異伝 救助人ミアちゃん③

 その日、俺は空の上を飛んでいた。

 

 幽霊になって色々あったけれど、良かったと思うことの一つが浮けることだ。

 

 風を肌で感じられないのは残念ではあるが、逆を言えば安定飛行ができるということでもある。

 高所から街並みを見下ろすのは気持ちよく、時々こうして高いところまで昇ってくるのだが。

 

 今日はふとどこまでいけるのかという好奇心が芽生え、かなり上まできてしまっていた。

 

 さすがに宇宙まで行くとどうなるか怖いので試すつもりにはなれないが、雲の上を漂うのは楽しい。

 

 自分が高所恐怖症でなくて良かったと思う瞬間だ。

 

 まあ幽霊になった今、落ちる心配なんてないし、落ちたところでどうなることもない。

 自由気ままな空の旅を満喫しよう。

 

 しかし、こうして広い空を漂っていると、自分がいかにちっぽけな存在か思い知らされる。

 見渡す限りの青い空。

 人間も幽霊も大自然の前には小さなものだなんて感傷に浸りつつ。

 

 あ、飛行機だ。

 

 こちらに向けて、旅客機が一機近付いてくるのが見えた。

 まだそれなりの距離があるはずだが、そこはやはり速いのか、グングンと距離を詰めてくる。


 飛行機が迫ってくるのを真正面から見ることなんてないから新鮮だな、なんて思いつつ。

 

 気付けば、巨大な機体がすぐ目の前にやってきていた。

 

 おおう、衝突の心配はないとわかってはいるけど、やっぱり少し怖いな。

 

 大質量が迫ってくるというのは独特の恐怖感がある。

 

 ふと、好奇心が湧いて、俺は交差する瞬間に飛行機に取り憑き、中を見学することにした。

 

 目論見は成功し、なんとか内部に侵入する。

 当初はよくわからない部分ばかりが目についたが、適当に考えながら移動していくとすぐに客室に行き当たった。

 

「当たり前だけど普通だな」


 と言いつつ、飛行機に乗るのなんて前世以来なものだから、思わず辺りを見回してしまう。

 

 乗客はそれなりにいるようで、席に座って思い思いに話したり、テレビを見たり、音楽を聴いたりと時間潰しをしているようだ。

 

 近くに座っていた女性が機内販売のカタログを見ていたので、背後に浮くようにして覗き込んでみる。

 

 男時代はこういうものをじっくりと読むという意識もなかったが、今改めて見ると結構面白い。

 化粧品やブランド品、お酒やらが多いので購買欲はそそられないが、どんなものが売られているのか眺めるだけでも楽しくなる。


 真夜さんやとまるん、ギャル子さんだったらどれが好きかなーなんて想像しつつ。

 

 ふと、視線を感じて横を向くと、窓際に座っていた女児と目が合った。


 年齢的にまだ就学前だろうか。

 おそらくは六歳くらいだと思う。

 丸く愛らしい顔が、不思議そうにこちらを見て、目を丸くしている。

 

「ママ、あのお姉ちゃん浮いてる」


 俺のほうを指差し、通路側に座っている母親に話しかける幼女。

 

 え。

 もしかして見えているのだろうか。

 

 騒ぎになっていないことからわかるように、俺は当然今可視化をしていない。

 なので、そんな俺に気付けるということは霊視ができるということになるのだが。

 

 そういえば、子供には幽霊が見えるという話を聞いたことがある。

 俺自身、前世も今世も生前は幽霊など見た記憶がないのであくまで人によるのだろうが、中には見える子もいるということだろうか。

 

「どこ?」


 母親らしき女性がこちらを見る。

 しかし、当然のごとく俺に気付くことはできなかったようで、怪訝そうに眉根を寄せた。

 

「何もいないじゃない。またこの子は変なこと言って」

「いるよ、あそこ。金色の髪のきれいなお姉ちゃん」

「もうやめてったら、本当に。そうやってママを揶揄わないの」


 女の子は母親に信じてもらえず、更に怒られてしょげてしまった。

 

 うう、なんかごめんよ。


 俺のせいで怒られてしまったことに申し訳なさを感じる。

 

 どうしようかな。

 

 あんまり長居して、また女の子が叱られても可哀想だ。

 

 そもそも、こうしている間も俺はものすごいスピードでどこか遠くに運ばれているわけで。

 あんまり遠出すると帰るのが面倒そうということもあり、俺は見学は程々にして飛行機から離れることにした。

 

 そうと決まれば話は早い、飛行機へ憑くのを解除して地上に戻ろう、と思った瞬間だった。

 

「うわ!?」


 機内が大きく揺れた。

 

 思わず声が出てしまう程度にはヤバい揺れ方をしたような。

 

 周囲を見回すと、やはり他の乗客もザワついている。

 

 アナウンスが流れ、揺れは乱気流によるものであり、大きく揺れても安全性に影響はないことなどを伝えてくる。

 

 いや、でも普通そういう危険な場所を通る時には事前にお知らせがあるものじゃないのか?

 

 まるで予想外の事態が起こっているとでもいうかのように、今更になってポーンという音とともにベルト着用のサインが点灯、客室乗務員がシートベルトを締めるように伝えている。


 なんだか嫌な空気が漂い始めた頃。

 

 ふと、気配察知に引っかかるものがあった。


「げっ!?」


 慌てて背後に下がる。

 

 同時に、何やら巨大な手のようなものが眼前を通過し、再度機体が激しく揺れる。

 

 乗客から悲鳴が上がる。

 

 先ほど俺を見ていた女の子は、怖いと言いながら母親に抱きついていた。

 

「マジか……」


 俺は慌てて天井をすり抜けると、そのまま縦方向に直進、上部から外へと顔を出した。

 

 メエエエエエエ。

 

 するとそこには、飛行機の後部に張り付くようにして屈む巨大な悪霊がいた。

 言うなればヤギ人間だろうか。

 頭は角を持った白い獣で、首から下は人間の裸身を思わせる。

 

 悪魔か?

 

 有名な存在を思い起こさせる外見だが、その大きさは想像の外にあるものだ。

 全長は数十メートルはあるのではないだろうか。

 目の前にいられるだけでそのプレッシャーに圧倒される。


 そんな巨体が、今俺がいる飛行機の上で長い腕を振り上げていた。


「こんのっ!?」


 振り下ろされる腕。

 先ほどからの揺れはこいつの仕業に違いないと判断した俺は、咄嗟にペネトレイトを発動、迫りくる巨腕を受け止めた。

 

「ぐっ!?」


 ものすごい衝撃が走った。

 

 奥歯を全力で噛み締める。

 気を抜けばどこまでも吹き飛ばされそうだ。

 

 一瞬の間に込められるだけのエネルギーを宝石から解放。ペネトレイトに叩き込み、その力でもってなんとか均衡を保てている。

 

 下手に受け止めたせいで、守る表皮で防ぎきれない衝撃が発生してしまった。

 身体にダメージこそないが、圧力に押し潰されそうになる。


 しかし、俺の下には大勢の人がいる。

 避ける選択肢は最初からなく、こうなってしまった以上押し負けるわけにもいかなかった。


「だらああああ!!」


 再度ペネトレイトに力を注ぎ、無理やりにヤギ人間の腕を弾き返した。

 

「はあ、はあ……っ!」


 己が一撃を跳ね返されたのが予想外だったのか、ヤギ人間の瞳に剣呑なものが宿る。


 なんだこいつは。

 どこから現れた。

 

 さっきまでは確かにいなかったはず。

 少なくとも気配察知に反応はなかった。

 

 であるならば、瞬間移動でもしてきたか、あるいはマシラのように異空間に潜んでいたのか?

 

 どちらにせよ、厄介な手合いには違いない。

 感じる気配も見た目に違わぬ強大さだ。

 

 何故この機体を狙うのかはわからないが、重要なのはこいつがあれほどの揺れを起こせるだけの物理干渉ができるという点だ。

 さすがに物体を一撃で破壊するほどの干渉力は無さそうだが、それでもあれだけの衝撃だ。

 何度も繰り返されると最悪の事態も考えられる。

 

 母親に抱きついて怯えていた女の子の顔が頭に浮かぶ。

 それだけじゃない、老若男女、百人を超える人たちがこの飛行機には乗っているだろう。

 最悪の事態など絶対に起こさせるわけにはいかないかった。

 

「なんなんだお前は! 何のつもりなんだ!」


 叫んでみるが、ヤギ人間は気にする素振りも見せない。

 ただ、邪魔をするなとでも言うように、今度は逆の腕を振りかぶる。

 

 この野郎!

 

 このままではマズいと判断した俺は、再度宝石から穢れた力を解放、ペネトレイトに注ぎ込み、敵とみなしたヤギ人間の顔面めがけて撃ち放った。

 

「穿て!」


 強烈なエネルギーが迸り、敵を貫かんと唸りを上げる。

 しかし。

 

 メエエエエエエ!

 

「は!?」


 俺の放った攻撃は、ヤギ人間に届く手前で何か不可思議な力に阻まれるようにして消失した。

 

「マジかよ!?」

 

 次いで、敵から放たれる叩きつけるような一撃。

 

「このっ!?」

 

 再度、ペネトレイトで受け止める。

 まともに食らえば、守る表皮ですら一撃で消し飛びそうだ。

 特に異能がこもっているわけでもない、ただ単純に巨体から繰り出された攻撃があまりに重い。

 

「がっあああ! 薙げ!」


 何とか弾き返し、デシメイトを発動、広範囲に衝撃をばら撒く。

 しかし、その全てが相手へと届く前に消失する。

 

 能力を防御に振っているタイプか!?

 

 試しに、速さ重視で軽い攻撃を何度か放つがどれも敵まで届かない。

 

 どうする?

 

 取りうる手段としては、今込められる全てのポイントを乗せペネトレイトを放つことだが。

 しかし、その結果として何のダメージも与えられず消されてしまえば目も当てられない。

 無駄に終わる公算が高い以上現実には取りにくい選択肢だ。

 できれば、最後の手段ということにしておきたい。

 

 ではどうするかと考え、ふと、そういえばさっきから敵の攻撃は受け止められているんだなと思い返す。

 

 つまり、そういうことなのだろうか?

 

 ヤギ人間が腕を振り上げる。

 

 俺は、咄嗟にペネトレイトにポイントをぶち込んだ。

 全力で二発は打てると頭の中で計算する。

 

 右腕から溢れるエネルギーがビリビリと肌を刺す。

 膨大な力の収束に、気を抜けば意識を持っていかれそうになるが、歯を食いしばって耐える。

 

 そして、迫り来る巨腕に。

 

「穿てええええええ!!!」


 合わせるようにして右腕を叩きつけた。

 

 途端に巻き起こる破壊の嵐。

 

 衝撃、爆音、閃光。

 

 しかし、幸いなことに、俺は今飛行機に憑いている。

 大きく吹き飛ばされることはなかった。

 ペネトレイトも本来貫通性を重視した攻撃であり、周囲に与える影響よりは前へ進む威力の方が遥かに強い。

 

 結果として。

 

 メエエエエエエ!!?

 

 ヤギ人間の右腕、その肘から先が全て吹っ飛んだ。


「効いたなあ!」


 明滅する視界の中、無理に頭を振り、前を見据える。

 よほど今の一撃が効いたのか、ヤギ人間はひとしきり叫んだ後、憎悪の籠った目で俺を睨みつけてきた。

 

 くるか。

 と思った瞬間、ヤギ人間は飛行機から手を離し、悔しそうに一鳴きすると、飛び上がるようにして空中へと身を踊らせた。


 まさかこいつ、逃げる気か!?


 咄嗟に飛行機と俺の繋がりを解除する。


 もしこのままこいつを逃せば、今後も人を襲う可能性がある。

 そうなると一体どれほどの犠牲が出るかわからない。


 ここで仕留める!


 俺は宙に浮かび上がると、そのままヤギ人間の顔めがけて駆け出した。

 

 直接攻撃が通じるなら!

 

 ありったけのポイントをペネトレイトに込める。

 二度目となる全力での行使に、右腕が悲鳴を上げるが知ったことじゃない。

 

 全力で空を駆ける。

 しかし、敵も脅威を感じたのか、残った左腕で俺を叩き落とそうと行動に移す。

 

 明らかに敵の攻撃が届くほうが早い。

 しかし、直撃じゃなければ問題ない。

 

 迫る掌を見据え、衝突する直前で指の隙間を抜ける。

 もちろん完全にとはいかず、一部が俺の身体と接触するが、それぐらいなら守る表皮が無効化してくれる。

 

「うおおおおおお!!」


 そうして、辿り着いた敵の眼前。

 

 俺は膨大なエネルギーを収束したことによって震える右拳を押さえつけ、その額へと。

 

 メエエエエエエ!

 

 ヤギ人間と視線が合った気がした。

 やめろ、と。

 その目は訴えてきている様子であったが。

 

「うが、てええええええええ!!」


 構わずにそのまま叩きつけた。

  

 目も眩むような閃光。

 そして大爆発。

 

 俺は前後不覚になるほどもみくちゃになりながら吹き飛ばされる。

 

 同時に、莫大なエネルギーが流れ込んでくる感覚。

 それは、ヤギ人間を倒した証であり、今回使った分を補って余りあるエネルギー量だった。


 やはりかなりの強敵だったようだ。

 無事倒すことができたと安堵する。

 

 どれくらい飛ばされたのか、何とか空中で身体の制御を取り戻した頃には、ヤギ人間は影も形も無くなっていた。

 

 幸い、霊の性質なのか、俺から生じた爆発は俺自身にダメージを返してくることはなかった。

 あくまで衝撃に吹き飛ばされただけだ。

 それはそれで目が回りそうなのでやめてほしいのだが。

 

 いけるという確信があったから突っ走ってしまったが、もうちょっと考えないといけないね。

 まあ考えてみればマシラ戦の時も異空間に直接ぶち込んで大丈夫だったわけで、

 

 何はともあれ、一件落着かな?

 

 周囲を見回す。

 

 もう結構な距離が開いてしまっているが、一機の飛行機が無事に空を行くのが見えた。


 大きく息を吐いて安堵する。

 

 良かった、何とか守ることができた。

 あの女の子もきっと無事だろう。


 ふと、遠くを行く飛行機の窓から、女の子がこちらのほうを見ている気がした。

 

 思わず笑ってしまう。

 

 いや、まあこんな距離だし、見えているわけはないだろうと思いつつも、手を振ってみる。

 そもそも、女の子からすれば何が起こったかすらわかっていないだろうし、こちらを見ているということすら俺の妄想かも知れない。

 

 まあ何にせよ守れてよかった。

 

 既に視界の外に消えつつある飛行機を見つめながら、俺はゆっくりと降下を始める。

 

 しかし、結構家から離れちゃったかな。

 

 ここどこだろう。

 何とか早いうちに帰り着けるといいのだが。

 

 相変わらず締まらない自分の姿を思い、満足感の中で苦笑をこぼす俺だった。

 

 

 ◯

 

 

「ママ、ママ」

「ん? どうしたの?」


 揺れが収まり、シートベルト着用のランプが消えた機内で、女の子が座席に膝立ちになり窓の外を見ながら母親に話しかけた。

 

「あのね、金色のお姉ちゃんが怖いのをやっつけてくれたの」

「ええ? また何か見えたの?」

「ううん、なんかね、わかったというか、そんな気がしただけ」

「あのね……」


 こめかみを押さえつつ、ため息を吐く母親。

 その反応に不満を覚えるでもなく、女の子はただ窓の外を眺める。

 

 既に、視界には青い空と白い雲しか映らない。

 しかし、遠くに見えた気がした金色の輝きを求めて、女の子はじっと外の景色を眺め続ける。


「また会えるかな?」


 頬を紅潮させながら息をはく。

 その小さな呟きは、誰の耳にも届かず静かに消えた。

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