第一章

怪異とは、呪いとは1

 悠一を狂谷敷阿頼耶から救出した華奈樹は、彼をおいて一足先に帰宅した後私服に着替えて彼が帰ってくる気配を感じるまで部屋のリビングのソファに腰をかけて待った。

 何をどのようにどこから説明するべきか。何が原因で急に怪異を見ることができるようになったのか。それをどうやって言語化して伝えるか。それをひたすらに考えながら、自分を責めながら待った。


「……私の、せいだ」


 華奈樹は一般人で言うところの、霊感の強い人間だ。

 幼い頃から怪異を見て、それと戦うことが定められている怪異を祓う退魔家の末裔。

 それが見えて、それと戦う力を持っていることは間違ったことでは無いと思っている。それが華奈樹にとっての当たり前だから。


 しかし悠一は、昨日までは何も見えないただの一般人だった。なのに怪異という心霊や妖怪の類が見えるようになったのは、学校ではそこまで関わりは無いが住んでいる場所が真隣であることと、学校で関わりが無いと言っても全く無いわけではない。

 霊感が強い人と親しくしていると、相手も霊感に目覚めるという話は多々耳にする。

 学校に怪異を見て、それを祓う力を持っている人間はほとんど、というか自分以外にいない。つまり悠一が突然見えるようになったのは、十中八九自分のせいだ。


 あれが見えるようになると、生活は一変する。

 普通の人には見えないのに、自分には見えている。見えていると認識されたら昼夜と場所を問わずに襲撃してくるから、見えていないというふりをして神経を削らないといけない。

 声が聞こえていようが、体に触れてこようが、どのような接触をされても一切動じてはいけない。


 それが生まれた時から当たり前だったし、それを祓う手段を持つ華奈樹からすれば何かされる前に、気付かれずに祓ってしまえば済む話。だが悠一は、見ることも触れることも、現時点では可能だが祓う手段を一つとして持ち合わせていない。

 今からあれの対する反応の鈍化を習得させようにも、かなり時間がかかってしまう。

 呪力の扱いと呪術の習得をさせようにも、あれだってそう簡単にできるようなものじゃない。

 最悪、一切の物事に動じないように感情を無理やり押さえ込ませる必要があるかもしれない。そうなれば、彼の人付き合いが大幅に変わってしまう。


 自分のせいで、彼から親しくしている友を失わせてしまうかもしれない。自分のせいで、今まで通りの生活ができなくなってしまう。

 そのことをぐるぐると考え続けていると、隣の部屋の扉が開いて閉まる音が微かに鼓膜を震わせる。

 すぐに出ていくと待ち構えていたと思われるし、ほぼ一方的にとはいえ一応客人となって彼の部屋にお邪魔するのだから、彼にだって準備が必要だ。


 悠一が帰宅したと分かってから大体十分程度部屋で待機した後、数度深呼吸をしてからソファから立ち上がって玄関に向かい、靴を履いて外に出る。

 十月後半に差し掛かり、冷たい空気が華奈樹のしみのない白い頬を緩やかに撫でていく。

 部屋を出てすぐ左隣の部屋、表札に五十嵐と書かれた扉の前に立ち、冷静に考えたら男子高校生の部屋に上がることになっているなと変な意識を少ししながら、インターホンを押す。


「や、さっき振り」


 少し待っていると、内側から扉が開く。悠一も制服から、時折休日や下校後に外ですれ違う時に見かけるラフな格好に着替えていた。


「改めて、昨日のことを含めた諸々の出来事について、説明しにきました」

「なんか凄い覚悟決めたような目しているけど、そんなにやばいことなの?」

「重大な話です。ここで話すことは、親族含めて他言無用です」

「そんなにか」


 苦笑を浮かべた悠一は、華奈樹が部屋に入るように体をずらす。

 このマンションにはクラスメイトを含めた学校の生徒はいないが、当然他にも住人はいる。このマンションの中で一番若い二人の男女が、部屋の前で立ち話をしているのを見られるとあらぬ誤解を招きそうなので、さっと玄関に足を踏み入れる。

 ほんのりと暖房が効いているのか、玄関まで暖かい空気が流れている。明日出すのか、靴箱前にはビニール紐で縛られた段ボールが置かれている。


「男の子の一人暮らしなのに、綺麗にしていますね」

「男子高校生にどんな偏見持っているの?」


 悠一が先を歩いてリビングへの扉を開けたので中に入ると、多少物は落ちているが綺麗に片付けられているリビングが視界に映った。

 実家のある京都に住んでいた時、一番仲の良い女の子が男子高校生の部屋はそこまで綺麗じゃないと、どこで拾ってきたのか分からない情報を良く話していて華奈樹もそれをそうなのだろうと信じていたため、実際に見て想像と違い少し驚いた。

 その後ろで呆れたような声で悠一が言うと、彼はそのままキッチンの方に向かって電子ケトルでお湯を沸かし始める。


「そこまでしていただかなくても、」

「恩人と客人に対する当然のもてなしだよ。とりあえず、そこのソファに座ってて。刀崎は紅茶飲める?」

「……えぇ。好き嫌いはありません」

「やっぱ少し声掠れているね。マヌカハニー入れてもいい? 喉に効くよ」

「あまり甘くなければ、良いです」

「あいよ」


 言われた通りソファに腰をかけて待っていると、宣伝通りあっという間にお湯が沸き、やや手慣れた手付きで紅茶を淹れてのがキッチン越しに見えた。

 紅茶を淹れてソファの前にやってきた悠一は、丁寧にそれをローテーブルの上に置き、それからダイニングテーブルのところにある椅子を華奈樹の向かい側に持ってきて、そこに腰をかける。

 白い湯気の立っている紅茶の入ったティーカップを取り、一口含む。マヌカハニーの独特な甘味と風味を舌に感じる。


「まず、先に謝罪を。五十嵐さんをこちら側に巻き込むつもりは、一切ありませんでした。こうなったのは全て、私が原因です。ごめんなさい」


 ティーカップを置き、一呼吸置いてから真っ先に謝罪して頭を下げる。

 開口一番謝罪が来るとは思っていなかったようで、悠一が慌てたような声をあげる。


「い、いきなり何!? 君のせいって、単純に俺があのやばいのに目を付けられただけのように見えるんだけど」

「それもですが、五十嵐さんは怪異を見ることができるようになっていますよね」

「怪異?」

「あれのことです」


 怪異という呼び名にぴんと来なかったようなので、彼の部屋のベランダに続く窓の外に張り付いているのを指差し、それを見て納得したように頷く。


「昨日言っていたけど、心霊や妖怪の類なんだって? 本来なら特殊な条件下でしか見えないって」

「はい。一般人であれば今際の際や、怨霊などの類が独自の領域を築き上げその中に人が足を踏み入れた場合にのみ、見ることができます。私達退魔師や呪術師は、場所や時間、条件などの制限無しに見ることができますが」


 心霊スポットなどで肉眼で霊が見えたり、肉眼では見えなくてもカメラに映ったりするのは、その場所に巣食う霊がそこを自らの領地にしていて強い呪いや悪意が吹き溜まり、強い影響力を発揮しているからだ。

 それ以外で一般人は見ることなんてできない。


「どうして、俺が見えるようになったことが刀崎のせいになるんだ」

「五十嵐さんは、霊感が強い人の近くにいるとその人も霊感を得たという話は、聞いたことがありますか?」

「え? まあ、あるにはあるけど」

「簡単に言えば、その状態です。退魔師であり呪術師である私の影響を受け、五十嵐さんの呪力を覚醒させてしまったんです」

「呪力?」

「いわば霊感です。それを持つことが怪異を見る最低条件で、呪術師を名乗るのに必須なものです」


 名前の通り、それは呪いの力。それ単体でも一般人からすれば、体調を悪化させたり不幸に見舞われたりする呪いだ。


「現時点で五十嵐さんは、怪異を目視して触れたり会話することができる程度に呪力があります。他人の呪力に触発されて覚醒したにしては、かなりの量です」

「俺、触れられんの? あんな化け物に?」

「えぇ。体に呪力を纏わずとも、殴ったり蹴ったりすることもできますよ。ダメージは与えられませんけど」


 実感が全くないようで、困惑した表情を浮かべる。

 怪異は問題無く見えているのでその辺の説明はもう少し後にするとして、先に呪力を超簡単に説明しようと左手にそれを纏わせる。


「もう見えているでしょうけど、状況によっては色が変わりますが、この黒とも深い青とも取れる炎のようなもの。これが呪力です。呪術師はこれをこのように手に纏って怪異を殴って祓ったり、道具に纏わせて祓ったり、声に乗せて呪言として放って祓ったり、呪術を使って祓ったりします。霊感がある人というのは最低限少量の呪力を持っていますし、お祓いできる人は見えるだけの人よりも多く持っています」


 自分のせいで後天的に呪力に目覚めたとはいえ、今までそれに触れてこなかったため呪いに対する耐性が低いと判断し、すぐにそれを消す。

 子供のように目を輝かせて見ていた悠一は、残念そうに眉を下げる。


「呪力を覚醒って言っていたけど、それって元々俺にはそれが備わっていたってことか」

「そうです。誰もが他者の呪力に触発されるだけで怪異が見えるようになったりするのなら、この界隈は万年人手不足に悩んだりすることはありません」


 毎日のように舞い込んでくる祓魔の依頼を思い出し、少し大きなため息を吐いてしまう。


「人手不足なんだ」

「とっても。聞きますけど、あなたの知り合いに一人でも霊感が強い人はいますか?」

「……いないねぇ。希少な才能ってことなんだ」

「そういうことです。あなたは頭がおかしいくらい飛び抜けていますけどね」


 じっと見つめると、やはり常軌を逸している。

 まだ呪力を呼び起こされただけで自覚していないが、それにしたって漏れ出ている量が多すぎる。

 もし全ての呪力を自覚し掌握したら、彼は一体どんな化け物呪術師になるのだろうかと背筋を震わせる。


「あの狂谷敷ってやつも言っていたけど、そんなにおかしいの?」

「おかしいなんてレベルじゃないです。触発して目覚めただけで、なんでそんなにあるんですか」

「いや、それを俺に聞かれても」


 本当に何も知らないようなので、これ以上呪力に関する話はしないことにする。


「じゃあ、次。怪異について軽く説明します」

「ん、お願い」


 怪異は、言ってしまえば心霊や妖怪といったこの世ならざるモノだ。退魔師や呪術師は見て触れ、それを祓うことも調伏することで己の使い魔である式神にもできる。

 ではそういった存在はどのようにして生まれるのか。

 それは「信じる」ことと、物事を問わずに「恐れ」、「負の感情を抱く」ことだ。


 心霊や妖怪がいるということを信じる人間は、どれだけ時代が進んでも一定以上いる。一つや二つではそれはただの恐怖心や畏怖でしかないが、それが何千何万と重なれば一つの信仰となる。

 信仰となればそれはこの世界に一つの事象として刻み込まれ、そして例え全ての人間が忘れても刻まれたものは消えないで残る。

 そこに自然災害など人間が太刀打ちできないものに対する恐怖する心や、人と人の間に生まれる嫉妬、憎悪、嫌悪、執着、依存、羞恥、憤怒などの負の感情。これらが地球によって生み出されている霊気と混ざることで呪力に変換され、刻まれた信仰に形を与え、知性と力を与える。


 そうして生まれたものは、最初から己の全てを埋め尽くしている負の感情を原動力に行動し、呪いや祟りといった形で人に災いをもたらし、それらを一括りに怪異と呼ぶ。


「———とここまで説明しましたが、何か質問は?」

「質問しかないけど、とりあえず頭がこんがらがっててこれ以上言われると頭が強制停止しそうだから良いです」


 ツッコミどころ満載で何から言えばいいのか分からなくなり、すでに思考停止しているようなものだがこれ以上言われると冗談抜きで頭が回らなくなりそうなので、とりあえず質問はないと言うことにした。

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