閑話 霊能者会議

 とある寺の本堂にて、その集まりは催された。

 次から次にやってくる、中年から老年に差し掛かる男女たち。

 その装いはどこにでもあるような普通の格好で、第三者が見れば何か町内会のイベントでもあるのかと思ったことだろう。

 

「あ、秋山さん、お久しぶり、最近腰の調子どう?」

「みっちゃんとこの娘が結婚したってね。相手は外人だってんだから、時代はやっぱグローバルっていうか」

「あたしゃスマホの使い方なんてろくにわからないからさ。最近は全部息子にやってもらってるよ」


 めいめいに話す様子は、まるで井戸端会議のそれだ。

 しかし、彼ら彼女らは、いずれも対霊現象の専門家、いわゆる霊能者というものだ。

 まるで一般市民のようなノリと装いである。

 いや、事実彼らは一般市民なのだ。

 

 多少特殊な力があるとはいえ、食事もすれば買い物もする。

 一人で無人島で生きていくような知恵も能力もない。

 あるのは霊に対する僅かな知識と、対抗するための力だけなのだ。

 

 それも人によって千差万別で、ただ霊が見えるだけというものもいれば、それなりに強大な悪霊であっても一人で祓ってしまえるものもいる。

 強力な霊能者はほんの一部であり、一概に霊能者はすごいという括りで見られても困る者は多いだろう。

 

 しかし、一握りとはいえ隔絶した能力を持った人間がいるのも事実である。

 そうした強力な霊能者の一人、熊岡若菜はムッツリと腕を組んでいた。

 濡羽色の髪を腰まで伸ばした、美人でスタイルのいい、十七歳の女だ。

 他の人たちがラフな格好をしているのに対し、一人だけ学生服を着ており、隙のない着こなしから生真面目な雰囲気が伝わってくる。

 

 そんな彼女が、やや苛立たし気に立ち上がった。

 

「みなさん! そろそろ本題に入りませんか!?」


 机を叩き、己に注意を向けようとする様子は、苛立ちと意気込みを感じさせる。


 現在この場に若者といえる年齢の人物は、若菜を入れて二人しかいない。

 もう一人の若者、進藤大気は、黙り込み、瞳を閉じて動く気配もない。


 そんな中、他の参加者は話し合いとは名ばかりの世間話を繰り返すだけ。

 自分が主導するしかないと、若菜は鼻息を荒くしていた。

 

「本題っちゅーと、例のミアって女の子のことかいね?」


 頭頂部の薄くなった老年男性が尋ねる。

 一見どこにでもいる老人だが、この会合でも一、二を争う実力者だ。

 

「おっと秋山さん、今、霊と例をかけましたか?」

「いやははは、バレた?」

「ピンときましたよ。何かあるとすーぐ親父ギャグを狙うんだから」


 気を抜くと、すぐに脱線し始める連中に、若菜は青筋を浮かべる。

 

「親父ギャグとかはどうでもいいんです! 問題は、幽霊が我が物顔で! 現世で好き放題している現状でしょう!」


 そして、徹夜で作成した資料を手のひらで叩く。

 事前に全員に配布されたそれは、彼女の性格を表すように分厚かった。


「ミア、という女の子の霊ですが、どうやったのかカメラを通して配信者になり、多くの人間の注目を集めています。既に登録者は十万人を超え、彼女を認識した人数となるとその数倍はいるものと思われます。これを放置しておくと、未曾有の災害に発展する可能性があり、私は早期に退治する必要があると……」

「異議あり!」


 若菜の発言を遮り、声が上がった。

 発言したのは、もう一人の若者である進藤大気。

 

 若者といっても、若菜よりは年上で、今年二十一歳になる。

 昔は、お兄ちゃんと呼び慕っていたこともあったのだが、今となっては疎遠どころか軽蔑の眼差しを向ける相手である。

 何故なら。

 

「ミアちゃんに危険性などは一片もない。彼女はいい子だ。むしろ変な輩が手出ししないよう、我々全員で庇護すべきではないか?」


 ミアちゃんラブと書かれたTシャツを身に纏い、額にはミア友と書かれた黄色のハチマキ。


 そう、大気はミア友であった、

 それも筋金入りだ。

 

 このロリコンが。

 

 若菜は内心で悪態をついた。

 

 これまでも、若菜が強行策を主張する度に、退けてきたのが大気である。

 最早、不倶戴天の敵と言っても過言ではなかった。

 

 老人連中はどっちつかず、のらりくらりと埒が明かない。

 自分がやるしかないと、半ば意固地になり、若菜は声を上げた。

 

「大気さんは黙ってて。事は人命がかかっているの。相手の外見に惑わされて判断を誤ってはいけない」

「何を言っている? 相手は幽霊とはいえまだ幼い女の子だぞ? 悪霊でないことも君なら見ればわかるはず。そんな女の子を寄ってたかって攻撃しようなど、恥ずかしくないのか?」


 恥ずかしいのはアンタの格好よ、という言葉を若菜はすんでに飲み込んだ。

 

 確かにミアという少女は悪霊ではない。

 しかし、それはあくまで今はまだ、ということであり、あれほどの影響力を誇る彼女が堕ちてしまえば、どれほどの災厄をもたらすかわからない。

 

 決して放置していい存在ではないのだ。

 何故みんなそれがわからないのか。

 更に言い募ろうとした若菜を、スッと上がった手が制した。

 

「若菜ちゃんちょっとええかな?」


 次いで口を挟んできたのは、小柄な老女だった。

 この集まりの中でも最高齢であり、実力も高いことから発言力も大きい。

 

 さすがの若菜も無視できず、背筋を伸ばして応対する。

 

「は、はい、なんでしょうか笹塚さん」

「退治するって言うのは簡単だけどね。それ誰がやるんだい? 若菜ちゃんかい?」

「え、いや、ですからそれは、私も含めた皆さんで」


 若菜の言葉に、老女は困ったように笑う。

 それは、聞き分けのない子どもを諭すような、そんな年齢を重ねたゆえの笑みだった。

 

「若菜ちゃんには今更言うまでもないだろうけど、幽霊ってのはこっちから手を出さなければ基本はそれほど害はないのさ。縁を結ばなければ現世への干渉も限られてる哀れな存在だ。もちろん今回のミアって言ったかい? その子のように例外はあるが、そんなのはほんの一握り」


 年間の死亡者で言えば、霊被害より交通事故のほうがよっぽど多いさ、と老女は語る。

 

「まあこのミアって娘の場合は、ちょっと突飛すぎて驚いたけどね。配信だっけ? 時代は進むもんだよ。ああいやつまりね、放っておけば無害な霊でも、退治するとなると話は別だ。殺し殺されっていうのは生半可な縁じゃないからね。向こうの呪いは全部こっちに通っちまうようになる」


 何を当たり前のことをと、苛立ち始めた若菜だが、次の一言で思考が止まった。

 

「で、その子を退治するためにこっちは何人死ぬんだい?」


 思わず呆然と老女を見やる。

 

「何を驚いているんだい? まさかこっちは無傷で、なんて都合のいいことを考えていたわけじゃないんだろう?」

「あ、いや、それは」

「霊になりたての頃ならいざ知らず、今となってはミアって子はかなり危ないよ。もちろん、私たちだって霊能者の端くれだ。本当に彼女が多くの人に害なす存在なら動かざるを得ないけどもね。だから若菜ちゃんにもう一回聞きたいんだよ。私たちが何人死んででも討伐しなきゃいけない理由がこのミアって子にあるのかい?」


 問われ、若菜は口を噤むことしか出来なかった。

 実のところ、若菜は由緒ある霊能者の家系に生まれ、才能にこそ恵まれていた。

 しかし、実践経験は乏しく、格下の悪霊としか戦ったことはない。


 身内から複数の死人が出るなどということは、考えたこともなかったのだ。

 霊の危険性自体は何度も聞かされていたが、実感という意味ではまるで理解できていなかった。

 

「時代だよなあ」


 発言したのは、額が薄くなった実力者の老人、秋山だ。

 

「俺の息子もさ、命の危険がある霊能者なんて嫌だって言って家を飛び出しちまったよ。今では地方でサラリーマンやってる。昔は積極的に霊を狩ってた時代もあったみたいだけど、滅私奉公なんてもう流行らないんだよなあ」

「うちの孫も、霊なんて関わりたくないって言って、配信者目指してるみたいですよ」

「うちの孫なんか、そのミアって子のファンらしいですわ。ミアちゃんに何かしたらお祖父ちゃんでも許さないなんて言われちまって……」

 

 次々に、老人たちが話し始める。

 望ましくない話の流れに若菜が唇を噛む。

 

 その様子を優しく見つめ、老女、笹塚が口を開いた。

 

「幽霊も自然の一部なのさ。私たちに出来るのは助けを求めてきた人に手を差し伸べることだけ。幽霊の根絶なんてできやしないし、目指すべきでもない。大切なことは困っている人がいるかいないか、それだけなんだよ」


 ましてや悪霊でもない霊を、命を懸けて退治して回る必要なんてないんだよと、その眼は語っているように見えた。


 確かに、若菜が知る限りでも人と共存している霊を見逃すなんてよくあることだ。

 今回の件だって、相手がか弱いだけの少女霊であったなら若菜とてここまで強硬姿勢は取らなかっただろう。


「で、でも……」


 将来の危険の芽を摘むのも私たちの仕事じゃないのか、と若菜は思った。

 ミアという少女を放っておけば、日毎に力を増していくだろう。

 手をこまねいている間に取り返しのつかない事態が起こってしまえばどうするのか。

 

「な、なら、私一人でやります」


 悔しさに滲む涙を堪えて、決然と告げる。

 

「若菜ちゃん、それは」


 周囲が止めようとするが、若菜は聞く耳を持たなかった。

 

「皆さんに迷惑をかけなければいいんでしょう? なら私一人でやるなら問題ないはずです!」


 そう叩き付けるように告げ、踵を返す。

 

「若菜、待て! ミアちゃんに何かしたら許さんぞ!」


 大気が追ってくるが。

 

「うるさい! 大気兄ちゃんのバカ! ロリコン! もう知らないから!」


 その手を払いのけ、若菜は駆ける。

 

 悔しかった。

 正しいことを言っているはずの自分が受け入れられないことも。

 昔はカッコよかったのに、いつの間にか変態になってしまった大気も。

 

 何もかもが敵のように思えて、視線を落とす。

 そこには、彼女が徹夜で作った資料があった。

 

「なによ。確かにその若さで死んじゃったのは可哀想かも知れないけど……可愛い子だとも思うけど、幽霊じゃない……」


 幽霊と生者では文字通り住む世界が違うのだ。

 ルールが違えば、道理も違う。

 だからこそ、それを大規模に無理やり結びつける少女の存在は危険極まりない。

 

「私が何とかしないと」


 最早、誰もあてにはできない。

 まるで、世界の命運すべてが己の肩にかかっているような気がして、若菜は手に力を込めた。

 

 

 ◯

 

 

「行っちゃったね」

「あのバカ……」


 本堂に残された面々は、一様にため息をついた。

 中にはこれが若さか、と感心している者もいるが、誰もがあのまま放ってはおけないとは感じている。

 

「俺、止めてきます」


 大気が慌てて跡を追おうとするが。

 

「待て待て。お前さんは幽霊少女側なんだろ? 追いかけたって火に油注ぐだけだ」

「ぐ……」


 秋山に引き止められ、小さく呻いた。

 そんな中、老女、笹塚が息を吐く。

 

「仕方ないねえ。私が行ってくるよ。なに、心配しなくてもミアとかいう子に挑ませたりはしないさ。若い子が死ぬのは偲びないからね」

 

 そう言って立ち上がると、腰を二度三度と叩いた。


「笹塚さん、いいのかい?」


 言外に一緒に行ったほうがいいか? という意味を込めて秋山が尋ねるが。

 

「構わないさ。若菜ちゃんにはちょっと厳しいこと言っちゃったからねえ。責任は取るさ。それに、何だかんだでミアって子が短期間で急成長しているのも事実だからね」


 若菜が配った資料に目線をやる。

 そこにある写真を見て、笹塚は件の幽霊少女に思いを馳せた。

 

 大気の入れ込み具合から見ても、人を惹きつける魅力を持つのは間違いないだろう。

 悪霊ではないのは一目見ればわかるし、良い子なのだとも思う。

 

 とはいえ、本人に悪意がなくとも、周囲に被害をもたらしかねないのが霊というものだ。

 ここまで大っぴらに表に出てきた以上、確かに放置は難しい。

 

「どんな子か確認くらいはしないとかねえ」


 困ったような微笑を浮かべ、資料を撫でる。

 取り敢えず配信とやらを観てみようかと考えながら、笹塚はゆっくりと本堂を後にした。

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