第25話 オキの過去②


「〈影〉は消える前に、『まだ帰れぬ』って言ったのよ。ってことは、戻ってくるつもりがあるって事よね?」


 結良ゆらの問いかけに、勇太ゆうた朱里あかりは草むしりの手を止める。


「その話はもう、さんざん考えたじゃん!」

「結局、答え出なかったよね?」

「そうだけど……」


 二人がうんざりする気持ちはわかるが、結良はこの答えを見つけないと、オキと〈影〉を一つに戻すのは難しいような気がするのだ。


 微妙な沈黙が流れた時、畑の間から子猫のオキが姿を現した。

 甘えるように結良の膝の上に乗ってくる。


「オキ」


『結良……わたしは以前、封印が解かれるまでは眠っていたと言ったが、もしかしたら、眠っていたのはわたしだけで、わが半身は目覚めていたのかも知れぬ』


 子猫のオキはそう言って、自分を見下ろす子供たちの顔をゆっくりとながめた。


『朱里が学校で疑いをかけられたと聞いたとき、わたしはかつての自分を思い出した。疑いをかけられるのはとても辛いことだ。例え自分が潔白ではないとしてもだ』


 オキはそう言って空をあおいだ。

 真夏のような空に、ハケで描いたような秋の雲がただよっている。


『カミケヌのきみに会った後、わたしは南へ帰り、いくさの準備をはじめた。

 カミケヌの君と連絡を取り合い、南北から北ムサシ挟撃する計画を立て、兄上に弓引く準備をしていたのだ。ムサシを守るためにはそれしかないと思ったからだ。

 しかし、実際に戦を起こす前に事件は起きてしまった。兄上が狩りの途中で何者かに襲われたのだ。

 連絡を受けた私は、北ムサシへ急いだ。

 弓引く準備はしていても、わたしにとって兄上は大切な人だった。

 だが兄上は、事件をわたしの仕業だと疑い、姿を消してしまった。そしてわたしは、北の者たちによって捕らえられてしまった……』



 ◎     ◎



「わたしではない! 神に誓って、わたしのした事ではない!」


「何を言うか、おまえが南で戦の準備をしていたことを、われらが知らぬとでも思っているのか?」


「ちがう!」


 暗くジメジメとした牢の中で、オキは叫んだ。


「確かにわたしは、戦の準備をしていた。だが! それはムサシの未来を思ってのことだ。卑怯な手を使ってまで、兄上を亡き者にしようなどとは思っていない!」


「口では何とでも言えるさ。それに、例えおまえがやっていないとしても、南の者がやっていないと言い切れるのか?」


「それは……」


 オキは思わず、伯母の顔を思い浮かべた。

 南ムサシの養子となったオキにとって、母と呼ばなくてはならぬ人だ。

 事実、南の者たちをまとめ上げているのは、伯母の意志をくんだ臣下たちであって、オキではない。


「兄上に……兄上に会わせてほしい。例えわたしは、兄上を襲撃した罪で死罪となってもかまわぬ。その代わり、ヤマトの臣下となることだけは考え直してほしい! どうか兄上に会わせてくれ!」


 オキの懸命の願いも、次兄たちによって一笑に付された。


「遅かったなオキ。兄上は今頃ヤマトに着いておいでだろう。国造くにのみやっこに任命されたのち、ヤマトの兵を連れて帰国なさるはずだ。おまえを討つためにな」


 次兄たちが笑いながら去ってゆく。

 冷たい石造りの牢の中で、オキは力なく座り込んだ。

 カミケヌの君を頼ろうにも、連絡を取るすべはなかった。



 ◎     ◎



『……次兄たちの言う通り、兄上はヤマトの兵を伴って帰国した。わたしは、疑いを晴らせぬまま最期の時を迎えた。わが半身が恨みを残していても不思議ではない。

 だが、はるか遠い昔のことだ。今の世では、恨みを晴らすことなど出来ぬ。わが半身は、いったい何をしようとしているのだろう? 情けないが、自分の半身の考えが全くわからぬ。

 もしも、そなたたちの学校に我が半身がいるのなら、わたしは行かねばならぬ』


 オキはそう言うと、結良の膝からぴょんと飛び降りた。その拍子にグラリと体制を崩し、そのまま地面に倒れこんでしまった。


「オキ! 大丈夫?」


 地面に倒れた子猫を、結良がそっと両手にのせる。動こうともがく子猫の体が、結良の手のひらの上で小刻みに震える。


「オキ……」

 朱里と勇太が心配そうにのぞき込む。


「オキ、あたしたちのことなら大丈夫だよ。〈影〉が何をたくらんだって、あたしたちは負けないからさ。ね、朱里ちゃん?」


「そうだよ。疑われたって全然平気だよ。だって、あたしはやってないんだもん。オキは体を休めてよ。〈影〉はあたしたちが捕まえて来るからさ」


「そーそー。明日は三人でパソコン室を調べに行くよ。任せてくれよな」


 三人の子供たちに声をかけられると、結良の手のひらの上で、オキの体からゆっくりと力が抜けていった。


「あたし、今日はもう帰るね。オキのこと、おばあちゃんに相談してみる」

「うん」

「じゃあ、明日な」


 急に弱ってしまったオキが、結良は心配でならなかった。

 子猫の命とともに天に還ると言っていたのに、このままでは〈影〉と一つになる前に、子猫の命が消えてしまいそうだ。


(……早く〈影〉を捕まえなくちゃ)

  

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