第2話 瀕死の子猫


 結良ゆらがケヤキ塚から下りてゆくと、自転車の横に傘をさした人が立っていた。


「なんだ、結良ちゃんかい。雨なのにお参りとはご苦労さまだね。今日はおばあちゃんと一緒じゃないのかい?」


 立っていたのはこの辺りの畑の持ち主で、おばあちゃんの同級生だというおじいさんだった。


「牧田のおじさん、こんにちは。おばあちゃんは、ちょっと具合が悪くて、あたしがかわりに……」


「そうかい、そりゃあ大事にしないとな。ところで結良ちゃん、何を持っているんだい?」


 牧田のおじさんは、結良が両手で持っていたハンカチの中をのぞき込んだ。


「もしかして、猫かい?」


「うん。ケヤキ塚の上にいたの。弱ってるみたいだから、家に連れて帰ろうと思って」


「そうかい……いやぁ、実はね、今朝畑を見回ってたら、あちこちに子猫がいたもんで、うちで預かってるんだよ。可哀そうだが、その猫はもうだめだ。子猫が欲しいなら、うちに来て元気なのを連れて行きな」


 牧田のおじさんが親切心で言ってくれているのは分かったけれど、結良は首を振った。


「あたし、猫が欲しいんじゃないの。この子を元気にしてあげたいの」


 結良はそう言うと、レインコートのポケットにハンカチごと子猫をそっと入れた。


「それじゃ、さよなら!」

「おお、気をつけてな」


 牧田のおじさんと別れると、結良はしとしとと降り続く雨の中、家へ向かって自転車を走らせた。

 ようやくおばあちゃんの家が見える所まで戻って来ると、家の前に診療所の軽自動車が止まっていた。

 見送りしているのか、運転席に向かって兄の正斗まさとが頭を下げている。


「お兄ちゃん!」


 結良は急いで庭に自転車を止めると、正斗にかけよった。


「おばあちゃんの具合は? お医者さん何て言ってた? 入院とかしなくて大丈夫なの?」


 たたみかけるように質問する結良の勢いに押されて、正斗は二、三歩後ずさった。


「落ち着けって。ばあちゃんは大丈夫だよ。ちょっと心臓が弱ってるけど、入院するほどじゃないってさ」


「そうなの? 良かったぁ。あたし、てっきり救急車呼ばなきゃいけないと思った……」


「うん。おれも最初はそう思ったけど、ばあちゃんが井上先生に電話しろって言うからさ。まあとにかく、そのずぶ濡れのレインコート脱いで、ばあちゃんのとこ行ってやれよ。結良が帰るの待ってるぞ」


「うん。あっ、そうだ!」


 結良は、レインコートのポケットから子猫をそっと取り出すと、正斗の前にずいっと差し出した。


「なっ……なんだ?」

「お兄ちゃん、この子弱ってるの! あたしがおばあちゃんに話をする間、この子のお世話しといて!」

「お世話ってなんだよ? 何すりゃいいんだ?」


 ハンカチにくるまれた子猫をこわごわ受け取りながら、正斗は首をかしげる。


「わかんないけど、ずっと雨に濡れてたみたいだから、乾いたタオルに包んで温めてあげて」


 結良はそれだけ言うと、雨に濡れたレインコートを玄関わきの軒下に吊るして、家の中に入っていった。



「おばあちゃん、入るよ」


 ふすまを開けると、お線香の香りが混ざったような匂いがした。


「……結良ちゃん、かい?」

 八畳間の中央にひかれた布団がモゾモゾと動いた。


「起きなくていいよ。寝てて!」

 結良は枕元へとんで行くと、おばあちゃんの体をそっと押し戻した。


「心配かけて悪かったね。もう大丈夫だから」

「うん」

「それで……ケヤキ塚はどうだった?」

「えっと……」


 結良は一瞬、ほこらが倒れていたことを正直に話すべきか迷った。

 心臓が弱っているおばあちゃんに、余計な心配はかけたくない。でも、家に居ながらケヤキ塚の異変を察知したおばあちゃんには、ウソをついても無駄な気がした。


「祠が、倒れてた」

「やっぱり……そうかい」


 おばあちゃんはため息とともに、一瞬だけ目をつぶった。


「でも、ちゃんと元に戻しておいたから、大丈夫だよ」


 結良はおばあちゃんを元気づけるように、両手の拳をぎゅっと握る。


「それで、ほかに……何か変わったことはなかったかい?」

「えっ? ほかには別に、何もなかったと思うよ」

「まわりに、誰かいなかったかい?」

「うん。ケヤキ塚には誰もいなかったよ。ケヤキ塚の下で、牧田のおじさんに会ったけど」

「そうかい……それならいいんだ。ありがとね、結良ちゃん」


 おばあちゃんは微笑むと、疲れたように目をつぶった。

 子猫を拾ったことも話そうかと思ったけれど、今はそっとしておいた方が良いと思い、そのまま静かに部屋を出ることにした。


  

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