第3話 ミルクとお母さんの思い出


「えっと、赤ちゃんだからミルクだよね」


 結良ゆらは冷蔵庫から牛乳を取り出して、小さな器に入れて二階へ上がる。


「お兄ちゃん、牛乳持ってきたよ」


 正斗まさとの部屋のふすまを開けると、正斗は丸めたタオルを抱えてベッドに座っていた。


「乾いたタオルにくるんでやったよ。さっきよりは息づかいが穏やかになってきたけど、牛乳はまだ無理じゃないか? 猫に牛乳はあんまり良くないって聞いたことあるし」

「そうなの?」


 結良も正斗の隣に座ると、タオルにくるまれた子猫をのぞき込んだ。

 子猫は相変わらずぐったりしていたが、体の毛が乾いて温まったせいか、さっきよりは具合が良さそうに見える。

 真っ白だと思っていた子猫は、よく見ると足先の毛が黒くて、靴下をはいているみたいだった。


「そっかぁ」

 結良はしょんぼりと俯いた。


「後で猫用のミルク買って来るけど、ちょっとだけ試してみるか?」


 正斗は結良に子猫を渡すと、机の引き出しの中をガサゴソと探しはじめた。


「あったあった! 洗ってくるから待ってろ」

 正斗はドタバタと一階に下り、またドタバタと二階の部屋まで戻ってきた。


「おれが小さかった頃、小鳥のヒナを育てたことがあるんだ。そのときスポイトみたいのでエサをやったんだ。これなら、少しずつミルクを入れてやれるだろ?」


 正斗はミルクをスポイトで吸い上げると、子猫の舌の上に数滴たらしてみる。半分はタオルにこぼれ落ちたけれど、子猫が少しだけ舌を動かしたのを見て、正斗はまたミルクを数滴子猫の口の中に入れてやった。


「すごいねお兄ちゃん。あたし、小鳥育てたの全然覚えてないよ」


「おまえはまだ小さかったからな。おれとお母さんでよくエサをやった……」


 正斗はしまったとばかりに言葉を切った。

 結良は本来明るい性格だが、母が亡くなった後は毎日のように泣いていた。だから正斗は、なるべく母の話はしないようにしていたのだ。


「お兄ちゃん。あたしもう大丈夫だよ。だから、お母さんの話もしてよ」

 結良は、正斗の顔をまっすぐに見つめた。


「うん、そうだな。あの頃は……まだお母さんも元気だったからな。ヒナがエサを食べると、お母さんも子供みたいに喜んでさ、よく笑ってたよ」


「そう。お母さん、病院でもよく笑ってたもんね。最後まで……すごく、がんばってたんだよね?」


「ああ、そうだな」


「おばあちゃんは、大丈夫だよね? お母さんみたいに死んじゃったりしないよね?」


「大丈夫。ばあちゃんには無理させないようにするからさ。昼飯はおれに任せろ!」


「あたしも! 今日の晩ご飯はあたしが作るよ!」


「おまえが作ると、いつもカレーじゃん」


「いいじゃんカレー。お兄ちゃんも手伝ってよね」


「はいはい。おっ、本格的に舐めはじめたぞ! 結良、あとはおまえが飲ませてやれ。おれは昼飯作りだ」


「うん、わかった」


 結良は、正斗から受け取ったスポイトで、少しずつ子猫にミルクをあげた。

 自分の意志でミルクを舐めようとしている子猫の命の力強さが、とても嬉しかった。


  

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