第30話 心の光と影


 翌日。

 結良ゆらは、教室の席に座る春香はるかを、目で追っていた。


『おまえは……疑いをかけられた朱里あかりをかばったが、疑いを晴らしてはおらぬ。友達の名誉を傷つけた人間を、このままにしておくのか?』


〈影〉の声が、何度も頭の中に蘇る。

 彼の言葉が抜けない棘のように、結良の心に刺さったままなのだ。


(朱里ちゃんは噂なんか気にしないって言うけど、みんなに誤解されたままで良い訳ない。やっぱり〈影〉のいう通り、このままにしちゃいけないんだ)


 そう思っても、どうすれば朱里の疑いを晴らせるかはわからない。結良に出来るのは、きっかけとなった春香の様子をうかがうことくらいだ。


(そもそも春香ちゃんは、どうして朱里ちゃんを名指ししたんだろう? 朱里ちゃんが母子家庭だから? もともと仲が悪かったから?)


 もちろん、彼女たちの悪意を増幅させたのは〈影〉がまとう『負の気』のせいだ。そういう意味では、彼女たちも被害者だ。


(間違えちゃいけない……)


 誰の心の中にも光と影があって、自分の中の影と戦っている。

 良いこと。悪いこと。やって良いこと。ダメなこと。

 考えて、自分で選んで、行動している。

 それでも、時には悪意に負けてしまうことだってある。


(あたしもそうだ……人のことなんか言えない)


 お母さんが病気で苦しんでいる時も、亡くなってからも、病気になったのが自分のお母さんじゃなければよかったと、何度思ったか知れない。

 いけない。いけない。そんなこと考えてはダメだ。

 そう思うそばから、この運命が自分ではなく、友達の誰かだったら良いのにと思ってしまう。


 そんな自分が嫌で、何度も落ち込むのに、また悪い考えがむくりと起き上がる。

 追い出そうとしても、負の感情はしぶとくまとわりついて出て行かない。

 堂々巡りだ。


 あの時は、そんな自分の気持ちを、口に出さないでいるのが精一杯だった。

 それだけが、自分が負の感情に負けていない証だと思っていた。

 でも、だんだんと辛くなって、心が苦しくて仕方がなかった。


 もしかしたら、誰かに吐き出してしまった方がよかったのかも知れない。家族に相談してみればよかったのかも知れない────でも、心配をかけたくなくて、それも出来なかった。

 おばあちゃんの家に引っ越して来る前の自分は、かなり変だったと思う。


(そんなあたしが、春香ちゃんの心の影を探ろうとしているなんて……)


 ぼんやりと春香の姿を見つめながら、結良がそんな事を考えていると、春香がちらりと視線を泳がせた。

 春香を目で追っているうちに、彼女が何度も視線を送る相手がいることに気がついた。そして、その視線の先にはたいてい勇太ゆうたの姿があった。


(……まさか、ね)


 頭のすみに浮かんだ考えを、結良はすぐに打ち消した。



 〇     〇



 その日の放課後。

 委員会の仕事が終わって、結良が教室に戻って来ると、ドアの四角い窓ごしに人影が見えた。


(まだ誰か残ってる?)


 ドアに手をかけたまま薄暗い教室の中を見ると、誰かが朱里の机の中をのぞき込んでいた。


「何してるの?」


 ドアを開けながら結良が声をかけると、驚いたように人影が顔を上げた。

 春香だった。

 何かが、小さな音をたてて床に転がった。


 結良は春香のそばまで歩み寄ると、床に落ちていた小さな花飾りのついた髪留めバレッタを拾い上げた。


「このバレッタ、春香ちゃんが探してたやつ?」


 結良が拾った髪留めを差し出すと、春香は結良をにらみつけたまま、サッと奪い取った。


「ところで、朱里ちゃんの机の前で何してたの?」

「べっ、べつに、何もしてないわよ」


 春香は自分の席に置いたランドセルを手に取ると、すばやく身をひるがえした。 

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