第42話 降り積もる想い


 青白い木立を、強い風が吹き抜けてゆく。


「オキは……勇太くんの体から出る前に、まだ帰れぬって言ったよね? だからあたし、あなたが猫のオキのもとに戻らないのは、なにか理由があるからだと思ってた。でも……ちがったの? 裏切られた恨みや怒りを、ただまわりの人にぶつけてただけなの?」


 不安を消したくて、結良は質問を続けた。


「あたしたち、二つに分かれたオキの魂が光と影みたいだって思ってた。だからあなたの事を、みんなで〈影〉って呼んでた。あなたは本当に影なの? 光と離れてしまったから、負の感情だけになってしまったの? そうじゃないでしょ? 違うって言ってよ!」


 結良は必死に思いをぶつけたが、オキはただ静かに結良を見下ろしたまま何も答えない。

 奮い立たせていた気持ちが絶望にしぼんでゆく。

 何も言えなくなって、結良はオキから視線をそらした。


 沈黙が辺りを支配したように見えたとき、ふわりと、オキの両手が結良の頬を包んだ。

 温もりのない手の感触。

 結良は驚いて顔を上げた。


『……処刑された後、わたしの心に残っていたのは、恨みでも怒りでもなく、失望だった。

 おまえがイチハから受け取った兄上の言葉も、涙も、わたしは知っていた。だが、わたしは兄を信じることが出来なかった。

 すべてが疑わしく思えた。人というものは簡単に人を裏切る。兄上も、オクマと同じだ。信用できない。

 どんな言葉をかけられても、その裏にあるものを勘ぐってしまう。わたしはもう、誰のことも信じられなくなっていた』


 静かに、オキは語りはじめた。


『千五百年たった世に解き放たれたとき、わたしはただ暴れまわりたかった。祠を倒されたからではない。ただ閉じ込められていたうっぷんを晴らしたかった。その場にいた子供たちには悪いが、ただの八つ当たりに過ぎなかった。ほかには誰もいなかったし、誰がどうなろうと構わなかった』


 そう言って、自嘲気味な笑みを浮かべる。


『……だが、そこへおまえが現れた。イチハによく似たおまえが、バカバカしいほど必死になって友を助けようとする。最初は、わたしの邪魔をするおまえに腹が立った。しかし、荒れてぐちゃぐちゃになっていたわたしの心が、ほんの少しだけスッとしたのだ。

 もっと見ていたい。もうすこしだけ見ていたい。わたしの心が癒えるまで────そう思って今まで来てしまった』


 結良の目に映るオキの姿が、わずかに揺らいだ。

 輪郭がぼやけ、うすいカーテンのような儚げな姿になってゆく。


「……オキ? どうしたの?」


『おまえに……別れを告げに来た』


 そう言って、オキは一歩踏み出した。

 結良の頬を包んでいた両手を彼女の背中に回し、そっと抱きしめる。

 温もりのない抱擁。けれど、不思議な温かさを結良は感じた。

 今にも消えてしまいそうなオキを、結良も手を伸ばして抱きしめた。


(オキはきっと、イチハさんにお別れを言いたかったんだね)


 彼はいま、別れを告げることが出来なかった恋人に、結良を通して別れを告げているのだ。そう思ったら、熱いものが込み上げて、じわりと視界がぼやけた。


「ありがとう」


 結良の言葉に、ゆっくりと抱擁を解いたオキが微笑みを浮かべる。

 今まで見たことのない、優しい笑みだった。


 次の瞬間、ポンッと肩を押された。

 よろめきながら数歩下がった結良の視界に、青空が広がった。


(わっ、倒れる!)


「結良!」


 後ろ向きに倒れそうだった結良の背中を支えたのは、勇太だった。

 結良のすぐ隣には、心配そうな顔の朱里が立っている。

 三人が口を開く前に、草むらの中からチリンと鈴の音が聞こえ、子猫が姿を現した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る