4 お化けと殴り合うぞ

 腹部を殴られ、のたうち回る俺は、気付けば唇お化けに首を掴まれ持ち上げられていた。

 いわゆるネックハンギングツリーの状態だ。


「がっ……ぐっ……」


 幽霊状態の俺は呼吸を必要としない。ゆえに窒息の心配はないはずなのだが。

 

「かはっ……かっ……」


 苦しい。

 単純に首を締めつけられることへの痛みか、それとも生前の記憶に引っ張られているのか、息ができない感覚に苦痛を感じる。


 そもそもこの唇お化け、とんでもない馬鹿力だ。

 窒息云々以前に、このままだと首を折られかねない。


 唇お化けの腕を掴む。

 力を込めて引き剥がそうとするがビクともしない。


「がっ……がごぉ……ぐぅっ……」


 死ぬ。

 このままでは死んでしまう。


 俺はまた死ぬのか?

 前世時代、元々大した人生ではなかった。

 特別な才能なんてものは何もなく、自分はどこにでもいるような小市民だと自覚して生きてきた。


 それが何の因果か美少女に生まれ変わった時は少しだけ嬉しかった。

 何かが変わるんじゃないかと。


 勿論男じゃなくなったことへの悲しみは大きかったが、やり直せる、ということへの期待があったのも事実だ。


 なのにそれも病気であっさり死んで。


 幽霊なんて非現実的な存在になってしまって。


 それでもようやく人と交流できるようになったのに。


 配信という希望を見つけたのに。


 また何かを成すこともなく終わるのか。


「ふざけ……るなっ……」


 ふと、自分の中に小さな、本当に小さな力があることに気付いた。

 先ほど俺の配信に来てくれた人たちを思い出す。


 こんなことになって、みんなはどう思っただろうか。

 今頃俺のことなんて忘れて、元の生活に戻っているだろうか。


 いや、わかる。

 心配してくれている。


 全員ではないだろうが、俺のことを気にかけ、画面の向こうにいてくれているんだ。

 腕に力がこもる。


「すぐ帰らなきゃ……」


 ギリギリと唇お化けの腕を握りしめる。

 気のせいか、余裕があった唇お化けの気配から動揺を感じる。


「俺は……」


 少しずつ、少しずつ唇お化けの腕が首から離れる。

 

「もっとみんなとお話するんだあああ! 邪魔するなあああ!」


 力を振り絞り、一息に腕を引き剥がす。

 同時に、その腕を支点にして唇お化けの顔面に、全力の蹴りをぶち込んだ。


 勢いよく後方に吹き飛ぶ唇お化け。


 彼我の距離が再び開いた。

 本来なら追撃の一つもしたいところだったが、首の痛みやら呼吸困難やらでそれどころではなかった。


 薄々感じていたが、本来必要ないはずの呼吸を求めるのは、魂が肉体のあった頃の意識に引っ張られているからかも知れない。


 油断せず、敵を見据える。

 果たして、唇お化けは吹き飛んだ先で、腕を降ろし棒立ちになっていた。


 まるで、騒がしかったオモチャが電池切れで停止したかのような、不自然な挙動。

 そのあまりに無防備な姿に違和感を覚える。


 何だ? 何か企んでいるのか?


 唇お化けは微動だにしない。


 さっきの攻撃が効いた? 


 それにしては立ち姿から深刻なダメージが窺えないが。


 そうして数十秒ほど経っただろうか。

 ふいに唇お化けは、踵を返し、廃墟の中へと戻っていった。

 

「へ?」


 こちらを振り返ることもなく消えていく背中を呆然と見送る。


 えーと、ど、どういうことだ?

 逃げた? 俺は勝ったのか?


 なんだか釈然としない。


 一旦姿を隠して、隙を見て仕掛けてくるつもりか?


 どちらにせよ廃墟に入らないと配信の続きができない。追いかけないという選択肢はない。

 むしろここで唇お化けを見失って、後日油断しているところを襲われるほうが厄介だ。


 最大限の警戒を胸に抱きつつ、俺も再度廃墟の中へと入り込んだ。


 結果として、対象はすぐに見つかった。

 一階の居間に、何をするでもなくボーッと突っ立っていたからだ。


 マジでなんなんだこいつ。


 俺に気付いていないはずはない。なんなら目の前で手を振ってみる。

 しかし、こちらを窺うどころか意識を向けてくる気配すらない。


 自分から仕掛けてきたくせに!


 若干腹が立つが、下手に挑発して襲い掛かってくるほうが困る。

 何故かはわからないが向こうが大人しくなってくれたのなら、迂闊に刺激しないほうがいいかも知れない。


 俺は消化しきれない思いを抱えつつも、唇お化けに背を向けないようにゆっくりと2階へと登っていった。



 ○



 何故か落ちていたパソコンを立ち上げると、すぐにスレを覗きに行く。

 なんとスレは200以上まで伸びており、結構な心配コメントもあった。


 嬉しさと申し訳なさを感じつつ、ひとまず無事を書き込むことにした。

 

 

 234 風来の名無しさん ID:

 放送途中で切れてごめん!

 今戻ったよ!

 枠もすぐ立て直すね!


 235 風来の名無しさん ID:

 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!


 236 風来の名無しさん ID:

 うおおお!

 無事だったか!


 237 風来の名無しさん ID:

 あんな化け物にぶん殴られて無事?

 これは何やら臭いますね


 238 風来の名無しさん ID:

 良かった

 本当に良かった


 239 風来の名無しさん ID:

 お帰りいいいい!


 240 風来の名無しさん ID:

 やったあああああ


 241 風来の名無しさん ID:

 結局何だったん?


 242 風来の名無しさん ID:

 配信再開できるのか


 243 風来の名無しさん ID:

 殴られたように見えたけど大丈夫?


 244 風来の名無しさん ID:

 俺は信じてたよ


 245 風来の名無しさん ID:

 さすがワイの嫁や


 246 風来の名無しさん ID:

 うひょおおおおお!


 247 風来の名無しさん ID:

 な?

 だからやらせだって言ったろ?


 248 風来の名無しさん ID:

 >>245

 俺のだって言ってんだろ

 ○すぞ


 249 風来の名無しさん ID:

 わっふるわっふる


 250 風来の名無しさん ID:

 ペロペロされた?


 251 風来の名無しさん ID:

 一体何があったんだ



 みんな優しくて嬉しくなる。

 そりゃあんな化け物に小学生の女の子が殴りつけられて配信終わったら心配になるよな。


 意図したことではないとはいえ、改めて申し訳ない気分だ。

 こうなったら一刻も早く配信を再開して元気な姿を見せよう。


 そう思い、動画サイトを立ち上げると。


「え゛!?」


 登録者数52人の文字に、思わず変な声が出た。


 そもそもさっきの配信では視聴者が30人程度じゃなかったっけ!?

 いつの間にこんなことに!?


 やはり外見が美少女だからなのか。それとも唇お化けのインパクトか。

 にわかに震え始めた手を抑えつつ、配信を開始する。

 

「えー、えーと、みんなただいまー?」


『待ってた』『無事だったか!』『大丈夫だったの?』『クソ心配した』『あいつ何だったん?』『やらせですか?』『見た感じ怪我はなさそうか』


「心配かけてごめん。あいつはなんか殴り合ったら大人しくなって今一階にいるんだけど……正直怖いからどうしよっかなって」


『ファッ!?』『殴り合うってww』『殴り合うw』『殴り合ったの!?』『うわようじょつよい』『どういう状況w』『一階にいるってヤバくね?』『なんなのアレ』


「あれがなんなのかはよくわかんない。何で襲いかかってきたのかもわかんないから、変に突っ込んでまた襲われても嫌だし、取り敢えず放置してるんだけど……」


『確かにまた襲ってきたら怖い』『いやいや放置も危なくない?』『わかんないのかー』『ああいうのよくいるの?』『今から殴り合おうぜ』『もう一回見せて』


「いやいやいや、ちょっと本気で死ぬかと思ったし殴り合うのはもう勘弁。幽霊はチョコチョコ見るけどあの手のやつは初めて見たかなー。あ、でも駅前にもっとヤバそうなのはいたかも」


『死ぬかと思ったってかなりヤバかったのか』『チョコチョコいる幽霊』『アレと殴り合うとか絶対嫌だわ』『死にかけたの!?』『幽霊って死ぬのか?』『駅前!?』『その駅やべえ』『どこの駅ですか?』『明日からもう駅行けない』


「ご、ごめん、怖がらせるつもりはなかったんだけど。どこの駅かは一応内緒にしとく。色々問題になっても嫌だし」


『最寄駅?』『確かに風評被害とかあるか』『そんなヤバいの放置しといていいの?』『自殺者とか出てそう』『駅とか色々いそうだなー』『怖い(´;ω;`)』『実在する駅名を出すのは問題あるか』


「ごめん。何とかできるならしたいんだけど、アレはちょっと自分の手には負えそうにないっていうか、高名な霊能力者の方とかいるならお任せしたい」


『霊能力者いないの?』『そんなヤバいか』『だから駅名をですね』『怖すぎわろえない』『どんな奴?』『唇人間よりも上なのか』


 実際、唇お化けとは殴り合ったが、あの影相手に同じことができる気がしない。

 なんというか、格が違うとでも言えばいいのか。

 立ち向かうこと自体が無謀に思える。


 あんなのがいて周囲の人間に悪影響が無いとは思えないが、さすがにアレは自分にどうにかできる範囲を超えている。

 通りすがりの霊能力者が退治してくれることを祈るしかない。


「ええとね……ん?」


『後ろー!』『後ろ後ろ!』『ヤバい』『またきた』『逃げろ』『早く逃げて!』


 マジかよ!?


 慌てて振り返ると、すぐ後ろに唇お化けの姿が。


 こいつ性懲りもなくまた!?


 慌ててファイティングポーズを取る。

 

「な、なななんだこら、やるか!? 今度はあんなもんじゃすまさないぞ! 必殺パンチが火を吹くぞ! いいのか!? お前死んじゃうぞ!?」


 素振りしつつ、唇お化けの様子を窺う。


 しかし、予想に反して唇お化けが仕掛けてくる様子は無かった。

 ただジッとパソコン画面を見つめるのみである。


 目がないから本当のところはよくわからないが、多分モニター見てるんだよなこれ?


『こっわ』『必殺パンチww』『可愛すぎてわろた』『怖い怖い怖い怖い』『うわあああああ』『いいパンチだ』『へっぴり腰w』『こえええええ』『ちょ、マジでこんなのいるの』『必殺パンチでなんとかしてくださいよぉー!』

『うおおおおお!』『これと殴り合ったってマ?』


 コメント欄も大盛り上がりだ。


 よく考えると、みんなにも唇お化けが見えているということは、このカメラは俺だけじゃなく幽霊全般を捉えることができるのかも知れない。

 結構重要なことかも知れないから覚えておこうと思いつつ。


 警戒しながら唇お化けを見るが、どうやらこちらに何かしてくる気配は無さそうだ。


 もしかしてコメントを読んでる?


 立ち姿からは意図するところがサッパリわからない。

 俺の前世含む人生の中でも、こんなに謎な存在は初めてだ。


 唇お化けがモニターを眺め、俺が唇お化けを監視する、手に汗握る時間が流れる。

 ふと、唇お化けは思い出したように顔を背けると、歩いて部屋の隅まで移動していった。


「……えーと」


 そのまま隅っこで棒立ちする唇お化け。

 わ、わからん。

 こいつの考えていることがちっともわからん。


『なにがしたいんだ?』『初見です、怖すぎわろち』『なんでそっちにw』『部屋暗いから隅っこにいると余計怖いな』『不気味』『なんか可愛く見えてきた』『襲っては来なそうかな?』『これは悪霊だわ』


「え、ええと、取り敢えず話の続きしようか」


 唇お化けは気になるが、あんまりみんなを放っておくのもどうかと思い、配信を続けることにした。


 勿論やつが動いた際には対処できるよう最大限の注意を払う。

 ちょうどパソコンの反対側にいるせいで、常に背後を気にしながらになってしまうが。

 

『大丈夫なのか?』『めっちゃ後ろ気にするやんw』『そりゃ、あんなのに背を向けるの不安だわ』『へいへいミアちゃんビビってる』『怖いからミアちゃんだけ見てる』『無理しないでいいよー』


「ありがと、ええと、じゃあどうしよっか。あ、今更だけどチャンネル登録50人超えありが……」


 とう、と言おうとして画面を見ると、登録者数83人、視聴者数121人というとんでもない数字になっていた。


「ひえっ」


『すごい声出たww』『声www』『80人超えてるんだよなあ』『可愛い』『このままでは俺のミアちゃんがバズってしまう』『実際JSだし可愛いし透けてるし浮くしお化けでるしでエンターテイメント性高い』『化け物に殴られたインパクトが忘れられない』『大丈夫? 結婚する?』


「いや、その、ありがたいんだけど、これから先そんなに楽しい配信できる自信がないというか、ただみんなとお喋りできれば良かっただけというか」


『可愛い』『かわいい』『お喋りしよう』『おしゃぶり?』『しどろもどろ』『ええんやで』『ミアちゃん見てるだけで癒されるわ』『あぁ〜^』『ホラー系チャンネルとしても需要ありそう』


「あ、ありがとうみんな、でもホラー系人気はちょっと嫌かな……」


 俺自身が幽霊なので、ある程度は仕方ないが、今回みたいなのはもう勘弁である。


 なんなら唇お化けも早くどっか行ってくれないかな。

 いつまでここにいるんだろう。

 もしかして棲みついてるのか?

 確かに廃墟だけどここ俺の家やぞ。退去を要求する。

 

「取り敢えず今から何しよっか。みんな何かやって欲しいこととかある?」


 それから、希望に沿ってアカペラで歌を歌ったり、コメントを拾ってお喋りしたりしていると、時刻は二十三時を回っていた。

 パソコンがあると現在時刻がわかるから便利だなと思う。


 なお、その間唇お化けが動くことは一切なかった。

 ついでなので、視聴者さんに唇お化けの名前を募集したところ、『口だけさん』という名称が妙にしっくり来たので今後そう呼ぶことにする。


 殴られた意趣返しの意味も若干ある。

 まあ口だけさん喋らないんだけどね!


 後、『アーカイブ(いわゆる配信の記録)を残してほしい』と頼まれたので、確認するとちゃんと残る設定にはなっていたようだ。なので消したりせず、ちゃんと残す旨をみんなに伝え、俺はこの上ない充足感に満たされつつ配信を終了した。


 なんなら飲食睡眠不要の幽霊ボディ、続けようと思えば一生続けられるけど、さすがに視聴者さんのことも考えてそれなりの時間で打ち切った。


「あー、楽しかった!」


 素晴らしい時間だった。

 やっぱり人と交流できるのはいい。

 純粋に楽しいし、何より自分はここにいるんだと実感できる。


 幽霊になってから今日まで、自分でも思ってた以上にストレスを溜め込んでいたらしい。


 世界から否定されたかのような絶望感、このまま誰にも認識されずに消えるのかも知れないという恐怖。

 それらから解放されたような気がして、俺はいつの間にか涙を流していた。

 

「あ、あれ、あはは」


 やっぱり幽霊も泣けるんだなんて再度思いつつ。

 つと部屋の隅に目をやる。


 唇お化け改め口だけさんは、配信中から変わらず、ずっとそこに立ち尽くしていた。

 ただ、心なしか意識が俺のほうを向いている気がする。

 

「なんだよ、何見てんだよ」


 泣いているところを見られた気恥ずかしさから、思わずチンピラの因縁のような物言いになってしまった。


 口だけさんは動かない。

 見ようによっては無機物のように、ただひたすらそこにいるだけである。

 

「本当にお前なんなんだろうな」


 ただそこにはもう敵意は無く。

 殴り合った気安さからか、俺は奇妙な親しみすら覚えて笑いかけた。


 まあ襲いかかってきたら容赦なく返り討ちにするけどね!

 俺は強いからな!

 くるなよ、絶対くるなよ!


 一緒の部屋にいるのはちょっと怖いので部屋を出て居間へと移動する。

 明日配信何時からしようかな。朝一は早すぎるかな。お昼時、いやそれだと遅いからやっぱり十時くらいからかな?


 はやる心を抑えつつ、早く朝が来ないかなと願う俺だった。

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