第34話 イチハの記憶


 草原に囲まれた小高い丘の上に、ひとりの少女が立っている。結良ゆらによく似ているが、結良よりもすこし年上の少女だ。


(────あの人がイチハだ。きっとそうだ)


 少女の長い髪が風になびくと、頬に涙のあとが見えた。

 ゆっくりと大地にひざまずき、手にしていた花を丘の上に供えると、彼女はそのまま大地を抱くようにうずくまった。


「オキさま……」


 ポロポロと落ちる涙のしずくが、草原を渡る風にさらわれてゆく。


「どうか、怒りをおさめて、神の元へお還りください。そうでないと、オキさまが消えてしまう。あなたの呪詛を恐れた国長さまの命で、大巫女さまがあなたの魂を捕らえようとしているの。捕らえられた魂は消滅する……だからお願いです。どうか、この地にとどまらないで下さい」


 泣き声まじりのイチハの言葉は、あまりにも苦しそうで、聞いている結良まで涙が出そうになった。


(そうか……ここは、ケヤキ塚なんだ)


 まわりの景色は違うけれど、よく見れば、遠くに見慣れた丘陵の輪郭が見える。


 しばらくすると、どこからか馬のいななきが聞こえてきた。

 イチハはびくっと肩を震わせて身を起こすと、そのまま立ち上がった。

 丘から見下ろすと、草原を黒い馬が疾走して来る。


 単騎でやって来た人物に心当たりがあったのか、イチハは畏れるように後ずさったが、その場を去ろうとはしなかった。

 イチハの握りしめた両手に、グッと力が入る。


 やがて、立派な髭をたくわえた大柄な男が丘を登ってきた。


「……イチハ」

「国長さま……なぜ、ここに?」


 イチハは立ったまま、怒りのこもった眼差しを男に向けた。

 相手は二十歳ちかく年上の男で、このムサシの国長だ。身分を考えれば、ひざまずかねばならない相手だった。


「わたしが……オキの墓へ来てはいけないか?」


「呪詛を恐れて、ここへは来ないと思っていました。オキさまを殺したくせに、まさか、許しを請いに来たのですか?」


 イチハの鋭い追及に、男は少しだけ笑った。


「……そう思ってくれて、かまわぬ」


 男はイチハの供えた花の隣に、自分の持ってきた花を供えると、さっきまでイチハがいた場所に跪く。

 イチハは両手を握りしめたまま、その場に立ち尽くした。


「……伯父上には、息子がいなかった。オキが伯父上の元に養子に出されたのは、まだ五つにもならぬ頃だった。次の国長となるのはオキであったが、伯父上の死後、国長となったのは我らの父上だった」


 静かに語りはじめた男に、イチハは眉をひそめた。

 男の意図が、まるでわからなかった。


「父上は……本家の知らぬ、分家の苦労を知っていた。だから、北の地を動かぬまま国長の地位を継いだのだ。

 本家で育ったオキにはわかるまい。年に一度、新年のあいさつに貢物を持ってヤマトに赴くだけの本家の者にはわかるまい。我ら北の者たちが……何度も何度もヤマトにはせ参じ、ムサシとヤマトの友好を保つためにどんな仕打ちに耐え忍んできたのか……」


 男の血を吐くような独白に、イチハは圧倒された。


「いまのヤマトは……大クジラのようなものだ。目の前にいてはダメだ。ともに並んで泳がなければ飲み込まれてしまう! もはや、ムサシの独立を保つことは無理なのだ」


 男は膝をついたまま、両手を大地につけた。


「……いまの大王は侮れぬ男だ。政権交代の激しいヤマトにあって、年老いてから大王の座についた男だ。わたしがヤマトに行ったとき、やつは恐ろしい顔でわたしに笑いかけてきた。


『おまえがグズグズしているから、わしが策を与えてやった。うまく邪魔者を片付けるきっかけが作れたであろう? 国造くにのみやっこの地位が欲しいのなら、さっさと働け!』


 よぼよぼの老人とも思えぬ眼の光で、大王はわたしを恫喝してきた。

 その時わたしは思った。何があってもヤマトと戦をしてはいけない。大王につけ入る隙を与えてはならない。ヤマトに攻められれば、ムサシはおしまいだ。

 戦に敗れ、ヤマトの直轄地にされるくらいなら、例えヤマトの臣下となろうとも、ムサシの者がこの地を治められれば良いと!」


 下を向いた男の目から、ポタポタと落ちた涙が大地に吸い込まれていった。

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