カミモリ!

滝野れお

第一章 ケヤキ塚のひみつ

第1話 結良(ゆら)とケヤキ塚


 せっかくの夏休みだというのに、昨夜から雨が降り出した。

 空気もひんやりして、Tシャツでは肌寒いくらいだ。


「これじゃあ、今日のプールは中止だよなぁ」


 結良ゆらは恨めしそうに、どんよりと曇った空を仰いだ。

 都会の小学校から転校して来たばかりの結良には、遊びに誘えるような友達はいない。夏休みのプールで友達を作ろうと思っていたのに、この雨だ。


「あーあ」


 結良は縁側から、雨に濡れそぼった庭の木々を眺めた。


 都心から離れているせいか、この町はとても長閑のどかだ。賑やかなのは駅の周りだけで、少し離れると田んぼや畑、林や丘陵が多くなる。

 そのせいか、やたらと広い家が多い。

 おばあちゃんの家も使ってない部屋がたくさんあるし、蔵のある庭も広すぎて、どこかよそよそしい。


「お兄ちゃんはまだ寝てるし、つまらないなぁ」


 結良たちが、おばあちゃんの家に引っ越して来たのには訳がある。

 母が亡くなったからだ。

 泣いてばかりいる小学生の結良と、中学生の兄正斗まさとを心配した父が、おばあちゃんの家に引っ越すことに決めたのだ。


 夏休み前の学校に急きょ転校することになった結良は、あまりにも慌ただしい引っ越し準備のせいか、おばあちゃんの存在に癒されたせいなのかはわからないが、ようやく母の死から立ち直ることが出来た。




(……そういえば、まだ蔵の中は見せてもらってなかったな)


 結良は庭の花壇と菜園の向こうにある、立派な蔵に目を止めた。


「おばあちゃーん。蔵の中、見てもいい? ……おばあちゃん?」


 声をかけても返事がない。

 台所をのぞいても、おばあちゃんの姿は見えない。


「出かけたのかな? まあいいや」


 結良はサンダルを履いて庭に出ると、雨の中を蔵まで走った。

 運良く、蔵の分厚い扉は開いていて、結良が内側の引き戸を開けると、ふわりと淡い光が蔵の中に差し込だ。

 蔵の中には、古いタンスや木の箱がたくさん積まれている。きっと不思議な道具がたくさんしまってあるに違いない。


 サンダルを脱ごうとした結良は、おばあちゃんの靴があることに気がついた。


「おばあちゃん? 中にいるの?」


 声をかけながら一段高い板の間に上がると、奥に積まれた木箱の間に、おばあちゃんが倒れているのが見えた。


「おばあちゃん!」


 結良は慌てて駆け寄った。

 横向きになっているおばあちゃんの顔は青白くて、とても苦しそうだ。


「おばあちゃん、大丈夫? ……ねえ、どうしたの?」


 体を揺さぶろうとして、ハッと手を止めた。


「こういう時って、そっとしておかないといけないんだっけ? ど、どうしよう? そうだ、救急車だ。救急車呼ばなきゃ!」


 結良が立ち上がろうとした時、おばあちゃんの目がうっすらと開いた。


「ゆ……結良ちゃん?」

「おっ、おばあちゃん! いま救急車呼ぶからがんばって!」


 もう一度立ち上がろうとした結良を、弱々しいおばあちゃんの声が止めた。


「まって……結良に、お願いが……あるの」

「なに?」

「急いで……ケヤキ塚に、行っておくれ」

「ケヤキ塚? わかった、あとで行く。とにかく救急車呼ぶからね!」

「今すぐ行って。祠が大丈夫か、見て来てちょうだい」


 苦しそうな、とても小さな声なのに、おばあちゃんの言葉には有無を言わさぬ強い響きがあった。


「わっ……わかった。救急車はお兄ちゃんに呼んでもらうから!」


 結良はおばあちゃんの気迫に押されて、蔵から飛び出した。



「お兄ちゃん、お兄ちゃん起きて! おばあちゃんが大変なの!」


 二階の部屋で寝ていた兄の正斗を叩き起こして、おばあちゃんのことを頼むと、結良は長い髪を一つに結び、レインコートを着て自転車に飛び乗った。




 自転車で五分ほど走ると、丘陵につづく細い遊歩道の脇に、こんもりと丸い小山が現れた。

 小山のすぐ脇に大きなケヤキの木が生えていることから、ケヤキ塚と呼ばれるようになったらしいが、詳しい調査はされていない。


 雨にぬれたケヤキ塚は、いつもよりどんよりと暗く見える。

 小山に登る階段には、雨で重くなった草が行く手を阻むように垂れ下がっている。


「なんか……嫌な感じ」


 結良は、このケヤキ塚があまり好きではなかった。

 引っ越してから、おばあちゃんが毎日のようにお参りしてることを知って、何度かついて来たことはあるけれど、自分から行きたいと思ったことは一度もない。


「おばあちゃんは、どうしてケヤキ塚の心配なんかするんだろう?」


 自分のことよりケヤキ塚の心配をするおばあちゃんのことが、とても不思議でならない。

 それでも、頼まれたからにはちゃんと確かめなくてはと、結良はレインコートのフードを両手でつかみ、伸び放題の草や木の葉に突っ込むようにして、小山の階段をかけ上がった。


 小山の上の広場には、正面にあるケヤキの木を背にして石のほこらが立っている────はずだった。

 石の土台の上に乗っているはずの小さな祠が、どういう訳か、地面に転がり落ちていた。

 それを見た瞬間、結良の背中がゾクリと震えた。


「なんで倒れてるの?」


 倒れた祠に向かって歩きながら、結良の頭の中は疑問でいっぱいだった。

 なぜ石の祠が倒れたのかはわからないとしても、おばあちゃんはどうして祠の異変に気づいたのだろうか。


(おばあちゃんは、祠が大丈夫か見てきて欲しいって言ったけど、きっと、祠が倒れたことを知ってたんだ……もしかして、それで具合が悪くなったのかな?)


 どちらにしても、祠をこのままにしておくのは良くない気がした。


「イヤだなぁ! もぉ! なんで倒れてるのよぉー!」


 大きな声を出して自分を勇気づけると、結良は倒れた祠に手をかけた。


「よっ……重たっ! なにこれ、めっちゃ重いじゃん!」


 小さな祠と言っても、石はそれなりに重い。小学六年生の結良では、そう簡単には持ち上げられない。仕方なく引きずったりして、なんとか元の場所に戻すことが出来たが、お陰で結良の手や足は泥まみれだ。


「はぁー、できたぁー」


 大きく息を吐いて、重大な任務をやり遂げた達成感にひたっていると、どこからか小さな鳴き声が聞こえてきた。小さすぎて、何の鳴き声かはわからない。


(なんだろう?)


 結良は耳を澄ませながら、草や木の茂みをかき分けた。

 何度か場所を変えて探していると、やがて、しっとりと雨にぬれて柔らかくなった段ボール箱を見つけた。


「猫だ!」


 段ボール箱の中には、ずぶ濡れの白い子猫が横たわっていて、必死に声を上げて助けを求めていた。

 結良はポケットからハンカチを取り出すと、その上にそっと子猫を乗せた。


「もう大丈夫だよ。あたしが助けてあげるからね」


 ささやくように。でも力強く、結良は子猫に声をかけた。

  

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