがその証拠です」


 そう、あれから俺たちは何度か怨霊のいる位置へと辿り着いたのだが。

 その度に別の場所へと気配が移り、捕まえることができないでいた。

 

 おそらく、この異空間内であればどこにでも瞬間移動ができるのだろう。

 思えば、マシラも似たような能力を備えていた。

 

 厄介だ。

 正直、逃げに徹されるとちょっと対応策が思いつかない。

 

 時間はまだあるが、この調子で鬼ごっこを続けているとあっという間に一時間が経ってしまうだろう。

 何か考えないと。

 若干の焦りが浮かぶ。

 

「もしかして、怨霊はこっちの制限時間がわかっているんでしょうか?」


 さすがにそれはないと思いたいが、無策で逃げ回っているとも思えない。

 何というか、動きに時間稼ぎの意図を感じる。

 

 若菜さんが少し考えるようにして答える。

 

「さすがに正確な時間まではわかっていないと思うわ。ただ、外界と隔離されたことは伝わっているでしょうし、それがいつまでも続けられるものじゃないことも察しているのかも。人質を取るだけあって狡猾ね」


 なるほど、制限時間があることさえわかれば、後はひたすら逃げ回ればいいということか。

 向こうからすれば、正面切って戦っても勝ち目がない以上、他に選択肢がないのかも知れない。

 

 何にせよ、あまり望ましくない展開だ。

 

 そうこうしている間に、俺たちは一階の教室へと到達する。

 しかしその瞬間、怨霊の気配が屋上へと移った。

 

「ダメだ、キリがない」


 少なくとも、このままひたすら追いかけても意味がない。

 

 しかしどうする?

 手分けして……いや、ダメだ。

 下手に別れれば各個撃破されるだけだろう。

 向こうに瞬間移動能力がある以上、戦力の低い味方を狙って一瞬にして背後に現れることもできるだろう。

 

 そもそも、怨霊とまともに戦えそうなのが俺と口だけさんしかいないのだ。

 その口だけさんにしたって、まだ本調子とはいえない。

 下手に分かれるのは致命的な結果を生み出しかねない。

 

 だとしたらどうする?

 

 思いがけず追い込まれ、冷や汗が出そうになる。


 どうしよう?

 最悪、ペネトレイトで校舎ごと撃ち抜くか?

 

 怨霊を倒そうと思えばそれなり以上のポイントを注ぎ込まないといけないだろうし、外すことを考えればムダ撃ちは極力避けたいのだが、そうも言っていられないかも知れない。

 

 あまり強い攻撃を連発すると、この空間自体がどうなるかわからないのも懸念事項だけど……。

 

 他に手がないならば仕方ない。

 俺が拳を握り込んだ時だった。

 

「お母様」


 移動の際、歩幅が小さいことを理由に俺の肩に座っていたドゥ子が声を上げた。

 

「私の能力を使ってもよろしいですか?」

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