第16話 オキの過去①


「────この川の何倍もある、大きな川だった」


(えっ?)

 勇太は顔を上げた。


「北のカミケヌ国に行く船や、海に出る船は、皆、このムサシの北辺を通った。あの川のほとりで、われらは豊かで平和な暮らしをしていた」


 話をはじめたオキの〈影〉の邪魔にならないように、勇太はそっと隣に並んだ。


「わが一族は、はるか昔からこのムサシの国を守ってきた。西のヤマトが次々と勢力を広げても、わがムサシは小国でありながら、ヤマトの同盟国という立場を崩すことはなかった。

 ヤマトの王に仕え、ともに戦ったという祖先もいたが、それとて、このムサシを守るためだった。

 しかし……時は移ってゆく。父上が亡くなると、ヤマトの臣下となっても良いという者と、戦となっても国の独立を守り通したいという者で、国は二つに分かれた」


『オキは、守ろうとしたんだよね?』


「そうだ。……ヤマトの支配を受けた国々は、毎年育てた稲をヤマトに差し出さねばならない。

 豊作の年は良かろう。だが、凶作の年であろうがヤマトは待ってくれない。

 自分たちが育てたコメをすべて差し出し、自分たちはアワやヒエしか食べられぬ国もあると聞く。

 それだけではない、女たちは織物を織り、多くの男たちは労働力として都へ取られ、何年も帰っては来られぬのだ。

 男手の減った小さな国では働き手が減り、コメの収穫も減る。国はどんどん貧しくなるばかりだ。

 そんな国をたくさん見て来たのに、このムサシはそうはならんと兄上たちは楽観していた。戦をして負けるより、今のうちに臣下となる意を示すことで、取り立ててもらえるなどと、甘いことを考えているのだ!」


 オキの〈影〉は吐き出すように、自分の生きていた過去を語りはじめた。



 ◎     ◎



「兄上! 兄上は、本当にヤマトに取り立ててもらえると、本気でそう思っているのですか?」


 馬屋へ向かう兄を、オキは必死に追いかけた。

 十歳以上も年の離れた長兄は、南ムサシに養子に出されたオキのことを南側の人間としか思っていない。

 

 すでにムサシの実権は長兄が握っているのだ。南ムサシの意見など聞く必要がないのだろう。

 それでも、追い縋るオキを憐れと思ったのか、長兄は面倒臭そうに振り返った。


「オキ、何度も言わせるな! ヤマトの力は強大だ。いつまでも国の独立ばかりにこだわっている訳にはいかんのだ! ヤマトが、わがムサシを同盟国として扱っているうちに、従うことに意味があるのだ!」


「しかし……」


「これ以上口を挟むな。おまえは南へ帰れ。本家の伯母上によろしくな」


 取りつく島もなく、長兄は馬上の人となり駆け去ってしまう。

 オキは小さく息を吐いた。


 伯母上によろしくと言われても、このまますごすごと南へ帰れるわけがない。

 オキは空を見上げて、もう一度ため息をついた。


 広大な平野が広がるムサシの国には、いくつかの大河がある。

 オキの父の時代まで、ムサシは国長くにおさである兄が南の大河周辺を、弟が北の大河周辺を治めていた。

 国長には跡継ぎたる男子がいなかった。そこで彼は、弟の息子の中からまだ幼かったオキを養子に迎え、後継ぎとして育てた。


 ところが、オキが十歳にもならぬうちに国長が亡くなった。

 すると、国長の弟で北の領主だったオキたち兄弟の父が、北の地を動かぬまま国長を継いだのだ。


 国の中心は南から北へ移り、北は繁栄した。

 その父が亡くなると、当然のように長兄が国長を継ぐことになった。

 長兄がヤマトに従うという話が聞こえてくると、本家の伯母は烈火のごとく怒り、長兄から国長の座を奪えとオキに命じた。


 オキ自身は、伯母の言う国の誇りなどどうでも良かったが、ヤマトの臣下となることには不安があった。

 だから、うとまれるのを覚悟で北へ舞い戻って来たのだが、話を聞いてもらうことすら出来なかった。



 意気消沈したオキは、川岸の道をとぼとぼ歩いた。

 港から少し離れたこの辺りは、背の高い草が川岸と道の反対側をおおっていて、行き交う人でもいなければ寂しい場所だった。


 ふと、人の気配に気づいた。

 顔を上げると、いつの間にか貴公子然とした青年が立っていた。

 くっきりとした一重の目には見覚えがあった。


「こ……これは、カミケヌの君。いつ、いらしたのですか?」


「先ほど。わたしのことは、オクマと呼び捨てにしてくれてかまわないよ。オキ殿、われらは共に若輩の身。きみに相談に乗って欲しいんだ」


 にっこりと微笑んで、オキの心の中にするりと入り込んできたオクマ。


「正直に言うとね、ムサシがヤマトに従うと聞いて驚いているんだ。とうとうヤマトはそこまで力をつけて来たのかって、背筋が震えたよ。

 ムサシの次はわがカミケヌだ。ムサシがヤマトにつけば、この川を上ってカミケヌに攻め入るのは容易たやすいからね」


 オクマは愁いを帯びた目でオキを見つめる。


「オクマ様……いや、しかし、カミケヌの国長ご一族は、ヤマト王家の血筋を引いていると聞いております。いくらヤマトでも、チクシ、キビと並ぶ大国のカミケヌを……」


「甘いね、きみは。いくら遠くヤマトの血を引く血族であっても、あの王位の交代がはげしいヤマトだよ? 東国統治の任でこの国へ入ったわが一族を、ヤマトはもはや属国としてしか見てないよ。あのチクシの君も七年前に倒されたしね」


「そんな……」


 動揺をかくせないオキに、オクマは一歩近づいた。


「わたしとしては、ムサシがヤマトに取り込まれる前に、きみにがんばって欲しい。ムサシのためにきみがつのであれば、どんな事でも協力するよ」


「わたしが……起つ?」


「そうだ。きみが兄君に代わって国長となり、このムサシを守るんだ」


 ささやくようなオクマの言葉に、オキの全身に震えが走った。


「わたしが……国長、に? 兄を……たおして?」


「そうだよ、オキ殿。ムサシの本家を継いだきみには、十分にその資格がある」


 オクマはにっこりと笑った。

  

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