33 温泉旅行に行くぞ(前)

 そして、真夜さんとの旅行の日がやってきた。

 

 一泊二日で東北のとある温泉旅館にお泊まりだ。

 真夜さん曰く、その筋では幽霊が出ると噂の場所らしい。

 

 内容としては、夜に子どもの足音がするとか、笑い声が聞こえたとか、謎のラップ音、オーブが舞うなど、そう大したことが起こるわけではないようだ。

 

 とはいえ、幽霊の実在を最早疑っていない真夜さんである。

 万が一のことを考えると怖くなってしまったようで、俺にお声がかかったというわけだ。

 

「今なら不用意に企画なんかしないんだけど、当時は幽霊いるなら見たい! って気持ちだったからね……」


 若気の至りだよ、とは真夜さん本人の談である。

 

 まあ、俺としても久々の旅行だ。

 考えてみれば男時代は一人暮らしでほぼ出歩かなかったし、ミアとしての生前も、身体が弱かったので遠出したのは数えるほど。

 

 そう思えば、今回誘ってもらえたのは良い機会だったかも知れない。

 霊体なので飲み食いもできなければ温泉にも入れないが、景色や雰囲気を楽しむことはできる。


 ちょっとワクワクしてきた。


 旅館に出るという幽霊は懸念点ではあるが、全く問題ない可能性だってある。

 いや、むしろその旅館で人死にが出たという評判は無いことから、安全である確率のほうが高いのではないだろうか。


 ふふふ。

 友達と旅行なんて、ちょっと前までは考えられなかったことだ。

 なんとなく嬉しくなり、俺は上機嫌に出発した。

 

 ちなみに、カメラ師匠、口だけさん、市子さん、モニターくんの幽霊カルテットは全員連れて来た。

 本当はトラブルメーカーである口だけさんなんかは置いていきたいところだが、何があるかわからない幽霊旅館に行くのに、戦力を減らすわけにはいかない。

 一応、道中にいる霊と余計な諍いを起こさないようには言い聞かせたので、理解してくれたと信じたい。

 

 ちなみにカメラ師匠やモニターくんはともかく、市子さんを連れて行く理由は、遠回しに旅行に行ってみたいとおねだりされたからだ。

 こいつはこいつで実体があるので置いていきたいところではあったのだが、どうにも自我が芽生えたばかりで好奇心旺盛らしい。

 一人でお留守番というのも酷なので、仕方なく真夜さんに頼んでバッグの中に入れて運んでもらうことにした。

 こんな呪いの人形を運ばせて申し訳ない。

 

 そんなわけで準備は万端。

 俺と真夜さんは廃墟で合流した後、バスから電車と乗り継いで、東京駅までやってきた。

 

「ミアミア! 駅弁買う? 駅弁!」

「おおー! 駅弁! い、いや、そうじゃなくて、真夜さん、私の分は買わなくていいから。後声をもうちょっと抑え目で」


 テンションマックスの真夜さんを慌てて止める。

 現在、俺たちはビデオ通話をせず、声だけで意思疎通を図っていた。

 

 さすがにこれから新幹線に乗ろうと言うのに、ずっとビデオ通話を維持するのは多分無理だ。

 通話する振りだけしてもらうことも考えたが、これも同じく新幹線に乗ることを考慮すると、ずっと車内で電話している迷惑客に思われても困る。

 

 そんなわけで、俺は姿を消して、真夜さんの顔のすぐ横辺りを飛んでいた。

 頬がくっつくくらい近付いているので、少しだけ恥ずかしい。

 

 小声でやり取りすれば、目的地に着くまでの間くらいは誤魔化せるだろうと思ったのだが。


「ミアミア! お土産買う? バッナーナのやつ!」

「バッナーナ美味しいですよね! って、違う、そうじゃない。真夜さん、お土産は荷物になるので帰りのほうがいいかなって。後、声をもう少し抑えて……」


 テンション上げ上げ状態の真夜さんは、こっちの配慮など何のその。

 平気で俺に話しかけてくる。

 

 おかげで、周囲から見れば一人で騒いでいる痛い子だ。

 俺は俺で声をかけられる度に反応しちゃうのがよくないのかも知れないが。


 ただ、なんだろう。

 東京駅って広いし人は多いしで、なんだかこれから旅行に行くんだ! という気持ちが強く出てしまうのはわかる。

 慣れてない身としては、非日常感があるんだよね。


 とはいえだ。

 

「真夜さん、今私は周りから見えてないから話しかけないほうが」

「えー、でもせっかくミアミアと旅行に来てるんだからお喋りしたいよ。それに居ないみたいに扱われたらミアミアも悲しいでしょ? 私がちょっとおかしな子に見えるくらい大丈夫! 別に何も言ってくる人いないから!」

「ま、真夜さん」


 まさかの俺のことを思っての行動だったとは。

 思わず感動してしまう。

 ただの考えなしだと思っていた自分を殴りたい。

 

 とはいえ、それはそれこれはこれ。

 さすがに真夜さんが変人扱いされるのがわかっていて放っておくわけにもいかない。

 ここは俺が心を鬼にしてでも、正しい道に導かねば。


「真夜さんが変な風に見られると私が嫌なの。いいから前向いて」

「ちぇー。わかったよ……その代わり、向こうに着いたらいっぱいお喋りしようね」

「うん、約束」


 ふう、取り敢えず納得してくれたようなので安心する。

 

 とはいえ、こっちはまた別事情で気を抜けないのだ。

 さすが大都会東京の中心駅というべきか、思ったよりも霊の数が多い。

 中には力のある存在もチラホラと感知していて、一切の油断ができない。

 

 今のところ近寄ってくる気配はないが、何かあればすぐに真夜さんを連れて離脱できるように心構えはしておく。

 

 さりげなく霊のいない道に真夜さんを誘導しつつ。

 

『おまえらうまそうだなあ』


 とはいえ、さすがに改札の真ん前に立っている奴までは避けようがなかった。

 丸々と太った男の霊だ。

 俺たちを見て、大量の唾液を口から溢している。

 

 俺はさりげなくガントレットを顕現させると、そいつの頭を殴りつけ粉砕した。

 力が流れ込んでくるので、いつものように汚染部分だけを除去していく。

 

 強いやつなら避けるしか無かったが、特に問題なさそうだったからね。

 強行突破することにしたのだ。

 食いしん坊キャラは口だけさんだけで十分なのである。


 一人で霊を倒したことで、口だけさんの物言いたげな視線を感じるが努めて無視した。

 任せても良かったが、こんなところで派手に争って強力な霊の気を引きたくないからね。

 

「ミアミア?」


 何か感じるものがあったのか、真夜さんが尋ねてくるが、何でもないと返しておいた。

 

 もしかしたら俺と長く接するうちに霊感が芽生え始めていたりするのかな?

 

 意外と鋭いところがある真夜さんを誤魔化しながら、俺たちは新幹線に乗り込んだ。


 とはいえ、東京駅を離れ、周囲に悪霊がいなくなると俺の警戒も薄れるわけで。


「真夜さん、ここから富士山って見えるのかな? あ、あれ! あの遠くのやつそれっぽくない!?」

「え、富士山!? どこ!? 見えないよミアミア!?」


 不覚にもはしゃぎまくってしまった。


 気を遣ったのか、真夜さんが窓際に市子さんを置いてくれる。

 俺たちは、改めて三人で窓の外を見ながら騒ぐのだった。


 

 ◯



「うーん、やっと着いたねミアミア!」


 新幹線に揺られること三時間。そこから更にバスを経由して二時間ほどかけて、ようやく俺たちは目的の旅館前に到着した。

 

 朝に出発したのに、時刻はもうお昼を回っている。

 真夜さんは駅弁を食べていたのでお腹は空いていないだろうが、それでもずっと乗り物に乗っているのは疲れるのだろう。

 大きく一つ伸びをする。

 

 俺はというと、もちろん幽霊なので肉体的な疲れはない。

 しかし、なんだかんだではしゃぎまくってしまったこともあり、精神的には若干の疲労を感じていた。


 新幹線に乗るなんて前世ぶりじゃないだろうか。

 幸い、真夜さんの隣の席は空いていたので、俺たちは旅館に着いたらアレがしたいとか、どんな温泉があるのかとか、色々と話しながら移動を楽しんだ。


 後で気付いたのだが、周囲から見れば、真夜さんは市松人形を窓際に置いて、一人で話している変な人だったのではないだろうか。

 市子さんも初の新幹線に興奮したのか、時折ガタガタ揺れていたし、完全にホラー空間が出来上がっていたのでは。


 俺もテンションが上がっていたので、細かいことを考えなかったが、割とやらかした感が否めない。

 一時的とはいえ、自分が幽霊であることを忘れていた。


 東京駅で真夜さんに注意したのは何だったのか。

 このミア一生の不覚である。


 ま、まあ旅の恥はかき捨てだよね。

 気にしない気にしない。


 俺は都合の悪い事実からそっと目を逸らした。

 

 まあ今はそれはいい。

 いや、よくはないが取り敢えず置いておこう。


 本番はここからなのだ。

 今目の前にあるのは幽霊が出るという噂の旅館。

 気を引き締め直し、改めて気配察知に意識を向ける。

 そして。


「まじかー……」


 思わず声が漏れる。

 

 旅館の中からは複数の霊の気配がする。

 しかし、そのどれも大して強くない。

 今の市子さんでも余裕で殲滅できるくらいだろう。

 

 しかし、問題は裏手の山だ。

 旅館は古くから存在している老舗だという。

 人里から少し離れた山間にあり、周囲には自然が多い。

 

 その中でも、旅館のすぐ後方にある山の奥側から非常に強い気配を感じる。

 おそらくは、影の少女やヘルメット男に匹敵するレベル。

 

 いや、あれらの霊に遭った時は気配察知能力は無かったので、正確な力関係はわからない。

 下手に縁を深めないように、気配察知を身につけた後も、奴らを意識して探ることはしないでいる。

 そのため、あくまで当時の俺に比べて段違いに強かったとしかわからないのだが。


 とにかく、裏山にかなり強力な存在がいるのは間違いない。

 旅館内ではないのが不幸中の幸いだが、果たして予定通り宿泊していいものかどうか。


 と、そこで小さな気配が近付いてきていることに気がついた。

 ほぼ浮遊霊と大差ない希薄な存在感だ。

 しかし、何かがおかしい。

 

 そう、迷いなくこちらに向かってくる様子からは、一定の意思を感じる。

 気配の小ささに反比例して、確固とした自我を持っているのか?

 

 相手の正体が掴めず、とにかくいつでも逃げられるようにと警戒する俺。


 果たして、姿が見えてきたその霊は、年端もいかない子どもだった。

 

 古めかしい着物を着込んだ男の子の霊。

 ただし、その顔だけがおかしい。

 歪んでいると表現すればいいのだろうか。

 まるで福笑いで、顔のパーツを右斜め上にズラして完成させればこうなるというような、歪な顔。

 

 それが、ゆっくりと歩いてこちらに向かってきている。

 

「止まれ」


 俺は警告することにした。

 見たところ悪霊ではなさそうだが、目的がわからない以上、不用意に近づけるわけにはいかない。

 

「それ以上近付くな」

『大丈夫だよ』


 果たして、男の子から返ってきたのは要領の得ない返答だった。

 

「大丈夫?」

『マシラ様は何もしないから。安心して』


 こちらと話す気があるのか無いのか。

 言いたいことだけ言うと、男の子はクスクスと笑い元来た道を戻って行く。


 なんだあれは。

 マシラ様?

 それが裏山の大きな気配の持ち主だろうか。

 

 マシラというと猿を連想するが、ただの猿があれほどの気を放つとは思えない。

 長い年月をかけて妖怪化でもしたのか、あるいは人名か。

 

 何にせよ、わざわざそれを伝えに来る意味はなんだ?

 俺たちが到着してからの僅かな時間で、こちらが向こうの存在に気付いたことを察知し、遣いを寄越した?

 

「ミアミア? どうしたの?」


 真夜さんの不安そうな声が聞こえる。

 いけない。ずっと黙ったままだと真夜さんに心配を掛けてしまう。

 

「いや、大丈夫。ただちょっと子どもの霊が来て……」


 俺はザッと今あった出来事を説明する。

 怖がらせたくはないが、さすがに情報の共有は必要だ。

 

「ふーん、変なの。でも悪霊じゃなかったんでしょ? わざわざ安心してって言いにきてくれるなんて親切な霊だね」


 親切なんだろうか。

 なんとなく薄気味の悪さは拭えないが、相手が悪霊ではないことは確かだ。

 

 隠蔽の可能性も考慮するが、そこまでして俺たちを騙そうとする意味もわからない。

 敵意があるなら、回りくどいことをしなくても今襲ってくればいい。

 少なくとも、向こうにも何らかの感知能力がある可能性は高く、それをこちらに知らせにくるメリットがわからない。

 

 俺の考えすぎか?

 

「まあいっか、旅館には何もいないんでしょ? ならここでずっと立ちっぱなしも何だから中に入ろうよ」


 真夜さんの誘いに従い、俺たちは旅館の暖簾をくぐる。


 撤退すべきかとも考えるが、せっかく遥々旅行に来たのだ。

 真夜さんも楽しみにしていたし、俺もできれば宿泊したい気持ちがある。

 勿論明確な危険があるならその限りではないが、ただ嫌な感じだから帰ろうとも言い難い。

 

 気配察知でずっと見張っていれば大丈夫かな?

 

 とにかく、油断だけはしないようにしよう。

 何事もなく楽しい時間が過ごせればと願っていた温泉旅行だが、やはり一筋縄ではいかないようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る