異伝 救助人ミアちゃん①

 ある日、道を歩いていると奇妙なものを見つけた。

 それは空間に空いた穴だった。

 大きさとしては、ちょうど俺が一人通れるくらいだろうか。

 まるで、ヒビ割れた卵の殻が欠け落ちたかのように、唐突に空間に穴が空いている。

 

 なんぞこれ。

 こんなの初めてみた。

 

 最近、配信のためのネタを探して街をブラブラすることが増えているのだが、まさかこんな奇妙なものに出くわすとは。

 

 思わず周囲に目をやる。

 数人ほど人通りはあるが、誰一人こちらに意識を向けている様子がない。

 つまりこの穴は霊的なものということになるのだろうが。

 

 ……あまりにも怪しい。

 

 見ると、パキパキと音を立てながら、穴は少しずつ塞がっていっているようだ。

 一瞬中をのぞいて見ようかと考え、すぐに首を横に振る。

 

 こんな意味不明なものには関わらないほうがいいだろう。

 そもそも閉じようとしているしようだし、中に入って戻ってこられるとは限らない。

 

 人の害にならないなら放っておいていいだろう。

 そう思って立ち去ろうとした時。

 

「ぐすっ……」


 一人の女の子が目に入った。

 やや赤みがかった長髪をポニーテールにしている、小学校高学年くらいの女の子だった。

 何やら嫌なことでもあったのか、涙ぐみながら歩いている。

 

 あっと思った時には遅かった。

 女の子は空間の穴に気付かず接触すると、そのまま中へと消えてしまったのだ。

 

 うわーマジかー。

 

 穴は少しずつ閉じ始めている。

 

 女の子が一人、忽然と消えてしまったのだが、周囲は全く気付いていない。

 

 これこのまま放っておいたら、あの子はどうなってしまうんだろう。

 どう考えてもろくなことにならない気がする。

 案外取り越し苦労で、あっさりと元の場所に戻ってくるかも知れないが、それに期待して見て見ぬふりをするというのも……。

 

 穴は少しずつ小さくなっていく。


 ああ、もう、ちくしょう!

 なるようになれ!

 

 俺は意を決して、穴の中に飛び込んだ。





「ど、どこ、ここ?」


 有栖ありす優希ゆうきは途方にくれていた。

 

 先程まで彼女は悲しんでいた。

 元々、活発で女の子よりも男の子と遊ぶことを好んだ優希は、今日も男友達数人とサッカーをして遊ぶ予定だったのだ。

 ところが、急に男子の一人が、女とは遊べないなどと言い出した。

 

 それはもしかしたら、男の子にとっては好きな子に意地悪をする程度の軽い気持ちだったのかも知れない。

 しかし、他の男の子たちも悪ノリしたことで、優希は完全に仲間外れになってしまった。

 

 優希は怒った。

 結果、殴り合いの喧嘩にまで発展。

 優希は一人、感情に任せて逃げてきたのだ。

 

 どうして自分がこんな目に合わないといけないのか。

 女とか男とかどうでもいいじゃないかと怒りに身を震わせ、しかし悲しくなって涙が出てきたと思ったら。

 

 気がつくと見知らぬ場所にいた。

 

 全く見覚えのない場所だった。

 まず視界に入るのは紫色の空だ。

 今はまだ日が暮れるには早い時間だったはず。

 それに、こんな色に染まった空は見たことがない。

 

 美しい色合いの中に不気味なものを感じ、身を震わせる。

 

 不自然な点は他にもある。

 優希が歩いていたのは住宅街だ。

 アスファルトの道に、両端に建ち並ぶ一戸建て。どこにでもある街並みだったはず。

 

 だというのに、目の前には田んぼが広がっていた。

 見渡す限りの広い空間。

 カエルの声だろうか、ギーコギーコと不気味な鳴き声が聞こえてくる。

 

 優希は怖くなった。

 

 ひとまず、舗装されていない砂利道を道なりに進む。

 遠くには山が見えるが、人家らしきものは見当たらない。

 田畑があるということは、車や農業機械が見つかっても良さそうなものだが、それもない。

 

 まるで自分だけが世界から取り残されたような恐怖を覚えながら、優希は歩いた。


 ふと、田畑の中に人影のようなものを見た気がして、慌てて走った。

 よく見ると、確かに誰かが動いているように見える。

 

 ようやく人と会えたという喜びが、彼女の体を動かした。

 

「あ、あの!?」


 結果として、それが良くなかった。

 彼女の呼びかけに振り返ったものは、人間ではなかった。

 

 例えるなら、人間の体をしたミミズだろうか。

 胴体部分はワイシャツに腹巻き、作業用のカーゴパンツと田舎にいる農夫のような格好をしている。

 

 しかし、首から上が致命的なまでに違った。

 凹凸の無い、のっぺりとした質感。

 およそ人のものではあり得ない首が、ズルリと伸びて近付いてきた。

 

 優希は悲鳴を上げてへたり込んでしまった。

 何が何だかわからない。

 しかし、自分に致命的なことが起こってるのだと察して、歯の根が合わない。

 

 ミミズ男がこちらへと一歩を踏み出した。

 その左手には鎌が握られている。

 

 既に彼我の距離はゼロに近い。

 ミミズ男の腕が振りかぶられる。

 あ、もうダメだ、と一人の少女が己の生を諦めかけた時。

 

「何してるんだお前」


 突然現れた金色の髪を持つ半透明の少女が、ミミズ男を殴り飛ばした。

 その姿は現実感のないこの世界の中だからこそ、一層輝いて見えて。


 天使様が助けに来てくれたのかと、優希は思った

 

 

 ◯

 

 

 危ない危ない。

 あやうく女の子が襲われるところだった。

 

 空間の裂け目に飛び込んだ俺は、謎の世界に足を踏み入れていた。

 一見長閑な田園地帯だが、明らかに異常だった。

 空の色が紫であるのもさることながら、異様に霊らしきものの数が多い。

 

 いや、これらを霊と言っていいものだろうか。

 目を凝らさなければ見えないほど薄い、蜃気楼のような白い人影。

 大きいのもいれば小さいのもいる。

 そんな存在がそこかしこに溢れていた。

 

 どう考えてもまともな場所じゃない。

 そんなわけで、一刻も早く女の子を連れ出そうと決心して歩くことしばらく。

 

 ようやく見つけ出した女の子は、頭がミミズの化け物に襲われそうになっていた。

 

 うげえ気持ち悪い。

 咄嗟に殴り飛ばしたはいいものの、妙な弾力と飛び散る青い血を見て顔を顰めた。

 

「大丈夫?」


 女の子に声をかける。

 見た感じ怪我は無さそうだ。

 何やらぽーっとしているが、化け物に襲われそうになったばかりなのだ。放心するのも無理はない。

 

 俺は改めて手を差し出した。


「大丈夫?」


 再度声を掛けると、女の子はハッとしたように我に帰った。


「あ、う、うん、ありがとう! えっと、あなたは?」

「ミアって言うんだ。たまたま君がこの世界に迷い込むのを見かけて助けに来た」

「あ、えっと、そ、そうなんだね、ありがとうございます?」


 どうやら混乱しているようで、ジッとこちらの顔を見ては首を振ったり、自分の頬を叩いたりしている。

 

 こんな小さいのに怖い思いをして可哀想に。

 いや、外見年齢は俺もさほど変わらないんだけど、こちとら前世も合わせれば中身はいい大人だからね。

 

「怖かったね、もう大丈夫」

「あ……」


 頭に手を置いて撫でてやると、少女は照れたように顔を真っ赤に染めて俯いてしまう。

 おっと、さすがにこれは子ども扱いしすぎたか。

 見た目的には俺も同じ年齢だし、恥ずかしがらせちゃったかも知れない。

 

 視界の端で、ミミズ男が立ち上がるのが見えた。

 

 うーん、白い影たちも集まってきている気がするし、長居するのは良くない気がする。

 俺は手早く脱出することにした。

 

「ちょっと待っててね」


 右腕にガントレットを出現させる。

 

 いけるか?

 

 メキメキと音を立てて、ガントレットが変形していく。

 より攻撃的に、爪は尖り、フォルムはスマートに。

 

 体内にある力を込める。

 銃に弾を装填するイメージに近い。


 元々、ヒビ割れて外界からの侵入を許すような世界だ。

 空間自体の強度はそこまで高くないはず。

 

 なら、込める力は程々でいいか?

 

 見た目的に悪魔の腕のようになってしまったガントレットが光輝く。

 ペネトレイトと名付けたその形態は、込める力に応じてそれを増幅させ、立ち塞がるものを貫き通す。


「穿て」


 果たして、空間それ自体に叩きつけられた右腕は、眩い閃光を発し、周囲にいたミミズ男や白い影を吹き飛ばしながら、見事に空間に穴を開けた。


「よし」


 穴の外には、見知った街路が広がっている。

 霊的な空間であれば破壊できるのではないかと思ったが、どうやらビンゴだったようだ。

 出られない、という最悪の事態を避けられたことに安堵する。

 

「おいで」


 俺はそう言って、ポカンと惚けている少女の腕を取ると、そのまま空間の外へと連れ出した。

 この世界だと、幽霊の俺でも生きている人間に触れるんだなと、今更ながらに気付いて驚きつつ。

 

 俺たちは無事に外へと脱出した。

 どういう仕組みかわからないが、最初に穴へと突入した場所へと戻ってきたようだ。

 

 穴は、やはり自動で修復されるのか、音を立てつつ小さくなっていく。

 懸念点としては、向こうの生き物がこちら側に出てこないかということだったが、どうやら杞憂に終わったようだ。

 

 穴の向こうからこちらを窺うだけで、乗り越えようとするものはいなかった。

 

 安堵の息を吐きつつ、少女の様子を見る。

 

「あ、あれ、私……? ミ、ミアちゃん? ミアちゃん?」


 俺の名前を呼びながら周囲を見回す少女。

 そういえば、今俺は姿を消していたのだと思い出す。

 向こうの世界では普通に触れ合えたから失念していた。

 

 姿を現すべきかと考え、いや、これでいいのかもと思い直す。

 なんだかんだ言っても俺も幽霊なのだ。

 であれば、怖い思いをしたばかりの女の子に、これ以上の負担を与えることもないだろう。

 

 そう思い、黙ってその場を去ることにする。

 

「ミアちゃん!? どこ行ったの!? ミアちゃん!?」


 俺を探す少女の姿に少しだけ申し訳なさを感じながら、それでも一人の女の子を助けられたということに大きな満足感を抱いていた。

 

「もうこんなことに巻き込まれるなよ」


 聞こえないとわかっていつつ、声をかけ、俺はその場を後にした。

 

 後日『金髪 半透明 ミア』などで検索して、moytobeに辿り着いた少女が熱心なミア友になるのだが……。

 俺がそれを知るのは当分先の話だった。

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