閑話 真夜さんの冒険(中)

 落ち着け。

 落ち着け。

 

 私は胸を押さえた。

 

 呼吸が荒い。

 心臓が痛いほど鳴っている。

 

 どうしよう。

 どうしよう。

 

 混乱しそうになる思考を無理やり引き戻す。

 

 右肩を見る。

 そこには変わらずマヨナイトがいてくれた。

 そのことに少しだけ安心感を得る。

 

 落ち着け私。

 おそらく状況はかなり悪い。

 

 似たような状況ならオカルト系のお話でいくつも読んできた。

 ミアミアから聞いたこともある。

 

 おそらく私は今、異空間に閉じ込められている。

 

 無人の校舎。

 紫に染まった外。

 全てがここの異常性を示唆している。

 

 とにかく止まるとまずい気がして走る。

 

 すぐに下足箱に辿り着いた。

 見慣れた光景のはずだが、どうしてこんなにも不気味に感じるのだろう。

 この空間には、そう、悪意を感じるのだ。

 

 玄関を抜けるとすぐに校舎外だけど……。

 

 案の定、扉は閉まっていた。

 震える手で取っ手を掴む。

 

 扉は開かなかった。

 鍵がかかっているのか、ガンッと音がして止まる。

 

 予想はしていたが、泣きそうになる。

 

 おそらく、この空間からは普通には出られない。

 囚われた以上、アッサリと脱出できないのは超常現象のお約束だ。

 仮に、この扉が開いたところで私は無事に元の世界に戻ることは出来なかっただろう。

 

「あは あは あは 見〜つけた」


 後方から聞こえた声に戦慄する。

 

「マヨナイト!」


 振り返ると同時に叫ぶ。

 すぐにマヨナイトが動き、巨大な腕を伸ばして下足箱に立っていた人面鳥を殴りつける。

 

 人面鳥が吹き飛ぶ。

 

 その隙に、私は全力で駆け出した。

 

 とにかく逃げないと。

 

 マヨナイトなら勝てる?

 いっそ戦うべきなのだろうか?

 

 いや、ダメだ。

 よくわからないけど嫌な予感がする。

 足を止めて真正面からやり合うのはマズイ気がするのだ。

 

 ミアミアは?

 ミアミアは来てくれるんだろうか?

 

 最初に通話に出たのは本物のミアミアだったと思う。

 希望的観測が混じっているかも知れないが、私にはそうとしか思えなかった。


 だとしたら、時間を稼げばミアミアは来てくれる?

 

 廊下を走り、階段を駆け上がる。

 そのまま二階に着くと、手近な教室に入り込む。


 教室のドアは開くようで、そこは安心した。

 極力音を立てないように、そっと中に入る。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ」


 机の影に隠れて、荒れた呼吸を整える。

 こんな状況だからか、消耗が激しい。

 

 これでも運動は得意なほうなんだけど。

 やっぱり精神的な負担が大きいのか。

 

 情けない。

 ミアミアを手助けできる存在になりたいなんて思っていたのに、現実は逃げ回りながらミアミアに助けてもらうのを待つばかりだ。

 

 とにかく、体力を回復させるのと、考える時間が欲しかった。

 

 そう。

 考えないと。

 

 もしミアミアが来てくれるなら私のやることは時間稼ぎだ。

 ミアミアの廃墟からこの学校までは、急げば一時間から二時間程度で着くはず。

 仮にミアミアが実家のほうにいたとしたらわからないが、それでもそんなに何時間もかかるとは思えない。

 その間、逃げ回ることが出来ればおそらくは助かる。

 

 でも、もし、そうじゃなかったら?

 

 その可能性を考えるだけで震えそうになる。

 

 ミアミアに連絡が取れていなかった場合、時間稼ぎなんて何の意味もないのでは?

 

 カリカリと、廊下を爪が擦るような音が聞こえて、慌てて口元を押さえる。


「あは あは あは あは」


 廊下側の窓に人面鳥の影が映る。

 その姿は、最初に見た時より一回り大きくなっている気がする。

 

 とにかく物音を立てないようにやりすごさないと!

 

 そう願う私の目の前に。

 

「見 つ け た」


 教室の床から生えるように、人面鳥の顔が出現した。

 

「マヨナイト!」


 マヨナイトの拳が振り下ろされる。

 ドカンと衝撃が発生し、机と椅子のいくつかが弾け飛ぶ。

 

「っ!?」

 

 その破片の一つが左頬を掠めたのか、小さな痛みが走った。

 

 ここだとマヨナイトは物に干渉できる?

 霊的な世界だから?

 人面鳥はどうなった?

 

 目の前には、人面鳥の姿は既にない。

 ただ、視界の端で廊下にいた人面鳥が教室に入ってくるのが見えた。

 

「あは あは あは」

「っ!?」


 咄嗟に走り出し、教室を出る。

 

 どうすればいい?

 どうすれば?

 

「ミアミア、助けてよぉ……」


 涙で視界が滲む。

 とにかく今私にできることは、ただひたすら逃げ回るしかなかった。

 

 

 ◯

 

 

 どれだけの時間が経ったのだろう。

 もう数時間は経過している気もするし、まだ数十分も経っていない気もする。

 

 時間の感覚がわからない。

 

 教室に隠れながら、私は息も絶え絶えに座り込んでいた。

 壁に掛かっている時計を見る。

 時刻は四時四十四分で固定されていた。

 はは、嫌がらせじゃん、むかつく。

 

 スマホも大して変わらない。

 こちらはこちらで、どうやら私がこの世界に取り込まれた時間で止まっているようだ。

 

 ミアミアはまだ来ない。

 もしかしたらもう来ないのかも知れない。

 

 怖い。

 もしミアミアが私の状態に気付いていなかった場合、どうなるのかと考えるだけで身体が震えて蹲りたくなる。

 

「マヨナイト……」


 そっと肩に手を伸ばす。

 私が何とか無事でいられるのはマヨナイトのおかげだ。

 

 あれから、何度もヒヤリとする場面があった。

 それでも、ここまで凌いでこられたのはマヨナイトが敵を迎撃してくれたからに他ならない。

 

 ただ、それ以外にも大きな理由がある。

 

 人面鳥は多分本気を出していない。

 猫がネズミをいたぶるように、私が追い詰められていくのを楽しんでいる節がある。

 

 人面鳥には余裕があるんだ。

 

 マヨナイトに殴られても、ただ消えるだけで痛がる様子もない。

 私を見つけても不意打ちをしてくるでもなく、ワザと怖がらせるような行動を取ってくる。

 

 多分、自信があるんだろう。

 

 私とマヨナイトなんかにやられるわけがないという自信。

 私がこの空間から脱出できるわけがないという自信。


 どうにでもできるという自信があるから、獲物を痛ぶって遊んでいるんだ。

 そう遠くないうちに、私はきっとやられてしまうだろう。

 

「ミアミア……」


 再度、大親友の幽霊少女を思い出す。

 泣きそうな気持ちを抑え込む。

 自分より小さな少女のことを考え、なけなしの勇気を搾り出す。

 

 ……うん、そうだ。

 ミアミアなら絶対にこんなとこで諦めたりしない。

 絶望的な状況でも、きっと真っ直ぐに立ち向かっていくはずだ。

 

 諦めるな。

 諦めたらそこで試合終了だって偉い人も言ってたじゃないか。

 

 それに、私だって何も考えずに逃げていたわけじゃない。


 校舎の一階、二階は一通り回った。

 逃げながらなので細部までチェックできたとは言い難いが、残念ながらこの空間から脱出できそうな場所はなかったと思う。

 

 残るは三階だが……。

 

「怪しいよね、マヨナイト」


 私が三階に上がろうとすると、階段の上から人面鳥が降りてくるのだ。

 最初はたまたま行き合っただけかと思っていたが、そんなことが合計で三度はあった。

 

 おかげで、私はまだ一度も三階より上に行くことができていない。

 一階二階はほぼ探索できているにも関わらずだ。

 

 あからさまな誘導だ。

 逆に罠なのではと思ってしまうほど。

 

 ただ、最初に教室で仕掛けた時、天井から複数の人面鳥が顔を覗かせた。

 それを考えると、あいつらの巣のようなものが三階にあってもおかしくないのではないだろうか?

 

「あれ? そういえば私たちの教室の上って……化学準備室?」


 そこでふと気付く。


 この学校の三階は基本的に特別教室の集まりになっている。

 その配置を思い出すと、私たちの教室の真上にあるのは多分化学室か化学準備室だ。

 

 うん、間違いない。

 担任の大原先生が化学教師だからその辺はよく覚えて……って、えっ、ちょっと待って。

 

 えっと。

 後片付けをせずに帰った高田さん達。

 消えたコックリさんの道具。

 教室の真上から出現した人面鳥。


「もしかしてコックリさんの道具って不思議現象で消えたわけじゃない……?」


 頭の中で、一つの可能性が浮かび上がる。


「あは いた いた あは」


 ツンと鼻にくる異臭。

 教室のドアを開けて、人面鳥が醜悪な顔を覗かせた。

 

「マヨナイト!」


 出会い頭に一撃を叩き込み、廊下へと飛び出す。

 

 違うかもしれない。

 でも、このまま逃げ回っていてもどうせジリ貧だ。

 なら試してみる価値はある。

 

「もしかしたら予想外に脱出口とかあったりするかも知れないし!」


 人面鳥が私を三階に行かせないようにしているのは確かなのだ。

 そこに何かがあると信じて進むしかない。


 とにかく、私は全力で階段を駆け上る。

 

 二階の廊下から三階へと続く階段へと差し掛かった時。

 

「あは あは あは」


 案の定、上から人面鳥が降りてくる。


「マヨナイト!」


 拳が振るわれ、人面鳥が壁に叩きつけられる。

 その隙をついて一気に階段を上り、三階へと到着した。


 いける!

 このまま一息に化学準備室に!


 そう思って足を踏み出した瞬間だった。

 

「…… 殺 す ぞ ?」


 響くような、怨念の籠った声が聞こえた。

 同時に突き刺さる複数の視線。

 

 目、目、目。


 三階廊下には、見渡す限り無数の人面鳥がいた。

 その顔からは今まであった醜悪な笑みが消え、純粋な殺意をもってこちらを睨んでいる。

 

 足が震える。

 

 化学準備室までは後十数メートルといったところだろうか。

 

 間違いなくこの先に何かがある。

 場所が化学準備室とは限らないが、近くに人面鳥が本気になるほどの何かが存在するのだ。

 

 歯の根が合わない。

 

 怖い。

 引き返したい。

 今戻れば、人面鳥も矛を収めてくれるんじゃないだろうか。

 

 やっぱり下でミアミアを待つのが正解なのでは。

 

「マヨナイトォォ!!」

 

 そんな臆病な考えを、私は大声を出すことで振り切った。

 後先なんて考えない。

 全力で前に向けて走り出す。

 

「お前らなんて怖くない!」


 マヨナイトが高速で何度も拳を振るう。

 その度に、こちらに襲いかかってくる人面鳥が弾け飛ぶ。

 

「怖くないんだ! バカやろう!」 


 自分を鼓舞して進んでいく。


 大丈夫、大丈夫、大丈夫。

 

 敵の攻撃は私には届かない。

 全部マヨナイトがなんとかしてくれる。

 

 そう信じて、永遠にも感じる距離を駆け抜ける。

 

 そして、ようやく化学準備室の扉が目前に見えてきた時。

 

「え?」


 ふと、人面鳥の一匹と目があった。

 全身に悪寒が走る。

 その顔は、まるで何かを吐き出そうとするかのように大きく膨らんでおり。

 

「「「〜〜〜〜〜〜!!!!」」」


 おそらくは、その場にいた全ての人面鳥が同時に何かを発した。

 それは、例えるなら音波だろうか。

 まるで脳を直接揺さぶられるかのような衝撃に、ストンとあっさり膝が折れた。

 

 そのまま、前に倒れ込む。

 

「あ、あれ?」


 全身に力が入らない。

 何とか起きあがろうとするが、上半身を起こすことすら覚束ない。

 

「マ、マヨナイト」


 視界の端では、マヨナイトも倒れているのが見えた。

 私と同じで、震えながら何とか起きあがろうとしているができないようだ。

 

「あは あは あは」


 余裕を取り戻したのか、人面鳥の集団が笑いながら近付いてくる。


「あ……あ……」

 

 そのまま、一匹が長い足でマヨナイトを蹴り付けた。

 それから、まるでサッカーでもするかのように、人面鳥の集団が次から次にマヨナイトを蹴飛ばしていく。

 

「や、やめ……やめて……」


 視界が滲む。

 

 やっぱりこいつら、私たちをやろうと思えばいつでも出来たんだ。

 遊んでたんだ。

 

 いや、今もそれは変わらない。

 これから、私とマヨナイトを使って遊ぶのだろう。

 

 まるで現実感のない状況に、頭がボンヤリと麻痺してくる。

 

 どれだけの時間が経ったのだろう。

 気付けば、目の前に一匹の人面鳥が立っていた。

 マヨナイトの姿は視界内には既にない。

 

 人面鳥は、私を見下ろして醜悪な笑みを浮かべると、その大きな口を開いて顔を寄せてきた。

 

 食べられちゃうのかな、と思ったが、どうやら襟首を噛まれたようだ。

 そのまま、廊下をズルズルと引き摺られていく。

 

 死ぬのかな私。

 ごめんマヨナイト。

 私がバカだったから痛い思いをさせちゃった。

 

 ごめんお父さんお母さん。

 親孝行とかできなくてごめんなさい。

 

 ごめんミアミア、私何も出来なかった。

 

「死にたくない……」


 ポツリと漏れた本音は、おそらく誰にも聞かれずに消えていった。

 

 そして。

 

 ガッシャアアアアン! と。

 ガラスが割れるような盛大な音が響いた。

 同時に、世界が揺れる。

 

「あ……」


 私を咥えていた人面鳥が慌てている。

 視界内では、多数の人面鳥が必死に首を動かしながら左右を見ている。

 

 その全てが、まるで怯えるように首を縮めていた。

 

「おい」


 そして、何事もないかのように廊下の窓を開け、一人の少女が入ってきた。

 薄暗い世界でも一際強く輝くストレートのブロンドに、絶世と言ってもいいくらいに整った容貌。

 ファッションセンスは男の子みたいだが、それも含めてあまりに愛くるしいので、彼女の性別を間違える人はいないだろう。


 見た目は小さな少女。

 しかし、今この場では誰よりも頼りになる私の親友。


「真夜さんになにしてんだお前ら。死にたいのか」


 ミアミアが怒りを湛えてそこに立っていた。

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