16 遭遇するぞ
あれから、口だけさん関連で騒がせたことを謝罪。
とまるんとお婆様には、改めてファンちゃんとの再会に戻っていただいた。
当初は戸惑っていた二人だが、危険がないことがわかると、喜んでファンちゃんを構い始める。
ファンちゃんも、家族に存在を認識されたことが嬉しいのか、非常に甘えていた。
猫ってこんなに喜びの感情を出すのかと驚いた。
考えてみれば、ファンちゃんからすればずっと家族から無視されていたようなものだ。
自身が幽霊になっていることなんて、理解できていないかも知れないし、とても不安だったに違いない。
気持ちはよくわかる。
誰にも認識してもらえないというのは、本当に辛いことなのだ。
世界で自分一人が取り残されたような心持ちになる。
それだけに、今ファンちゃんの喜びはどれほどだろうかと想像して、嬉しいやら悲しいやらよくわからない気持ちになった。
とまるん達が、スマホ越しにファンちゃんを可愛がることしばし。
「そうだねえ、久しぶりに遊ぼうか」
そう言ってお婆様がファンちゃんが好きだったという猫じゃらしのオモチャを取り出した。
ファンちゃんはそれはもう嬉しそうに、触れはしないオモチャを追いかけ回して遊んでいたのだが。
「ファング?」
ひとしきり遊んだ後、ファンちゃんは急に動きを止め、定位置となる座布団の上に戻った。
そしてお婆様ととまるんの顔をそれぞれ見て、小さくニャアと鳴いた。
「ファンちゃん?」
何か通じるものがあったのだろう。
とまるんが不安そうな声を出す。
ファンちゃんの周囲が俄かに光り始めた。
眩しくはない、どこか心が温かくなるような光。
成仏するんだと直感する。
「とまるん、お婆様、ファンちゃんは逝くみたいです」
「そんな……」
「ファング、待っておくれファング……」
遊んでもらったことで満足したのだろうか。
とても穏やかな顔で、まるで光に溶けるようにしてファンちゃんの輪郭が失われていく。
元々長くはなかったのかも知れない。
ただ、家族ともう少し一緒にいたいという気持ちだけで現世に残っていたのだろう。
それも、今日の触れ合いで満足したのか。
消えゆくファンちゃんを何とか引き留めようと、お婆様は必死になって抱きしめようとしていた。
しかし、当然ながらその手は何も掴むことはなく。
ファンちゃんがチラリとこちらを見る。
何となく言わんとすることがわかった気がして、俺は言葉を紡いだ。
「笑顔で見送って欲しいみたいです。大好きな家族に元気がないと辛いから。ただ笑顔で」
とまるんが口元を押さえ泣き崩れる。
お婆様は、かき集めるような手の動きを止め、ファンちゃんがいると思われる方に視線を向けた。
「ファング、ありがと、ありがとうねえ。ごめんよ、不甲斐ないばーばで。心配かけたね。大丈夫だから。私もそう遠くない将来そっちに行くだろうけど、それまでは笑顔で頑張るから。だからファング、心配せずにゆっくりあっちで待っていておくれ」
そう言って、泣きながらぎこちない笑顔を浮かべた。
ニャア、と。
最後に一声鳴いて、お婆様の頬を舐めるファンちゃん。
そして、気付けばそこには何もいなくなっていた。
光の中に消えるようにして、ファンちゃんはあの世へと旅立った。
「うわああああ! あぁあぁあああ!!」
号泣するお婆様と、そばに寄り添い支えるとまるん。
正直、思うところが無かったと言えば嘘になる。
ファンちゃんは確かに存在していたのに、成仏して消えた。
やはり現世にいられる時間には限りがあるのだろう。
……だとしたら、この体もいつの日か消えてしまうのだろうか。
どうしても、お父さんとお母さんのことを思い出してしまう。
俺がいなくても二人は元気にやれているだろうか。
時々様子を見に行こうかと思いつつ、なかなかその勇気も出ないかも知れないと自嘲する。
口だけさんとカメラ師匠のほうを見る。
こいつらって成仏するのかな。
わからないが、素直に消えるようなタマではない気がする。
ふと、部屋の隅でもらい泣きしている真夜さんと目が合った。
なにやらうんうん頷いているので、様子を見ていたら親指をグッと立ててきた。
グッジョブという副音声が聞こえた気がして苦笑する。
真夜さんはどこまでいっても真夜さんで、おかげで湿っぽい空気はどこかに飛んでいってしまったのだった。
◯
「今日は本当にありがとうございました」
とまるんとお婆様の2人に何度も頭を下げられ、恐縮しながら俺たちは祖母宅を後にした。
正直、口だけさんがファンちゃんを殺しかけるというハプニングがあったので、むしろ申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが。
とまるんとお婆様は、とにかくファンちゃんと最後のお別れができたことに感謝していた。
お婆様も生きる気力を取り戻したようで「ファングにいつか会いに行くまでは元気でいないとね」と大笑していた。
もう心配はないだろう。
お礼のスミッチ等は後日届けてくれるらしいし、何はともあれ、ミッションコンプリートと言っていいのではないだろうか。
「さすがミアミアだね! いよ! 名探偵!」
帰り道、真夜さんが持ち上げてくれる。
ちょっと意味がわからないが、褒めてくれているのは理解できるので有り難く聞いておいた。
ちなみに今現在、俺の可視化は解除してあるので、真夜さんとの会話はスマホを通してである。
さすがに半透明状態で街を歩くわけにはいかないからね。
とまるんはもう落ちてしまったので、俺と真夜さんのタイマン通話だ。
いつものこととも言える。
「さすがに疲れました。でも上手くいってよかったです」
「とまちゃんもお婆ちゃんも喜んでたね。ミアミアは良いことしたと思うよ。私も感動しちゃった」
「口だけさんが攻撃しかけた時はヒヤッとしましたけど」
「あれはビックリしたねー」
2人で笑いながら夕暮れ時の歩道を歩く。
既に空は赤く染まっていた。
予想以上に長居をしてしまったようだ。
「でも、ミアミアってやっぱり幽霊の前だと男らしい口調になるよね」
「うえっ!?」
真夜さんからツッコミを受けて動揺する。
えっと、俺何言ったっけ?
まさか前世が男だったことまでバレるわけがないと思いつつも、無いはずの心臓がドキドキする。
「カッコよかったよー! 私にもあんな感じで話してくれてもいいのに」
「い、いや、それはちょっと、というかあれも何と言いますか、自分を奮い立たせるための虚勢みたいなものでですね」
「えーそーなのー?」
不満顔の真夜さん。
いけないいけない。
男を連想させるような言葉はなるべく意識して使わないようにしているのだ。
女の子なのにあんまりガサツなのは今世の母にも注意されたし、好まれないのは俺でもわかる。
元が男だから限界もあるが、なるべく意識していきたいところだ。
そうして真夜さんと話しながら帰る夕暮れ時、ふと違和感に気付いた。
住宅街の中なので、先ほどまではチラホラと人が歩くのが見えていた。
そろそろ駅前に差し掛かるということもあって、むしろ人通りは増えてきてもいいくらいなのだが。
周囲には人っ子一人いなかった。
いや、それどころか。
意識して気付く不快感。
静かな、深く浸透するような異質さが空気中に広がっていた。
「それでさー、ん? ミアミアどしたの?」
真夜さんはまだ気付いていない。
いや、待て。
口だけさんとカメラ師匠はどこに行った?
俺の後ろをついてきていたはずの2人がいない。
どういうことだ。
まさかやられた? いやそんな兆候はまるでなかった。
逃げたのか? あるいは俺たちが隔離された?
嫌な想像に背筋が冷える。
そして、不快な音とともにそれは現れた。
ズル
ピチャ
ズル
ベチャ
「ミ、ミアミア、あ、あれ何?」
どうやら真夜さんにも見えているようだ。
俺たちの進行方向、数十メートル先にそれは突如として出現した。
パッと見はヘルメットを被ったライダースーツの男に見える。
しかし、体の部分部分が不自然に膨らんでいる。
よく見ると、それの体を構成しているのは泥のように液状化した人間の集合体だった。
顔、手、足、蠢くように体を這い回り苦悶の声を上げる元人間だったもの達。
無機質なヘルメットの下に、粘土細工を雑に潰して固めたかのような。
そんな歪な存在がこちらへと向かってきていた。
「ま、真夜さん」
体が震える。
一目でわかった。
勝てない。
あれは影の少女と同質の存在だ。
今の俺ではどう足掻いても、抵抗すらできずに捻り潰される圧倒的強者。
「逃げてください……」
「み、ミアミア……」
真夜さんも震えている。
しかし、その場から動くことはなかった。
否、動けないのだ。
あれを見た瞬間から体が金縛りにあったかのように動かない。
何か超常の力で縛られている?
いや、これは純粋な恐怖だ。
圧倒的な恐怖が俺たちの体から行動の自由を奪っていた。
ヘルメット男は既に眼前まで迫っていた。
『あら素敵』『困りますね』『野菜が安いね』『これ捨てていい?』『ドア開けて』
ブツブツと呟くような声が聞こえてくる。
男の声で、女の声で、老人の声で、子どもの声で。
まるで様々な人間がいっせいに喋り、エコーをかけたような不気味さ。
内容も意味が不明だ。
まともな理性があるようには思えない。
そしてそれは、俺たちの前で足を止めた。
『おいおい、そんな芸じゃ誰も喜ばないぞ』『彼と今度海行くんだ』『人の話聞いてる?』『プリン買ってきて』
ゆっくりと、俺の顔を覗き込むように。
『お前誰?』
複数の声が一斉に同じ言葉を発した。
明らかに意識が俺へと向けられていることを察して。
震えた。
ガントレットを出さないと。
真夜さんを助けないと。
動かないと。
頭の中でとるべき選択肢が流れては消えていく。
やれることはいくらでもあるはずなのに、俺の体は震えるばかりで動かない。
ああ、俺はこんなに弱い存在だったのか。
わかっていたつもりだが、それでも全力を振り絞れば逃げることくらいはできると思っていた。
まさか動くことすらできないなんて。
所詮俺なんて、この化け物にとっては塵芥、吹けば飛ぶような存在でしかないだろう。
ガチガチと歯が鳴る。
このままここで死ぬのか。
絶望感が心を占めていく。
ふと、それの意識が俺から外れた。
『それでお前どうしたんだよ?』『宿題めんどくせー』『お金くれない?』『冷蔵庫が欲しいんだよね』『あいつ殺してやりたい』
既に俺たちから興味は失われたのか、俺と真夜さんの間を通ると、そのまま後方へと消えていく。
どれほどの時間が経っただろうか。
俺と真夜さんは揃ってその場にへたり込んだ。
気付けば、辺りからは人々の喧騒が聞こえる。
いつの間にか、口だけさんとカメラ師匠も戻ってきていた。
どうやら本当に死地を脱したようだ。
「み、ミアミア、だ、大丈夫?」
涙目で震えながらも、真夜さんは俺のことを心配して声をかけてくれた。
怖かった。
俺は何もできなかった。
身を挺して真夜さんを逃すことすら、そのために動くことさえできなかったのだ。
動かなかったからこそアレの注意を引かなかったという意見もあるかも知れない。
しかし、俺が何もできなかったという事実は変わらない。
助かったのは、たまたま運が良かっただけで、本来なら二人揃って死んでいてもおかしくはなかったのだ。
真夜さんを失ってしまっていたかも、と考えるだけで背筋が凍る。
「真夜さん……」
「あはは、何かすごかったね。私、実際にお化けみたの初めてだからビックリしちゃった。虫のやつの時はカメラ越しだったし。本物はあんなにすごいんだね。あははは、は……あ、あれ?」
安心もあったのか、極度の緊張から解放された真夜さんは饒舌で。
そしてその瞳からは涙が堰を切ったように溢れ出した。
「あれ? おかしいな、こんなはずじゃないのに。ごめんね、ミアミア、すぐに泣き止むから」
真夜さんは俺が気に病まないように気を遣ってくれている。
トラウマになるほど怖かっただろうに、懸命に恐怖を押し殺そうとしてくれている。
わずか十六歳の女の子だ。
前世の経験を入れれば俺より遥かに年下の女の子に気遣われて。
強くならないと。
弱いままではいつ死んでもおかしくない。
それも自分どころか周囲まで巻き込んで。
幽霊の世界は残酷だ。
最低限自衛ができるだけの力は必要だ。
わかっていたつもりだが認識が甘かった。
真夜さんは泣きながら、「ごめんね、ミアミア、気にしないでね」と言ってくれるが、そんなわけにもいかない。
俺は今の生活が大事だ。
ミア友がいて、真夜さんがいて、とまるんがいて。
幽霊になった当初、誰にも認識されずにいた寂しかった頃にはもう戻れない。
だから、守る強さを持たなければ。
俺の大事なもの全部傷つけさせないように。
ミア友に、真夜さんに、とまるんに何かあっても助けられるように。
強くならないと。
俺は改めて、心の中で誓ったのだった。
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