第14話 オキの〈影〉を追う


 ふすまを開けて自分の部屋に入った瞬間、結良ゆらは、背丈ほどの草が揺れる大きな川のほとりに立っていた。

 それはもちろん錯覚だったけれど、風さえも感じることが出来るほどリアルだった。


 幻が消えた自分の部屋。

 結良のベッドの上には、子猫のオキがちょこんと座り、窓の外をながめていた。

 その背中には、ちょっと声をかけ辛い雰囲気が漂っていた。


「……オキ、大丈夫?」


 外に出て雨に濡れたオキは、結良の部屋に戻ってからずっと体を休めていた。


『ああ。大丈夫だ。昔のことを……思い出していた』

「昔のこと?」


 一瞬で消えた幻のような風景は、もしかしたらオキが思い出していた昔の風景なのかも知れない。


「あのね、おばあちゃんに会って欲しいの。ずっとケヤキ塚を守ってきた人なんだよ」


 結良はそう言って、子猫のオキをそっと抱き上げた。



 〇     〇



 二日続きの雨は、まだ降り続いている。

 時に強くザーッと降ったかと思えば、シトシトと弱い雨になったりもするが、降りやむことなく大地を濡らしている。


「よく降りますねぇ」

「本当ですね。肌寒くて、長袖の服を引っ張り出しちゃいましたよ」

「うちもですよ。暑いのも嫌だけど、こう寒くちゃね」


 近所のおばさんたちが立ち話をしている横をすり抜けて、勇太はふわりと空へ浮き上がった。

 幽霊になった自分が、空を飛べることに気がついたのは、昨日の夜だった。自分の体を乗っ取ったオキの〈影〉を追いかけるうちに、いつの間にか体が浮かんでいたのだ。


 結良の家を出たあと、勇太はまっすぐ自分の家に向かったが、家のどこにもオキの〈影〉はいなかった。


(どこに行ったんだよ……)


 どんよりとした空から雨が降り続く灰色の景色は、空に浮かび上がってもあまり変わらず、見通しは良くなかった。

 勇太は思いつくままに近所のスーパーや坂下公園、そしてもう一度ケヤキ塚まで行ってみたけれど、〈影〉の姿を見つけることはできなかった。


(あいつ……なんか食ったのかな? 家にはもうほとんど食べ物なかったし、お金も少なくなってきてたけど……てゆーか、あいつ、お金払って食べ物買えるのかな? 大昔の人なんだよな? まさか、おれの体で万引きとかしてないよな?)


 勇太は空に浮かんだまま、頭を抱えた。

 自分の知らないうちに犯罪者にされてしまったらと思うと、いてもたってもいられない。


 とは言え、魂だけになった自分が、本当に元の体に戻れるのだろうかと考えるたび、勇太の気持ちはズドンと落ち込んでしまう。


(とにかく、今は自分の体を取り戻すことだけ考えよう)


 なんとか気を取り直して、勇太はケヤキ塚から空へ飛びあがる。

 空から地上を見下ろすと、畑よりも水田が多いことに気がついた。細い水路が網の目のように、川から水田に注いでいる。


(へぇ、この町って、こんな風になってたんだ)

 地上からではわからない事が、空から見るとよくわかる。


 空から見る景色に、ほんのひととき心を奪われていた勇太は、ふと、川岸にたたずむ人影に目を止めた。

 傘もささずに川岸に立っている少年は、背格好も、着ている青いTシャツまで自分にそっくりだ。


 勇太はそっと地面に降り立つと、川を見つめて立っている自分の背後に近づいた。


(どうやって声をかけよう?)


 昨夜も今朝も、ついケンカ腰になってしまった。

 それでは、また逃げられてしまう。

 同じことを繰り返すよりは、心を落ち着かせてから声をかけたほうが良いだろう。


 そう思って立ち止まって────気がついた。

 小学六年生の自分の体に、頭一つ分背の高い人影がぼんやりと重なって見えている。


(もしかして、あれがオキの本当の姿なのかな?)


 どこか淋しそうな後ろ姿を、勇太は食い入るように見つめた。

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