5 コミケに行くぞ(中)
柏原雅樹はその日コミケに来ていた。
元々ゲームをするのが好きで、それが高じてとあるサークルのファンになり、そのサークルが本を出すということで今回のコミケに友人を誘って買いに来たのだが。
友人は友人で目当てのサークルがあるということで、会場に到着してからは別行動となった。
もし買えなかったらどうしようという不安を抱えながら、コミケ開始直後、足早に目当てのサークルへと辿り着き、既にできていた長蛇の列に並ぶことで無事に目的の新刊を購入することができた。
ホクホク顔で本を手に会場を歩く。
帰るか、いやしかしせっかく来たのだし他も適当に見物して、などと思っていた時だった。
「ん?」
なにやら場内の一角が騒がしい。
妙にざわめいているというか、人が群がっている場所があるのだ。
壁際でもない、あんなところに注目を集める何かなんてあっただろうか?
雅樹は少しだけ興味を惹かれ近づいてみる。
とはいえ、人混みのせいで中心部分はよく見えない。
待機列があったので、その後方に並びつつ、前にいた男性に聞いてみることにした。
「あの、すいません」
「ん? 俺?」
「あ、はい、すいません。これって何の列なんですか?」
尋ねると、男性は得意そうに教えてくれた。
「ああ、いや、なんでもね、本物の幽霊が売り子してるんだっていうんで皆見に来てるんだよ」
「幽霊?」
なんだそれはと雅樹は思った。
予想の斜め上というか、有名人が来たというならわかるが、幽霊というのはどういうことだろうか。
「ええと、すごいコスプレイヤーとかですか? もしくは最新技術を使った立体映像の接客とか?」
「ああ、いやいや、そういうんじゃなくてね。本物の幽霊みたいなんだ。タネも仕掛けもないガチのやつ」
「ええ?」
思わず怪訝な顔をしてしまう。
そりゃ本物の幽霊がいるというならこの騒ぎも納得である。
なんなら、雅樹だって危険がないなら一目見てみたい。
しかし、こんな真っ昼間から、この人で溢れるコミケの真ん中にそんなものがいるというのはどうにも信じ難い。
「嘘ですよね?」
「そう思うだろ? でも事実らしい」
目の前の男性は苦笑するように言った。
その様子を見るに、男性自身も半信半疑ではあるのかも知れない。
「仮にそれが本当だとして、大丈夫なんですか? その、幽霊とかって普通に危ないんじゃ?」
「いやいや、それがね、なんでもその幽霊っていうのが小学生くらいの超絶可愛い女の子らしい。受け答えなんかも普通の人間と変わらないみたいで、噂が噂を呼んで短時間のうちにすっかりこの有様だよ」
まあ僕も友人に話を聞いて見に来ただけだから、まだお目にかかれてないんだけど、と男性は笑う。
ひとまずお礼を言って、雅樹は会話を打ち切った。
事情はわかった。
とても信じられる話ではないが、どうやらこの人波の向こうには本物の幽霊がいるらしい。
トリックか何かだとは思う。
しかし、聞いてしまった以上好奇心が疼いて仕方なかった。
まあどうせこの後予定があるわけでもない。
雅樹は多少待ってでも、件の幽霊を一度見てみることにした。
そして待つこと十分くらいだろうか。
何やら目的の場所から購入したらしい商品を抱え、友人である
その顔は薄気味悪くニヤついてる。
「おい、秋葉! こっちこっち!」
雅樹は取り敢えず声をかけた。
「ん? おお、雅樹か。奇遇だな」
「おう。それよりお前、今この列の先から来たのか? もしかして例の幽霊を見た?」
雅樹がそう口にした途端、秋葉は意表を突かれたようにキョトンとした顔をした。
その後、まるで古参が新参を馬鹿にするようないやらしい笑みを浮かべて言った。
「例の幽霊? ああ、お前まだ『そこ』なのか」
雅樹はイラっとした。
こいつのこういうところは本当に好きになれない云々。
いいから聞かれたことに答えろよと思いながら言葉を続ける。
「そこって何だよ。本当に幽霊がいるのか?」
「チッチッチッ、幽霊なんて無粋な言い方はやめてもらいたいな。彼女には名前があるんだから、正確にミアちゃんと呼ばないとな」
殴りたい。
雅樹はそっと拳を握り込んだ。
幽霊は幽霊だろうがと思いつつ、この様子ならかなりの美少女という噂は本当なのかも知れないと思い直す。
どうやら幽霊の名前はミアというらしい。
微妙な情報だけが手に入った。
雅樹の気も知らず、秋葉は得意顔で続ける。
「お前も幽霊だからどうとかいう差別意識は改めたほうがいいぜ? 俺は今日からミア友だ。ミアちゃんを悪く言うなら例えお前でも容赦はしない。俺を敵に回したくはないだろう?」
「殴るぞ」
危うく手が出るところだったが何とか自制する。
ミア友ってなんだよと思う。
察するにミアとかいう幽霊の友達だろうか。
しかし、秋葉がここまで入れ込むとは思わなかった。
ロリコンであることは知っていたが、それでも対象は二次元限定だと考えていたのだが。
三次元の女の子に入れあげているところは見たことがなかった。
秋葉と一旦分かれて、雅樹は並び続ける。
さて、どんなものが出てくるやらと、少しだけ楽しみになってきていた。
そして、ついにその時が訪れた。
「いらっしゃいませ、ええと、いくつお買い上げですか?」
遠目に、接客をする少女の姿が見えた。
瞬間、雅樹の頭頂から足先までを電流が駆け抜ける。
まるで屋内にいるのに落雷に打たれたかのように硬直した雅樹は、呆然とその姿を眺める。
ようやく見ることができた幽霊の少女。
確かに透けていた。
半透明といえばいいのだろうか。
薄らと向こうの景色が見える様子は、確かに幽霊かホログラムでもなければ有り得ないだろう。
しかし、それ以上に雅樹を心を打ったのはその愛らしさだ。
外人の血が入っているのだろうか。腰まで届く金の髪は、半透明であることも合わさってまるで精霊がこの世に顕現したかのよう。
十人いたら十人が美少女と答えるのではないかと思うほど整った容貌は、その幼さゆえに余計に神聖不可侵なものを感じさせる。
一見手が届かない神代の存在にも思える。
しかし、その愛くるしい笑顔が全ての溝を埋めていた。
どこか間抜けにも見える気の抜ける笑い顔は、親しみやすさと愛らしさを彼女に与えている。
我知らず胸を押さえる。
その少女はあまりにも愛くるしかった。
まるで二次元から出てきた理想の女の子のようだ。
あまりの可愛さに目が離せない。
雅樹はロリコンではない。
いや、なかったはずだ。
なのに、この気持ちはなんだというのか。
いや違うこれは芸術を目にした時の人間が感じる感動とかそういう類のもので決して俺がロリコンというわけじゃない、と雅樹は自分に言い訳した。
そうしている間にも列は進んでいく。
そして、雅樹の番がやってくる。
「いらっしゃいませ、いくつお買い上げでしょうか?」
声まで可愛い。
もう俺ロリコンでいいや。
雅樹は悟りを開いた。
「あ、あのお客さん?」
「あ、ああ、ごめんごめん」
再度声を掛けられ、慌てて思考能力を取り戻す。
ええと、なんだっけ?
いくつお買い上げですか、だっけ?
お買い上げってなんだと一瞬迷う。
しかし、考えてみれば彼女は売り子ということだった。
つまり何かを売っているはずで。
「じゃ、じゃあ一つ」
何とかそう答えて財布を取り出す。
すると、商品と思わしきDVDケースがひとりでに動き出し、雅樹の前まで飛んできたではないか。
「え!?」
「あ、私幽霊なんで物に触れなくて。ポルターガイストっていう力を使って動かしてるんです」
「そ、そうなんだ」
呆気に取られた雅樹の前で、取り出したお金も自動的に宙に浮き、回収されていく。
これは本物なんじゃないか?
最早幽霊云々などどうでもよくなりつつあった雅樹だが、さすがにこの不思議現象には驚いた。
財布から取り出したばかりで、一切触っていないお金を動かすことなんて人間にできるのだろうか。
手品師ならできるのかも知れない。
とはいえ雅樹にはその方法についてはサッパリ見当がつかなかった。
「ありがとうございました!」
まあそれもこれも、ミアというらしい少女の笑みを見るとどうでも良くなってしまったのだが。
そして、気付けば全ては終わっていた。
眼前に彼女の姿はすでになく、雅樹はあてもなく会場内をうろついていた。
手元にはミアちゃんというらしい彼女の友達が撮ったであろうASMRのDVD。
よく覚えていないがそちらも可愛い子だった気がする。
帰ったら聴いてみようと思いつつ。
ビッグサイトから離れた頃にスマホを取り出した。
「あ、秋葉? ちょっとミアちゃんについて聞きたいんだけど。ん? 配信!? そんなのがあるのか!? あ? うるせえよ、お前だって新参だろうが!」
こうしてまた一人ミア友が生まれた。
◯
どうしてこうなった。
俺は次から次へとやってくるお客さんに対応しながら内心頭を抱えた。
最初は良かった。
開始直後にやってきた数名はとまるんのファンだったようで、「とまるさん、好きです!」とか「とまるん応援してます!」なんて言って、とまるんと握手していた。
その時のとまるんの笑顔がとても嬉しそうで、思わず俺も列に並ぶべきか悩んでしまった。
中には俺に声を掛けてくれる人もいて、とまるんのファンは温かいなーなんて思いつつ。
次いでミア友までやってきてくれて「ミアちゃん頑張って」「ミアちゃん握手して!」「結婚して!」と応援の言葉も掛けてくれた。
うん、結婚はしないし握手もできないけどね。
気持ちは嬉しいけどね。
最早お約束のように握手をしてすり抜ける芸がミア友の間で流行りつつあるのはどうにかしてほしい。
でも会いに来てくれたのは本当に嬉しかった。
ありがとなミア友。
なんて思いながらちょっと幸せ気分に浸っていた。
空気が変わったのは、そうした俺の様子を見た人たちが質問をしてきたあたりだろうか。
正直感覚が麻痺していたが、幽霊というものは普通の人にとってはとても珍しいものなのである。
いや率直にいえば珍しいどころか未確認物体である。
そんなものが、普通に売り子をしていて、透明だったりすり抜けたり、触れもせずに品物を動かしていれば目立たないわけがない。
俺の外見が小さな女の子だったことも話し掛けやすさに拍車をかけたのだろう。
気付けば、俺のことを知らない人に話しかけられ、握手を求められ、ポルターガイストを使ってみてほしいと頼まれ。
「え、ええと、今友達の売り子をしてまして、購入者以外の人のお相手はできません!」
このままではまずいと思って言ったところ、何故か購入者なら相手をしてもらえるという図式ができてしまい。
長蛇の列と見物人が溢れて今に至るというわけだ。
あわわわ。
これは非常によろしくない。
もしかしなくてもとまるんのイベントを台無しにしてしまっているのではないだろうか。
周囲のサークルさんにも迷惑をかけている気がする。
俺はチラリととまるんの横顔を窺う。
基本的には幽霊を見たい人は俺の前に並んでいる。
つまり、とまるんのほうに行くのはとまるんファンである可能性が高いわけだが。
「とまるんさん応援してます、頑張ってください」
「ありがとうございます、嬉しいです。頑張っちゃいますね」
満面の笑顔でファンサービスするとまるんからは、横の幽霊うぜえなと思っているような様子は感じられない。
むしろ、こちらの視線に気付くと。
「ミアさん大丈夫ですか? ええと、もし困っているなら遠慮なく言ってくださいね」
なんて優しい言葉をかけてくれる。
天使かな?
結婚しよう(ミア友感)
だがしかし、その言葉に甘えてもいいものだろうか。
現状、明らかに周囲に迷惑をかけまくっているよなあ……。
とまるんにも、とまるんのファンにも申し訳ない。
仕方ない。
覚悟を決めよう。
結局のところ、俺がどっちつかずの対応をしてしまったのが良くなかったのだろう。
こうなった以上、素直に思いを伝えたほうが結果的にいいはずだ。
「とまるん、ちょっとごめんね」
「ミアさん?」
俺はとまるんに断りを入れると、そのままスーッと宙に浮いた。
高さ三メートルくらいの位置まで上昇してから止まる。
ざわめきが聞こえる。
驚く人々の顔がよく見える。
中にはこちらを指差す人やスマホを構えている人もいて。
こら、許可なく写真を撮るのはやめろ!
コミケの基本だって聞いたぞ!
本当なら怒るところなんだからな!
「ええと、皆さんすいません、幽霊のミアです!」
十分に注目を集めたことを確認してから、俺は声を上げ、頭を下げた。
「浮いてる」「マジで幽霊?」「なんかのイベントじゃねえの?」「可愛い」「ヤバい」「ミアちゃああああん!」「ミアちゃん頑張れ!」
人々の動揺の声が聞こえる。
というか最後のはミア友だろうか。
う、うん、なんかありがとう。
「すいません、私は今日友達のお手伝いに来てまして! 皆さんが私に興味を持ってくれるのは嬉しいですが、このままだと友達や他のサークルさんの迷惑になってしまいます! そんなわけで、できればそっとしておいていただけると嬉しいです!」
多くの視線が集中しているのを感じる。
うぐぐぐ。
緊張する。
こういう注目の集め方は普段の配信とはまた違って、精神力がゴリゴリと削られるのを感じる。
でもやらないと。
俺のせいでとまるんに迷惑をかけるなんてあってはならないのだ。
「私は普段配信をしてますので、もしどうしても気になると言う方はそちらを見ていただけると嬉しいです! 幽霊、ミアでmytobeを検索すると出てくると思います! そんなわけで、コミケ中は触れずにおいてくれると嬉しいです! よろしくお願いします!」
う……。
言うだけは言ったが、人々の視線が突き刺さる。
い、いたたまれない。
というかさりげなく宣伝みたいなことをしてしまったが良かったのだろうか。
事態を収拾するためとはいえ、ちょっとあざとかったかな……。
どうしていいかわからず、半ば混乱状態になった俺は、取り敢えず逃げを選ぶことにした。
「しからば御免!」
自分でもよくわからないことを口走りながら変身を解除。
つまり透明化する。
途端に消えた俺に驚き、周囲から声が上がった。
「消えた?」「どこいった!?」「え、忍者?」「御免っていったぞ!?」「幼女消えた!」「やっぱ立体映像か?」「アイエエエ!?」「幽霊の忍者?」「ミアちゃん!?」「俺のミアちゃんが!?」
忍者じゃないよ。
幽霊だよ。
あと、お前のでもないよ。
恥ずかしいからあんまり御免に突っ込まないでほしい。
人知れず赤面しながら、俺は姿を消したまま降下を始めた。
これで何とか収まってくれればいいんだけど。
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