魔を退ける少女2

 翌朝。枕元にあるスマホの目覚ましがけたたましく鳴り、浅く沈んでいた意識が一気に浮上する。

 横にしていた体を起こしてスマホを取り、目覚ましを止める。液晶画面には、六時半の数字が浮かんでいる。


「……あれこれ考えて、あまり眠れなかったな」


 正直二度寝したいが、それをしたら寝坊して遅刻しそうなので、特大の欠伸をかましてベッドから降りる。

 寝室を出て洗面所に行って顔を洗い、鏡で寝癖でかっ飛んでいる髪を整える。

 冷たい水で顔を洗ったから少しはすっきりして、制服に着替えようと洗面所を出て、足がぴたりと止まる。


 悠一の正面には大きな窓があり、それはベランダへの出入り口となっている。

 夜はきっちりとカーテンを閉じているので向こう側は見えていないが、問題はそこじゃない。

 カーテンの前に、人型のようなそうじゃないような、形容し難い姿形の明らかに関わってはいけない類のモノがいる。


(何あれ)


 朝一から冷や汗が止まらず、頬がひくっと引き攣りそうになる。

 もし昨日の夜、華奈樹から言われたことを見た瞬間に思い出さなかったら、きっと驚いて声を上げていただろう。

 しかし目はがっつりとそれと合ってしまっているため、何かあれを誤魔化す方法を考えなければと、眠気が覚めたとはいえ寝起きの頭をフル回転させる。


「……なんか今でかい虫がいた気がするな」


 そして辿り着いた答えは、異様に大きな虫を見つけてそれに驚いたという演技をするというものだった。

 かなり無理矢理だし強引だが、これ以外の方法が思いつかない。

 とりあえず虫を探すフリで視線を部屋に巡らせてから、独り言のように「気のせいか」と言ってから恐ろしい視線を向けてくるそれから逃げるように部屋に引っ込む。


「…………何だあれっ」


 朝から最悪なものを見てしまったと頭を抱え、その場にしゃがみ込む。

 どうにかしようにも悠一は世間一般でいうところの裕福な家庭で生まれ育った長男なだけなので、あんなものをお祓いする技術や知識などあるはずもない。

 もし華奈樹であったら、鏡のように美しい刀を用いて祓っていたかもしれないが、悠一は彼女じゃないので無いものねだりしても仕方がない。

 はぁーっと息を吐き、一旦あれは忘れようと制服に着替える。

 制服に着替えてネクタイを結び、机の上に広がっているノートと教科書を取って学生鞄の中に放り込む。


「これ、持っていた方が良いかな」


 昨夜、別れ際に華奈樹から渡された悪霊退散の字が描かれている札を手に取る。

 持っていた方が良いと言われたし、帰ってから調べたら五芒星は陰陽道でよく使われいて、魔除けとして使われているらしい。

 なので昨日と変わらずなんともいえない奇妙な気配を感じるこの札を持っていれば、あのカーテンの前にいる化け物が嫌がってどこかに行くのではないだろうか。

 そんな期待を抱きながら札をブレザージャケットの内ポケットの中に入れて、鞄を持ってリビングに出る。


「ぎょえぇええええええええええええええ!!??」


 その瞬間、カーテン前にいた化け物が恐ろしい声を上げてバタバタと暴れ出し、大慌てでカーテンと窓をすり抜けて外に出ていった。

 ただそれを持ってリビングに出ただけなのに、予想以上の効果を発揮したそれを、悠一はただ一言小さく呟いた。


「こっわ」



 一言で言うなら、今日の通学路は地獄だった。

 確かに昨日までは見えていなかったはずなのに、どういうわけか今日はよく見えていた。

 見えているとは景色とかそんな話とかではなく、昨日の夜悠一を追いかけ回した化け物や今朝カーテン前にいた化け物の類のことである。


 大量にいるわけではないが、かといって少ないわけでもない。それにあのお札があるおかげで近付くだけで奇声を上げて逃げていくので、何かされたわけでもない。

 ただ、見た目の気持ち悪いやつや恐ろしい奴がいきなり見えるようになって、それが奇声をあげて逃げていくことに精神的に疲れただけだ。


「悠一、おっすー。……どうした?」

「おー、和樹かずきか。おはよう」

「おう、おはよう。で、どうしたんだよ、なんか死にそうな顔してっけど」


 学校に着いて教室に入った悠一は、荷物を置いて椅子に座った直後そのまま机に突っ伏していた。

 学校の中には、化け物はいない。

いや、一応中庭あたりに昨日今日見てきた化け物なんかより余程やばいのがいるのを見かけたが、近くを通った生徒の一人にくっついていた小さなお化けか妖怪を見つけた瞬間、瞬間移動でもしたかのように接近して生徒から引き剥がし、ばりばりと貪っていたのであれはきっと守護霊的な何かだろうと無理矢理思うことにしている。例え姿がどう考えたって、どんな化け物よりも化け物だとしても。


「寝不足。なんか昨日眠れなくてさ」


 声をかけてきた和樹は高校でできた友人で、親友と言っても差し支えない。

 良く一緒に遊びに行ったりする仲ではあるが、オカルトとかは信じていないし幽霊も妖怪もいないときっぱり言っているので、言ったところで何言ってんだとからかわれるだけなのが目に見えたため、適当に誤魔化す。

 寝不足なのは本当のことだが。


「珍しいな。普段から疲れたような顔はしてっけど、寝不足ってわけじゃないのに」

「最近冷えてきたから、多分それだと思う。そろそろ暖かい羽毛布団出した方がいいかもな」

「お前、まだ毛布だけで寝てんのかよ。風邪引くぞ」


 十月も後半に差し掛かっている中でいまだに毛布一枚だけかけて寝ている悠一に呆れたように、苦笑を浮かべる和樹。


「そういうお前はどうなんだ」

「おれか? おれは、可愛い彼女とくっついて寝るから、あまり分厚い布団被ると汗かくんだよな」

「聞かなきゃよかった」

「彼女は良いぞ? 特に可愛く甘えてくるのは」


 にやーっと笑みを浮かべる和樹。彼は高校に入ってから彼女ができ、それはもう毎日幸せそうにしている。

 ただ人目を憚らずにいちゃつくので、数多くの生徒を胸焼けさせているし、独身男子に血涙を流させている。独身男子限定の歩く公害とも呼ばれていたりする。


「ここんとこ毎日お前の家泊まっているだろ」

「そうだなー。言わないでいたけど、今家族が結婚記念で旅行に出かけているんだと。一人になるのは寂しいって言うし、何より可愛い彼女を一人にさせておくなんて不安で仕方ない」

「爛れた生活してそうだな」

「可愛いから仕方ない」

「バカップルめ」


 初めてできた彼女らしいので、もうとにかく猫可愛がりしている。

 その様子を毎日見ていて、毎回胸焼けしている。

 日に日にいちゃつき具合が増していっているので、もしこのまま結婚までいったらどうなることやらと体を起こして伸びをすると、見慣れた艶のある黒色が映る。


 悠一の右斜め前の少し先にある席に、背筋を真っ直ぐに伸ばしてノートに何かを書いている華奈樹がいる。

 教室に着いた時点で既に机についており、昨日は確実に悠一より遅く眠りに就いたはずだろうに、眠そうにしていない。

 艶やかな癖のない黒髪を三つ編みハーフアップにして、派手さは無いが見事に装飾者を引き立たせている硝子細工の簪を挿している。


「ねえ刀崎さん。昨日出された宿題で分らないところがあったんだけど、教えてくれないかな?」

「いいですよ。どの問題ですか?」

「数学の課題。これ本当に難しくてさー」

「あぁ、これですか。応用っぽく見えますけど、これ公式を使えば簡単に解けますよ。やり方はですね……」


 ノートに何かを書いていた華奈樹の近くに、一人の女子生徒がやってくる。その表情から何か困っているかと思ったら、分からない問題があったから手伝って欲しいようだ。

 その頼み事に、華奈樹は嫌な顔一つせずに許諾する。そして分かりやすく丁寧に分からないという問題の簡単な解き方を解説する。


 ああいった光景はよく見かける。

そもそも華奈樹は首席で入学していて、新入生代表挨拶をしている。誰もが目を奪われる美貌に加えて、入試を主席で合格するその頭脳。それで注目を浴びて生徒が接触すれば淑やかで大人しく、凄いと褒められても奢らず人が不快にならない程度に謙虚。

 更にものの説明が上手く、中には先生の授業よりも分かりやすいという生徒もいる。


 悠一も成績はかなり優秀で予習復習も欠かさないが、きっちりと論理的に考えて理解している華奈樹と違って完全に自分の感覚ややり方で理解しているため、彼女のように自分の理解を上手く言語化することができない。

 なのでああやって難しい問題を誰が聞いても分かりやすく説明するのを見るたびに、凄いなと感心する。


「おー、刀崎さんか。今日もまた頼られているねぇ。けど、数学の問題なら悠一の方が成績良くなかったか?」

「俺は刀崎みたいに自分の理解を上手く言語化できないんだよ。お前も知っているだろ」

「そうだったな。そもそもお前、理数系の問題全部暗算でやるし。特に物理」

「物理ほど楽な科目は無いぞ」


 悠一の理数系の授業のノートの内容や問題集の中身を知っている和樹は、他の生徒と違って式とその答えだけしか書かれていないそれを思い出したのか、苦笑を浮かべる。


「おれ、前に刀崎さんにノート見せて貰ったけど超綺麗だったぞ。お前も見習ったら?」

「成績良けりゃいいだろ、俺はこのやり方で来たんだから。あと俺は刀崎のノートがどう書かれているのか知らんから、見習おうにもできん」

「流石、天才の言葉は違うねぇ」

「これでもちゃんと勉強してんだよ」


 悠一が誰にも見せない努力の結果だけを見て、それだけで天才と表現されることを嫌っているのを知っている和樹は、分かっているよと右手をひらひらと振る。

 本人もちゃんと努力していることを知っているため、軽い冗談のつもりで言ったのだろう。それを分かっているので、軽くツッコむだけにした。


「ありがとう刀崎さん! 助かったよ!」

「いえ、お役に立てたならよかったです。ですが、理数系なら五十嵐さんの方が良かったのでは?」


 問題が解決したようで、女子生徒が問題集を抱えながら例を言っている。それに華奈樹は淑やかな微笑みを浮かべ、どうして悠一の方に聞きに行かなかったのかを聞くと、女子生徒が言いづらそうに眉を寄せる。


「いや、あの人の説明全然理解できないから無理」

「ま、まあ、そういうのって得て不得手がありますからね」


 華奈樹の擁護が入ったとはいえ、その擁護すら悠一は説明下手だと言われている気がした。

説明下手ですまなかったなと少しむすっとすると、和樹がけたけたと笑う。

 とりあえず笑われたのがむかついたので、机の前にいる和樹の脛を蹴る。

 軽い戯れあい程度なので大した痛みも無く、和樹もふざけたように「いってー」と言い、なお笑みを浮かべている。


 もういっちょ強く蹴り上げてやろうかと考えるが、チャイムが鳴ったので和樹は蹴られる前にそそくさと自分の席に戻っていった。

 やれやれとため息を吐いていると、担任教師が教室に入ってくる。

 起立礼着席してから、手早く連絡事項を話し始める。

 まず真っ先に伝えられたのは、昨日の夜に学校周辺で変死事件が三件続けて発生したため、生徒の安全を考慮して部活動は当面の間全面禁止、かつ下校時間が繰り上げとなった。

 当然寄り道などもしてはいけないと警告され、一部生徒がつまらないと不満を口にする。


 昨日の夜と聞いた悠一は、深夜に追いかけ回されたことと華奈樹が本物の刀を持って出歩いていたことを思い出す。

 そんなことをするような女の子ではないと思うが、昨夜は他人に見せない素のような部分を見せていたため、もしかしてと考えてしまうがすぐに否定する。

 ならもしかしたら他にもあの化け物の類がいて、それがやったのかと考える。可能性は無くはない。現に、自身も食われそうになったから。

 先生の話を適当に聞き流しながらあれこれ考えているとホームルームが終わり、先生が教室から出て行くが、悠一はそれに気付かない。


「五十嵐さん、どうかしましたか?」


 声をかけられてはっと顔を上げると、机の前に華奈樹が立っていた。彼女の左手には体操着の入った袋が握られており、そういえば一限目は体育だったなと思い出す。

 着替えはそれぞれに用意されている更衣室があるので、教室に残っていても問題は無い。

 ただ、準備をせずに考え込んでいることを不思議に思ったのだろう。


「あぁ、刀崎。ごめん、なんでもない。ただ考え事をしていただけ」


 そう言って机の横にかけてある体操着袋を手にとって立ち上がる。


「そうでしたか。てっきり目を開けたまま眠っているのかと思いました」

「それは地味に怖いやつじゃないか? 寝不足だけど、そんな風に寝ることは無いよ」


 教室の出入り口まで並んで歩く。昨日も思ったが、身長が三十センチ以上違うこともあってかなり小さく見える。華奈樹本人は平均より若干低いだけなので、単に悠一の背が高すぎるだけなのだが。


「五十嵐さんて、本当に背が高いですよね。羨ましいです」


 更衣室までは道が一緒なので、教室を一緒に出てから並んで歩いていると、華奈樹が話しかけてくる。


「ん、そうか? 背が高いと便利なことはあるけど」

「羨ましいです。私、中学に入るちょっと前に身長が伸びるの止まりましたし」


 「そこから中学の三年間で、せいぜい一センチちょっと伸びた程度です」、と付け加える。

 小学生の女子にしてはその当時は高い方だったかもしれないが、高校生となった今は平均より少し低い。

 本人はそれを少し気にしているのか、上背のある悠一に少し羨望の眼差しを向けている。


「そうなのか。ま、俺からすれば刀崎の方が羨ましいと思うけどな」

「……こんな小柄なところのどこが良いのですか」

「そこじゃない」


 そう言うと、何か勘違いしたのか右腕で胸を隠すようにしてさっと離れる。


「……いや、そこでもないからな? 羨ましいって言ったのは……昨日のことだよ」


 周りに下手な誤解をされたく無いので否定し、近付いて華奈樹にだけ聞こえるくらいの小声で昨日のことだと伝えると、じとっとした目を向けられる。


「いつも通り、クラスメイトとしてと言ったじゃないですか」

「いやまあそうだけど、流石になんのお礼もせずにはいられないから。それに、羨ましいのは本当のことだ」

「……幽霊とかが見えることの何が羨ましいんですか」

「隣の芝は青く見えるってやつだ」

「そうですか」


 本人は見えることとあれを倒せることを特別なことだと思っていないようで、凛とした態度を取っている。

 その反応から察するに、華奈樹はずっと昔からああいったのが見えていたのだろう。

 窓の外をちらりと見ると、凄まじい奇声を上げながら鳥のような何かが凄まじい速度で通過していったので、良くもまああんなのを幼い頃から見てきたなと感心する。


「あんなの、見えても何も良くないですよ。見えていると知られたら襲ってきますし」

「それは話に聞いたりするけど、やっぱあれまじなのか」

「本当の話です。今でこそこういった場所で反応しなくなりましたけど、昔は苦労したものです」

「すげぇな。多分俺は……無理なんじゃないかな」


 さっきの鳥のような何かがまた通過していったのを見て、冷や汗を流して頬を引き攣らせる。

 自分を見ないで話したのを感じたのか、ぱっと顔を悠一の方に向け、見ている方向に目を移す華奈樹。

 たった今通過していったので何もいないが、普段から見えているのだからあの鳥のような何かの声は確実に聞こえていただろう。


 悠一自身昨日までは確かに何も見えていなかったので、霊感は無いと言っても良かっただろう。しかし昨日のあの一件以降、確かにこの世ならざるものが見えている。

 それに気付いたのか、信じられないと言わんばかりに目を瞠って見上げてくる。


「五十嵐さん、もしかして、」

「おーい、悠一―。早く着替えないと遅れんぞー」


 何かを言いかけていたようだが、その声は少し先にいる和樹の声に遮られる。


「おう、分かってる。じゃあな、刀崎」

「あ、いえ、あの、」


 今日の体育はグラウンドで行うため、さっさと着替えないと遅れてしまうかもしれない。

 和樹が少し先の方で呼んだので、これは急がないといけないと会話を切り上げて、小走りで向かう。

 また何か言いかけていたが、悠一は振り向かずに和樹と一緒に男子更衣室に入っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る