ゴドーにそむく

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ゴドーにそむく


 女か男か分からない若者がひとり、錆のひどいシャベルで穴を掘る。

 ザク、ザク、ザク、ザク、カンッ。

 石か、それとも樹の根か、とにかくなにか固いものにシャベルの先端が当たって、それを握っていた若者の両手に鈍い痛みとなって伝わる。

 チッ。

 若者は苛立ちをこれ見よがしに表現するために一つ舌打ちをして、シャベルを放り出して地べたに座って、作業を眺めていた老人を睨む。

「なァ、今度のこれは一体どこの誰の墓なの」

 青年のようなとげとげしさに淑女のしとやかさを混ぜ合わせたような声で疑問を投げかけながら、若者は掘ったばかりの穴に両足をぶらぶらと揺らす。

 老人は曲がった背骨をさらに深く丸めて、諦念さえ滲んだ嘆息を漏らす。

「余計なことを考えるな、と言ったところで意味はないのか」

その枯れ葉が風に運ばれて泣いているような声には、男のにおいも女のにおいも含まれない。若者は大げさに肩をすくめる。

「来る日も来る日もひたすら地面をほじくるだけで、退屈なんだ。なァ、教えてくれよ。それくらいしか、楽しみがないのだから」

 老人はもう一度嘆息して、投げやりな態度で話し始める。

「そいつはな、鬼狩りの手練れだった。たぐいまれな才能と誇り高き志で絶大な人気があった」

「なのに、死んだのか」

「ああ、最後の最後にそいつよりさらに手練れの鬼が現れて、殺された。うつくしく昇華された死だった。ゴドーの誰もが哀しみに涙を流した」

「そうか。だからこんなに大きく穴を掘らなければいけないんだな」

「そうだ。わかったなら黙って手を動かしておくれ」

 若者は気だるそうに頷いて、立ち上がってズボンに付いた土を払って、シャベルをもってまた土を掘る。

 ザク、ザク、ザク、ザク。

「それにしても、なぜいつも私の質問に答えてくれるの? ほんの少し嫌なそぶりを見せるだけで、結局誰の墓なのか教えてくれるじゃないか」

「べつに深い意味はない」

「そうか」

 ザク、ザク、ザク、ザク。

「ただ、少し可哀想だと思っただけだ」

「……、それは誰が。私か、それとも今から墓に埋められる鬼狩りとやらか」

 老人は若者の質問に答えない。その様子を見た若者は一つ鼻を鳴らす。



 女か男か分からない若者がひとり、運び込まれる棺桶を退屈そうに眺める。

「これは誰の墓だっけ」

 若者はあごに手を添えてウンウンと唸る。

「確か……、いや、誰だったか」

 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。

 棺桶は若者が掘ったばかりの穴に収まって、土をかぶせられていって、若者は老人の肩を叩く。

「なァ、前に教えてくれたよな。これ……」

「この粗末な棺に入っているのは、難病を患って恋人と死に別れた可哀想な女だ。だがありふれた話にゴドーはあまり感動しない。だからこんなみすぼらしい墓なんだ」

 ザッ。

 若者はつまらなそうに足で土を蹴って、それが少しだけ棺桶にかぶさる様子を無表情に眺める。

「だからこんなに小さく穴を掘るだけでよかったのか」

「ああ。ほとんどのゴドーは彼女の死を知らない。知っててもその死を悲しまない。陳腐なものだからだ」

「可哀想だな」

 老人は驚いたように若者を見つめる。老人と目を合わせた若者は老人の表情を見て首を傾げる。

「なにかおかしなことを言ったか」

 老人はすぐに若者から視線を外して、土に隠れていく棺桶に戻す。

「……いや」

「そうか」

 二人は黙って棺桶を見つめて、やがて完全に土がかぶせられ、節々が朽ちた十字架がその上に突き刺さるころ、若者が口を開く。

「しかし、なぜゴドーは私たちに死を求めるの。ぜひともやめてもらいたい。そうしたら仕事がなくなってもっと楽ができるのに」

 若者は一つ嘆息して、靴紐を結び直して、シャベルをもって次の墓を掘り始める。

 ザク、ザク、ザク、ザク。

「ゴドーが求めるものは自らの体験できないことだからだ。その究極が死であるだけだ。ゴドーは皆、平凡で退屈だから、代わりに私たちが非凡で刺激的な存在を演じなければならないのだ」

「私たちの死は、ちゃんと意味のあるものになっている? 私が掘ってきた墓の誰かも、有意義な最期を迎えられただろうか」

 老人は若者の質問に答えない。その様子を見た若者は一つ鼻を鳴らす。



 女か男か分からない若者がひとり、目の前に放置された棺桶を怪訝そうに見下ろす。

「昨日はなかったはずだ」

 若者は老人に目を向けて、老人は棺桶の表面を軽く撫でて砂埃を落とす。

 サッ、サッ、パラ、パラ。

「夜のうちに誰かが置いて行ったんだろう」

「なぜ」

「それは、死人がでたから」

「そうじゃない」

 若者は苛立たしげにシャベルを地面に突き立てる。

「なぜ突然死んだのか。こんな早朝から埋葬があるなんて聞いていない」

「わからない。私たちはしょせんゴドーの創造物で、生かすも殺すもゴドー次第だから、きっと彼は……、もしくは彼女かもしれないし、かもしれないが、物語を進めるうえで邪魔になったんだろう」

 老人は若者がこれっぽちも納得できていないと知りながら、その背中をやさしく二回たたく。

「ほら、何はともあれ仕事だ。そのシャベルで墓を掘っておくれ、いつものように、何も考えずに」

 若者はたたかれた背中を少し気にして、目線よりもいくらか下にある老人の白いつむじを見つめて、それから小さく嘆息して、シャベルを握り直す。

 ザク、ザク、ザク、ザク。

 シャベルの足掛けを踏みつけて、柄を倒して土を抉り出して、少し離れたところに放り投げる。

 それを繰り返す。

「なァ、いったいいつまでこんなことを続けなくてはならないの」

「ゴドーが語ることをやめるまでだ」

 若者は嘲笑うかのように肩を揺らして、シャベルを勢いよく振って、飛ばされた土が老人のみすぼらしい靴を汚す。

 老人は汚れた靴をただ見つめている。

「つまり私は永遠に、この退屈な仕事をしなければならないということか」

 老人は若者の質問に答えない。その様子を見た若者は一つ鼻を鳴らす。



 女か男か分からない若者がひとり、シャベルを手にして立ち尽くす。

「……なんて言った」

 老人はうつむいて若者のほうへ顔を向けないまま、淡々と言う。

「私の墓を掘ってくれ、と言ったんだ」

 若者はシャベルをもっていない手で自らの頭を掻いて、老人の横顔を窺う。

「どうして」

「……ゴドーがそう望んだからだ。この物語にふさわしい結末として、適切だと判断したんだろう」

 若者はシャベルを肩に担いで、同じところをグルグルとせわしなく歩いて、突然足を止め、老人のほうに体を向ける。

「そうなのかもしれないな。それでこの話が終わって、私もこの仕事から解放されるなら、喜んで引き受けるべきなんだろう」

 老人は若者を一瞥して、またすぐにうつむく。

「そうだ。わかったなら黙って手を動かしておくれ」

「しかし、少し安直すぎやしないだろうか」

「なにがだ」

「この結末が」

「そんなものだ。ゴドーは自らの創造物に箔を付けたがる。平凡と退屈から物語を引きはがすために一番手っ取り早くて効果的なものが、私の死というだけだ」

 若者は頷きを返すが、一向に穴を掘り始めることはなく、シャベルをもてあそびながらその先端を目で追って、やがてなにかを思い至ったように嬉々として喋り出す。

「どうせ墓を掘るなら、大きなやつを作りたい。うんと大きなやつだ。今までのどの墓よりも大きなものでないと、私が納得できない」

「なら、好きなだけ大きく掘ればいい」

「そうはいかないな」

「なぜだ」

 若者は老人のことを指差す。

「今死んだんじゃ、とても大きな穴は掘れないからだ。それどころか棺桶さえも見るに堪えないオンボロに違いない」

「私の死をゴドーは誰一人として気にしないからか」

「そうだ。すべてのゴドーが涙するような結末でないと、一番大きな墓を掘ることはできない」

 老人は失笑して、若者は不服そうに老人を睨む。

「なんという暴論だ。だがまァ、そうだな、ここで死ぬのはやめておこう」

 若者はシャベルを放り出して、地べたに座って、一つため息をついた。

 しばらくの沈黙、これといった環境音はない。

「しかし、私が死なないのなら、この物語はどうやって終わらせるつもりだ」

「どうでもいい。そのあたりはゴドーが上手くやるだろう」

 呆れる老人を無視して、若者は立ち上がってズボンに付いた土を払って、シャベルを拾い上げる。

「今日のぶんの仕事がもうないなら、私は帰るよ」

「そうか」

 若者は老人に背を向けて、数歩歩いて、すぐに振り返る。

「明日もここにいるよな?」

 老人は若者の質問に答えない。その様子を見た若者は一つ鼻を鳴らす。

「……さようなら」

「さようなら」

  

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