第27話 結良ともう一人のオキ


「オキ……あなたはどうして、自分の半身から離れたの? ここには恨みを晴らす相手もいないのに、どうして元に戻ろうとしないの? それとも、この学校にいる理由があるの?」


 結良が問いかけると、彼は眉根を寄せてパッと顔を背けてしまった。

 怒っているというよりも、結良の質問に答えるかどうか、迷っているように見えた。


(きっと、ここにいる理由があるんだ)


 結良は立ち上がった。

 まだ足は震えていたが、一歩一歩踏みしめるように、ゆっくりと彼の方へ近づいて行く。


(怖がってても、何も変わらない。せっかく会えたんだから、無理やりにでも連れ戻さないと!)


 子猫のオキは、あれから体調が思わしくない。二つに分かれてしまった魂を早く一つにしてあげないと、間に合わないかも知れない。


(何としても、彼を捕まえないと!)


 その思いだけで、結良は手を伸ばした。

 彼の腕をぎゅっとつかんでから、何かが変だと気がついた。


「あれっ? 幽霊なのに……つかめる?」


 結良がおそるおそる見上げると、彼と目が合った。

 冷たい感じのする瞳が、戸惑ったように揺らいでいる。

 間近で見る彼は、結良が想像していたよりも若かった。恐らくまだ十代。髭のない青白い肌のせいか、女性のようにも見える。


「あの……一緒に帰りましょう。あなたの半身が宿った子猫、具合が悪くなっちゃったの。お願いだから戻ってあげて」


 結良がそう言うと、彼はかぶりを振った。


『わたしはまだ戻らぬ。そう言ったはずだ。それに、おまえがわたしに触れられるのは、ここが閉じた空間の中だからだ。わたしを連れ出すどころか、おまえ一人ではこの空間から出ることも出来ないぞ』


 暗い瞳にじっと見据えられて、結良はハッと息を呑んだ。

 この閉じた空間の、半分は闇。もう半分は黄昏色の荒野。

 彼の言う通り、ここは現実の世界ではない。もちろん結良は、パソコン室に戻る方法など知らない。

 忘れようとしていた恐怖が蘇り、ガクガクと膝が震え出す。


「あなたは……いったい何がしたいの?」


『何をするつもりもない。わたしはただ、見ているだけだ』


「見てるって、何を?」


『この世を、だ。わたしは……勇太の体に宿っていたわずかな間に、この世のことを少しだけ理解した。わたしの生きていた時代より、千五百年もの月日が流れたことも知った。ヤマトもムサシもない、ひとつの国だと知った。確かに、今のこの国は平和だ。飢饉もなく豊かに見える……が、何かが歪んでいる』


「歪んで……る?」


 結良は首を傾げた。彼の言おうとしていることが、理解できない。


『おまえは……疑いをかけられた朱里あかりをかばったが、疑いを晴らしてはおらぬ。友達の名誉を傷つけた人間を、このままにしておくのか?』


「えっ?」


 結良を断罪するかのような響きに気を取られて、思わず手の力が緩んだ途端、あっという間に手を振りほどかれてしまった。


(いけない!)


 もう一度手を伸ばそうとした瞬間、パッとまわりが明るくなった。


「結良!」


 朱里と勇太が、開いたドアから飛び込んで来る。

 黄昏色の荒野はすでに消えていて、結良はパソコン室の中に立っていた。


「そんな……」


 力が抜けたように、結良は床に座り込んだ。

 ついさっきまで現実だと思っていた出来事が、すべて夢だったように思えてしまう。


「結良、どうしたの? 何かあったの?」


 朱里が結良の肩をゆさぶる。


「おまえ、泣いてるのか?」

「えっ……」


 結良は驚いて手の甲で頬をぬぐった。

 自分がなぜ涙を流しているのか、まるでわからない。

 結良は混乱したまま、朱里と勇太の顔を見上げた。


「あたし……オキに会った」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る