最終話 配信するぞ
気付くと、目の前に蜘蛛神様がいた。
え。
あまりに唐突な事態に、思考が停止する。
あれから、俺は両親の説得を何とかかわし、一度廃墟に戻ってきた。
自分たちもついて行くと言って聞かない両親を、半ば振り切る形で置いてきたので、後が少し心配だが。
さすがに前世の俺の家に招待する気にはなれなかったので仕方ない。
配信が終わればまたすぐ実家に戻るつもりなので、その時に謝ろうと思いつつ。
廃墟の玄関を通り抜けた瞬間、気付けば俺は、緑溢れる謎の空間に来ていた。
一瞬の出来事だった。
何を言っているかわからないと思うが、俺も何をされたかわからない。
頭がどうにかなりそうだった。
思わず、そんな台詞が頭を過ぎるくらいには混乱していたと言っていい。
そして目の前には、全長が窺えないほど巨大な蜘蛛神様だ。
悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
キュウ。
近くで謎の鳴き声が聞こえた。
振り返ると、例の狸もどきが嬉しそうに尻尾を振りながらこちらを見ていた。
何が起きているんだ、と尋ねる間も無く。
『かわいい坊や』
どこかから声が掛けられた。
瞬間、俺の頭の中に浮かんだのは強い安堵感だった。
蜘蛛神様はあまりに近いため、その全体像は見えない。
しかし、下から見上げるだけで、その慈愛が伝わってくる。
蜘蛛神……ではなく、ママは優しい瞳でこちらに来るように呼びかけていた。
わぁい、ママ!
俺は、今までの警戒も何もかもを忘れて、その毛だらけの脚に飛びついた。
ママからすれば、ほんの爪の先に止まる蟻くらいの感覚だっただろう。
しかし、優しく受け止めてくれる、そのモフモフの感触に頬が緩む。
わあい、ママだー!
ママ大好きー!
えへへへ。
強く抱きしめ、頬擦りし、俺はここぞとばかりに甘え倒す。
幸せだなー。
ずっとこのままでいられたらいいのに。
腕と足を使って全力で抱きつく。
ママは俺の全てを受け入れてくれて……。
「んっ!?」
突然、俺の中から何かを抜かれた気がした。
そして、代わりとばかりに何かを渡される。
「なにを……っ!?」
そこで、俺はハタと我に帰った。
ママって何!?
慌てて蜘蛛神様から距離を取る。
え、いや、今俺何してた?
何か蜘蛛神様のことをママとか呼んで甘えまくってなかったか?
文字通り神をも恐れぬ行為に、全身に震えが走る。
何をされた?
精神干渉系の能力か?
全くと言っていいほど何の抵抗もできなかった。
もし蜘蛛神様に敵意があれば、俺はもうこの世に存在してはいないだろう。
な、何をされたんだ?
慌てて自分の身体をペタペタ触る。
そこで、ふと気付いた。
マシラの記憶が無くなっている
正確には、マシラに限らず、俺と混ざっていたと思われる悪霊の部分がゴッソリと体内から取り除かれているのだ。
これは、あくまで無くなった今だからこそ気付けたことだ。
俺自身には、今の今まで混ざっているという意識自体がなかった。
おそらくは、取り除いたつもりで、除けていなかった部分が少しずつ溜まっていたのだろう。
さすがに宝石の能力を開発してからは大丈夫だとは思うが、それまでの蓄積はバカにできなかったのかも知れない。
ひょっとするとその混ざりは、気付かないうちに俺の人格に悪影響を及ぼしていた可能性もある。
その事実にぞっとする。
思わず蜘蛛神様を見やる。
代わりに貰ったものは単純にエネルギーだ。
取っていったものを埋め合わせるかのように、無色のエネルギーが体内に満ちている。
よく見れば、宝石に貯め込んでいた影の少女の穢れた力も、無色のそれに変わっていた。
そんなところまで気を遣ってくれたのかと感心しつつ、せっかくなので改めて体内に取り込んでおく。
よくわからないが、助けられたのだろうか。
精神に干渉されたことはいただけないが、相手は遥か高みの存在だ。
危害を加えられなかっただけで十分過ぎるほどだというのに、混ざりの解消までしてくれたとあっては文句を言うわけにもいかない。
「あ、ありがとう」
取り敢えず、礼だけ言って、足早にその場を後にすることにした。
なんだかんだで怖いものは怖い。
何が原因で機嫌を損ねるかもわからないし、早めに距離を取るに越したことはないだろう。
しかし、騙すにしてもママって何だ。
と思った瞬間。
『また来なさい坊や』
慈母のごとき声が掛けられた気がして、少しだけ振り返る。
蜘蛛神様は、まるで変わりなく、ただそこにあった。
狸もどきが手を振っている。
よくわからないな。
少なくとも、以前まであった警戒心は大分薄れたと言っていい。
蜘蛛神様は味方だやったー! と思えるほど簡単にはいかないが、俺に危害を加えるつもりはないということは今回の件で証明されたと言える。
たまに会いにきてみるかな?
狸もどきに小さく手を振りかえし、俺は今度こそ天井裏を後にした。
◯
自室に戻ってくると、既に結構な時間が経っていた。
もうすぐ配信の時間だと思いつつ、それまでの間、SNSや交流ソフトなどの確認をしていく。
すると、真夜さん、とまるん、ギャル子さんからそれぞれチャットが来ていた。
『ミアミア! 改めて十万人おめでとう! 後、市子さん貸してくれてとっても助かってるよ、ありがとう! またコラボしようね!』
真夜さんらしい内容に顔が綻ぶ。
市子さんはどうやら役に立っているようで良かった。
そうそう悪霊とぶつかることはないだろうが、対抗策があるというだけで精神的な安定度が全然違うはずだ。
とはいえ、市子さんをずっと真夜さんのところに派遣するわけにもいかないだろうから、真夜さんの霊視については、本格的に何か対策を考えないといけない。
俺はこちらこそいつもありがとう、コラボはいつでも大丈夫というようなことを書いて返信しておいた。
次いでとまるんの文に目を通す。
『ミアさん、十万人おめでとうございます。私の曲がお役に立てたようで嬉しいです。もしまた何かあればお声がけくださいね。PS、ポッコちゃんの姿が見たいので、もしよければまた近々遊びに行かせてください』
曲については本当に助かったので、とまるんには何かお礼をしたいところだ。
ポッコちゃんかー。
霊視はマイナス要素も大きいので微妙だが、何とかポッコちゃんの姿だけでも見られるようにできないかな?
ポッコちゃんに可視化能力を仕込むか?
それはそれで問題になりそうな気もするが、一考の余地はあるかも知れない。
これについてもちょっと検討してみよう。
とまるんには、曲を作ってくれたお礼と、いつでも遊びに来てほしい旨、それとポッコちゃんについて少し考えてみると書いて送った。
最後にギャル子さんだ。
『ミアっち聞いて聞いて。実はさ、今日親父に配信者やってることバレちゃってさ。そんなものやめろってうっさいの。どう思う? そもそもさ……』
以下、長文で親に対する愚痴が続いている。
自分と似たような境遇に、思わず笑ってしまった。
やっぱり配信者に対する親の目は厳しいのかな?
何にせよ、ギャル子さんの登録者も日々増え続けている。
このままやめてしまうのは勿体無いし、何にせよ貴重な配信者仲間がいなくなるのは寂しい。
俺で力になれることがあれば協力したいところだ。
俺は、親にカミングアウトして自分も似たような境遇にあること、ギャル子さんがいなくなると寂しいので何とか説得する方法を考えようと書いて返信した。
一通りの確認が終わって一息つく。
思えば、色々なことがあった。
最初にこの家に来た時には、まさか幽霊に触れるパソコンがあるなんて思いもしなかった。
あの頃は人との関わりに飢えていたなあと、感慨深く思い出す。
カメラ師匠のほうを見る。
未だに彼らが何なのかもよくわかっていないが、今はもうそれでもいいんじゃないかと思っている。
大事なのは、パソコンもカメラ師匠もモニターくんも、俺の大事な仲間であるということだ。
これからもお世話になります、という思いを込めてパソコンを優しく撫でた。
そして部屋の隅に視線をやる。
そこには何とも可愛らしくなってしまった口だけさんがいた。
小さくなっても相変わらず定位置に佇んでいる。
よくわからないと言えばこいつもだよな。
結局、あれ以来口だけさんが喋る様子はない。
ミオという名前を出しても無反応だし、俺を庇ったことなんて無かったことのようだ。
悪霊を見つけると駆け出すのはそのままなので、そのうち力を取り戻せば元のサイズに戻るのかも知れないが。
こいつとももっと仲良くしたいんだけどな。
無視されると理解していながら、毎日地道に話しかけているが、効果があるのかどうかは疑問だ。
しかし、きっと声をかけることに意味があるのだろう。
何にせよ、少しずつでも友好度を上げていけたらと思う。
今の口だけさんを見れば市子さんがどういう行動に出るだろうかと苦笑しつつ。
さて、そろそろ配信の時間だ。
俺は小さく伸びをすると、配信のためのソフトを立ち上げていく。
途中、登録者数が目に入る。
十万人を超え、その数は今も増え続けている。
どこまでいくのかわからない。
しかし、登録者がどれだけ増えても俺のやることは変わらない。
ミア友に楽しんでもらおう。
そして、俺も楽しもう。
みんなで楽しい時間が過ごせれば、きっとそれだけで幸せなはずなのだから。
俺の望みは、そんな幸せな時間を大好きな人たちと共に積み重ねていくことなのだから。
『きちゃー!』『こんみゃー!』『ミアちゃんきたあああ!』『今日も可愛い』『愛してる』『ミアちゃーん!!』
「こんみゃー! じゃあみんな、今日も配信はっじめっるよー!」
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