呪退怪戦 〜呪いを以って怪異を退ける呪い合いの戦い〜
夜桜カスミ
序章
魔を退ける少女1
「……こんなところにこんな時間で、何をなさっているのですか」
高校進学を機に地元を離れて一人暮らししている悠一の左隣には、女神様と学校で比喩されている華奈樹が住んでいる。その表現は、冗談では無いほどに華奈樹は美しく可憐な少女だ。
端的に表現するのであれば、刀崎華奈樹は優秀な女子生徒だ。
成績優秀、スポーツ万能。文武両道や才色兼備という言葉がぴったり似合い、容姿端麗で努力家で、奢らず謙虚で淑やかで大人しく、誰にでも隔てなく接する。
実家がかなり昔からあるらしく、剣術道場を営んでいて小さい頃からそこで剣を学んできたそうだ。
曰く、平安時代からある家のようでかなり歴史が古く格式が高く、厳しく育てられてきたのだろう。
闇夜に溶け込みそうで溶け込まず、三つ編みにされている烏の濡羽の長髪が月明かりで艶やかに照らされている。
焦げ茶の瞳は長い睫毛に縁取られ、鼻梁は見事に整っている。
深夜の月光に照らされている華奈樹は、日中に見るよりも美しく見えた悠一は、彼女の問いにすぐに返答できなかった。
「……そ、それは俺が君に聞きたいんだけど」
悠一はアスファルトの地面に尻餅をついていて、華奈樹を見上げる形となっている。
冷徹とも取れそうなほど冷たい目で見下ろされ、少しだけ言葉に詰まりながら言う。
「五十嵐さんには関係の無い話です」
「いやいやいやいや! 俺さっきまで君が倒した化け物に襲われていたでしょ! 刀崎はなんでか本物の刀持っているし! 関係ある……とは少し言い難いかもしれないけど、せめて説明が欲しい」
説明を求めると、呆れたようなため息を吐き、流麗な動作で右手に持つ抜き身の刀を鞘に納める。
「説明したところであなたには理解できないでしょうし、今回のようなことは非常に稀なことです。そうそう怪……化け物を見ることなんでありません」
どうして悠一が尻餅をついて華奈樹を見上げているのか。
それは、悠一が中々寝付けず機嫌が悪くなったので、気分を晴らすために深夜に短い距離だけでもとランニングを決行したことに起因する。
十月も終わりかけの時期、秋とはいえど夜は冷える。その冷気に心地よさを感じながら、あまり夜更かしすると翌日が辛いのでよく利用するスーパー付近まで軽く走っていたのだ。
そしたら巨大な芋虫のようでありながら人の顔のようなものが付いていて、両側に足が十本生えているという意味のわからない化け物と遭遇し、それとばっちり目があって襲われた。
情けない悲鳴を上げながら全力で逃げ回ったが、後ろからその化け物が低くも聞こえるし高くも聞こえる赤ん坊のような声を出しながら、悍ましい動きで追いかけてきたのでなおさら恐怖心が募った。
それで走り回ること十分。曲がる道を間違えるという致命的なミスをして行き止まりに追い詰められ、異臭のようなものを発する化け物が猛スピードで迫ってきてあわや圧殺される寸前で、いきなりそれが左右に分かれた。
左右に分かれた化け物は慣性の法則に従って悠一の左右を通過していき、何が起きたのか理解できないのと助かったことによる安堵で腰を抜かし、それで地面に尻餅とつく形で座り込んだのだ。
そしてそこで、美しい花柄の丈の短い着物に身を包んだ華奈樹の姿を確認できた。
「必要な説明全部省略して結論だけ言えば、あれはいわゆる心霊や妖怪の類です。具体的には少し違うのですが、そこを説明すると時間がかかりすぎるので」
「え、あれお化けとかその類なの?」
お化けどころかただの化け物でしかなかったのだが、華奈樹の表情は至って真面目で嘘をついている様子も無いので、本当なのだろう。
「そうです。なので本来なら、霊感の無い五十嵐さんはあれを見ることすらできないはずなのですが……今夜は運が悪かったようですね」
ご愁傷様と言わんばかりの憐憫の目が向けられる。
「運が悪いって、どういう……」
「心霊番組でも、いつもは見えていないのにいきなり霊が見えてびっくり、なんて展開は腐るほど流れるでしょう? 特殊な条件が重なった結果です。運が良いのか悪いのか判別しづらいですが、今の五十嵐さんにしてみれば最悪の運ですね」
「刀崎は、ああいうのはずっと見えているのか?」
「えぇ、物心付いた時からずっと。ですので今更怖く無いのかと言われても、全く怖くはありません」
ゆっくりと足音を立てずに悠一の近くに寄り、剣術をずっと習い続けているとは思えないほど細く綺麗な指のある手を差し出してくる。
やっと自分がずっと尻餅をついたままなのを思い出し、その手を取って立ち上がる。
並んで立つと、華奈樹はかなり小柄に見える。というか実際、悠一から見れば小柄だ。
悠一が今の時点で百八十半ばと高身長なのもあり、平均より若干低いらしい華奈樹は背筋をぴんと伸ばして立っていても、頭が胸あたりに来る。
こんな小柄な体躯で、どうやってあの芋虫のような化け物を一刀両断したのだろうと、不思議に思う。
「……何か変なこと考えていませんか」
「いいや」
「……本当ですか?」
問いに対して即答しすぎたためか、少し疑われている。
「本当だって。ただ、どうやってあんな化け物をあんなに容易くぶった斬ったのか、気になっただけ」
「そこは教えられません。あと私がどうしてこの時間に出歩いているのかも、秘密です」
「普通に気になるって。刀崎ほどの女の子がどうしてこんな時間にいるのか、気にならないわけ無いだろ」
「黙秘権を行使します。まだやることがありますけど、ついてこられると正直迷惑なので自宅まで送りますね」
「明け透けに言うね……」
学校での華奈樹は、ここまではっきりと物事を言う少女では無いのを見ているので、違和感が凄まじい。
いつもは優しく穏やかで、何かを否定する時は遠回しに相手を傷付けないようにしているのをよく耳にする。
言葉遣いは誰にでも丁寧で、声は清涼で聴き心地が良く、好印象を与える。
今も言葉遣いは丁寧だし、声もいつも通り清涼だが、学校と違って隠さずに自分の意見を述べてくる。
「事実を述べたまでです」
くるりと背を向けて、そのまま歩き出していく。悠一は、その小さな背中を慌てて追いかける。置き去りにされて、またあんな化け物に襲われては堪ったものではない。
誰も歩いていない真っ暗な深夜。鼓膜を震わせるのは華奈樹の草履でアスファルトを踏む音と、自分のスニーカーがアスファルトを踏む音、そして互いの呼吸音だけだ。
何も話さず前を歩いていて、そして学校でいつも見るハーフアップにして硝子細工の簪を挿している髪型と違って三つ編みにしていてそれが尻尾のように左右にゆらゆらと揺れ、時折白いうなじがちらりと見えて気まずくなる。
「刀崎は、漫画とかで言うところの陰陽師みたいなことやっているのか?」
意識を逸らすついでにこの無言をどうにかしようと質問を華奈樹に投げかける。
返答は無い。
「刀で心霊や妖怪の類だって言ったあの芋虫とは言い難い化け物斬ったけど、何か特別な道具なのか?」
変わらず返事は無い。どうやら本当に説明するつもりは無いようだ。
ただただ気まずい無言の時間が続く。
悠一は特別な感情を華奈樹に抱いているわけではない。
もちろん悠一の目には華奈樹は非常に魅力的に映るし、綺麗とか可愛いとかそういった感想を抱く。ただ、好印象を抱くだけで好意までは行かない。
悠一と華奈樹はあくまで住んでいるマンションが一緒で、偶然隣人なだけなクラスメイトだ。それ以上でもそれ以下でも無いため、会話を持ちかけても彼女がそれに応えない限り次々と話題が出てくるでもない。
どうしようかと悩んでいる間に、いつの間にかマンションに到着していたようで華奈樹が立ち止まる。
「では、私はここまでです。まだやることがありますので」
「……やっぱ、君一人だと不安だから俺も行った方が、」
「結構です。足手まといとなるのが分かっていながら近くにいられると邪魔です」
やはり、学校で見せるのとは少し違う話し方に違和感を感じる。
「……申し訳ありません。少し言葉が強すぎました。謝罪します」
言葉を返さずにいることを、悠一が不快に思ったのだと受け取ったらしい華奈樹は、申し訳なさそうに眉尻を下げて、折り目正しく腰を折って頭を下げる。
「い、いや、いいよ。刀崎の言う通り、足手まといになるだけなのは分かっているから。ただ、女の子が一人で深夜の町を歩くのが心配なだけなんだ」
「心配していただき、ありがとうございます。ですが、よほどのことがない限り人間に襲われても返り討ちにできますので、お気になさらずとも結構です」
「そういうのするっと言えるあたり、君本当にすごいね」
なんでかその場面を容易に想像できてしまう。
「では、早く部屋に戻ってください。あ、一応これ渡しておきますね」
そう言って着物の左袖の中に手を突っ込んで、そこから何かを取り出す。それは一枚のお札だった。
赤い墨で五芒星が描かれており、その上に達筆な字で悪霊退散の文字が書かれている。
「今回のようなことは滅多に無いとはいえ、全く無いわけじゃありませんので。それがあれば、お化けに憑かれるなんてことはありませんので、とりあえず持っていてください。それと、もしまたああいうのが見えても、絶対に反応しない方がいいです。見えていると知られたら、ほぼ確実に取り憑かれますので」
「お、おう……?」
なんか札から奇妙な気配というかなんともいえない何かを感じ取り、若干言葉に詰まる。
「あぁ、あと今夜のことは誰にも言わないでください。言ったところで信じないと思いますけど、知られると説明が面倒なので」
「……あの化け物に追いかけ回された被害者の俺にも、ほとんど説明が無いけどな」
「五十嵐さんはこちら側の人間ではありませんから。ついでに、明日学校で会ってもいつものようにただのクラスメイトとして接してください」
最後にそれだけ残して、折り目正しく腰を追って頭を下げてからくるりと振り向き、一度の跳躍でマンションの向かいにある電柱のてっぺんに着地し、そこから一定間隔で並んでいる電柱を足場に闇夜に包まれた町に消えていく。
それこそアニメや漫画とかでしか見たことのない行動で去っていった華奈樹を見て、悠一は数秒の間呆然と立ち尽くし、開いた口が塞がらなかった。
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