呪いのような祝福を

 ベッドに寝転がって病室の天井を見た。


 個室付きの病室は、今は部屋の主人は誰もいなくて、何時も置いてあった私物もきれいさっぱり片づけられている。


 まるで、そう、はじめからここには誰もいなかった、そんな気さえしてきてしまう。


 息を吐くと、鼻が詰まって妙に息苦しい。今朝この手紙を千冬さんの両親に渡されてから、私の涙腺はどうやら壊れてしまったみたいで、私の意思とは無関係に、音もなく涙を垂れ流し続けている。


 心はうまく動かない。


 私はまだ、この病室の現状さえ、うまく飲み込めてやいやしない。


 第一、なんだこれ。遺書ってもっとこうさ、自分のこととか書くもんじゃない? なんで私のことばっかり書いてんだか。


 それにさ、呪いの言葉を遺すってのもどうなのよ。しかも呪いって書いてる割に、元の性格のよさがにじみ出すぎでしょ。千冬さんが精一杯怖い顔をして、許しませんとか言ってるのを想像したら笑えてさえくるっての。



 はは。



 あはは。



 あははは。



 あはは。



 ああ。


 

 ほんと。



 ひっどい話だ。



 なんでこんな綺麗な心を持った人が死んで。



 私みたいなどうしようもない奴が生き残っているんだか。



 本当に、なんでなんだか。



 ああ。



 ちくしょう。



 ひどいよねえ、ほんとに。



 もうなんで泣いてんのかすら、よくわかんないよ。



 しかも笑いながら泣いてんの、意味わかんないんだよね。



 ねえ、千冬さん。



 ほんと?



 ほんとに、このまま生きてたら、私なんかを求めてくれる誰かと会える?



 ほんとに、このまま生きてたら、生きててよかったなんて言える日が、いつか来るの?



 ほんとに? ほんとに? 今、私、こんなに泣いてるのに?



 ほんとに、千冬さんが言ってるような幸せなんて、私なんかにやってくるの?



 私は何も持ってないのに。千冬さんみたいなスラって整った顔立ちも、耳が気持ちいような綺麗な声も、誰かの幸せを願るような素敵な心も持ち合わせがないんだよ?



 それなのに、幸せになれるっていうの?



 嘘だよ。



 そんなの、嘘だよ。




 なれるわけないじゃん、そんなの。




 だからね、私の人生はここで終わり。




 今、窓から飛び降りて、そこで終わり。




 今なら三途の川で千冬さんに会えるかもだし。




 ほら、飛び降りよう。今すぐ、飛び降りよう。



 そうしよう、そうするんだ。



 そうしたいんだ。



 そうしたいんだよ。



 そうしたいんだ。



 ごぼりごぼりと涙がただ零れていく頬を感じながら。


 窓を開けてむせかえるな初夏の風を感じながら。


 それなのに透き通るほどに、雲一つない蒼空を見つめながら。


 そっと窓の欄干に脚を載せて。


 ふらりと軽い浮遊感を味わって。


 最期の一押しをそっと、無理矢理に踏み込んだ。


 きっとそうすれば、今すぐ、千冬さんに会えるから。


 そう想って、私は窓の外へと飛び出して。


















 【許さない】



 ――――。




 【死なないで】




 ―――――――――。




 【生きなさい】


















 蒼い、空が見える。



 雲一つなくて、窓を開けた向こうから、小さな蝉の音を響かせて。



 ぽっかりと開いた窓から、蒸し暑い風が吹いて、カーテンをばたばたと、ひとりでにはためかせてる。



 私が、一歩踏み出すと同時に風が吹いた。



 そうして気づいたら、私は病院の床に寝ころんでいた。



 まるで誰かに肩を引っ張られたみたいだった。



 そこで、私はようやく今更に理解した。



 【呪い】だこれは。



 千冬さんが私にかけた死ねない【呪い】。



 きっと誰も信じない。ただの偶然にすぎないけれど。私にとっては紛れもない真実の―――。



 死なせてくれない、そんな【呪い】。



 思わず笑った。



 それから泣いた。



 病院の床に寝ころびながら、まだ蝉が泣き始めたばかりの夏の頃。



 私に、呪いのような祝福をかけた人が、死んだ夏。



 私は独り、赤ん坊のように声上げて泣いていた。



 その泣き声さえも、蝉の音と風の音に搔き消されたまま。

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