Ø9 [over_end_over](3)


 想星はいつの間にか、女子高生に抱きかかえられていた。

「忍は言いたがる。これは自分が血の滲むような思いで、ようやく編みだした忍法だと。自分だけのオリジナルだと。だから、誰にも破れない。仕組みがわからない忍法には対抗できない。一つでもいいから、独自の忍法を編みだせば、頂点に立てる。少し腕の立つ忍は、だいたいそんなふうに考えるみたいだね」

 声も、女性のそれだ。

「……あの――誰?」

 想星は黙っていられなくなり、質問した。

「あぁ」

 彼女は目を細めて、にっこりと笑った。

「ごめん。こっちの形のほうが、本当は使い慣れてて。あっちはわりと新しいから」

「か……形? 使い、慣れ……?」

「おれは雪定だよ。そうは見えないかもしれないけど」

「少し、腕の立つ――」

 黒装束の男が呆れたような声音で言った。

「たいした大上段だ。独自の忍法を編みだした忍が、史上、幾人いると思う。我が忍法、落葉樹の術を一度、試した、だと? 試せるわけがない。俺が編みだした忍法だぞ」

「だから、ずいぶん前に、おれも同じような忍法を考えたんだよ」

 雪定だという女子高生は、まだ黒装束の男を見ようとしない。

 ひたすら想星を見つめている。

 まばたきもしない。

 抱きかかえられていることもあって、想星はだいぶ気恥ずかしくなってきた。

 そうかといって、目を逸らすわけにもいかない。

 わけにもいかない、ということはないのだろうが、どうしてか、想星のほうからは目を逸らせない。

「この程度の忍法なら、十も二十も考えた。たしかに、オリジナリティーは大事だね。その点、きみの落葉樹の術は完全に失格だな」

「何をッ――」

 黒装束の男は驚愕して言葉を失ったのだろう。

 想星も仰天していた。

 落葉樹が、青々としている。

 さっきまで、花は散り、葉はほぼ落ちて、おどろおどろしく枝ばかりが広がり、重なって、空を覆い隠していたのだ。

 それが、どうだろう。

 瑞々しい緑色の葉が、一杯に生い茂っている。

 芽吹いて、花も咲こうとしている。

 もう咲いた。

 咲きはじめた。

 真っ白い花が満開だ。

 雪定だという女子高生は、想星を抱きかかえて枯れ葉の上に立っていた。

 あれだけ層をなしていた枯れ葉は、どこへ行ったのか。

 今となっては草地だ。

 いや、芝生だ。

「ゆ、ゆ、雪定……」

「種がわかっていれば、簡単に破れる。オリジナリティーに欠けた忍法は、脆くて儚い」

「馬鹿なァ……!」

 黒装束の男が怒鳴った。

 もしかすると、男は駆けだして、雪定だという女子高生に攻めかかろうとしたのかもしれない。

 もしくは、何か飛び道具を手にしようとしたのかもしれない。

 想星はやっと女子高生から目を背け、男のほうを見た。

 男はがんじがらめになっていた。

 何かが男を拘束というか、緊縛している。

 男の体中を。

 それは、縄だろうか。

 違う。

 蛇だ。

 男の腕に、脚に、胴体に、首にも、蛇が絡みついている。

 一匹ではない。

 何匹いるのか。

 わからない。

 一匹一匹は、おそらくさして大きくはない。

 アナコンダやニシキヘビのような大型の蛇ではなさそうだが、数がすごい。

 男はもう、物を言うこともできない。

 男の顔に巻きついた蛇が、口をふさいでいる。

 それだけではない。

 蛇は黒装束というか黒頭巾をずらして、男の口の中に入りこんでいる。

 その蛇たちはどこからやってきたのか。

「――っ……」

 想星は思わず女子高生にすがりついてしまった。

 木だ。

 落葉樹だった木が、その幹が、枝も、蛇だ。

 蛇が寄り集まって、巨大な樹木を形づくっている。

 そのごくごく一部が、黒装束の男をとらえているのだ。

「忍法、蛇大集合変化の術」

 女子高生が、ふふっ、と笑う。

 今のは雪定の笑い方だ。

 想星はそう感じた。

「これもずっと前に考えて、試してみたことはあるんだけど、人前で使うのはこれが初めてかな。オリジナリティーは、微妙だよね。だって、木が蛇になるなんて、誰でも思いつきそうだし」

「……思いついても、できないんじゃ」

 想星がつい率直な感想を述べると、女子高生はわずかに首を傾けてみせた。

「そうかな。まあ、素人にはちょっと難しいかもね」

「ちょっとどころじゃないって――」

 想星は、意識したわけではない、無意識だが、まばたきをした。

 その一瞬を境に、女子高生は林雪定に戻っていた。

 落葉樹も、蛇も、見あたらない。

 ここは公園の丘の中腹あたりだ。

 丘の上には白塗りの東屋が建っている。

「下ろしたほうがいい?」

 雪定に訊かれて、想星はうなずきつつ、自分から地面に足を下ろした。

 想星がちゃんと自分の足で立つまで、雪定は両腕で押さえてくれていた。

「……何だったんだ。今の……」

「何だったんだろうね?」

 雪定はとぼけたことを言って丘を登ってゆく。

 想星はついていった。

 白塗りの東屋、展望台の床に、黒装束の男が寝そべっていた。

 ただ寝ているのではなかった。

 男の口から、一匹の蛇が顔を出す、というか、鎌首をもたげている。

 男はぴくりともしない。

 失神しているのか。

 それとも、息絶えているのだろうか。

 展望台には、白く塗られた柱と屋根の他に、ベンチが設えられていた。

 雪定はそのベンチに腰を下ろした。

 足許で、黒装束の男が気絶しているか死んでいるかしているのに、雪定は気にならないようだ。

 想星も雪定の隣に座った。

「……助かったよ。何がなんだか、さっぱりだけど。ありがとう」

「いいんだ。その忍、仕事とは別に、おれを狙ってたかもしれないし。かえって、よかった。いっちょうにせき? 違うね。一石二鳥か」

「……狙ってた? 雪定を?」

「うん。色々あって。めんどくさいんだよね」

「それは――僕が事情を訊いたら、教えてくれる?」

「長い話になるよ」

 雪定は含み笑いをした。

「本一冊分くらいにはなるかな。もっとか。でも、そんなに面白い話じゃないから、聞いてるうちに飽きちゃうと思う。高校生になってからのほうが、おれはずっと楽しかったな。とくに最近は、思い出がたくさんできた」

 高校生になってから、という表現が引っかかった。

 高校に上がるとか、高校に入学するとか、普通はそういった言い方をする。

 しかし、雪定は文字どおり、それまでは高校生ではなかったのかもしれない。

 あるとき、林雪定という高校生になった。

 そういうことであれば、雪定はまさしく、高校生になったのだ。

「ええ、と……本当の、なんていうか……雪定は、さっきの……?」

「さっきの? あぁ――」

 雪定は破顔した。

「あれも、本当とは言えないかな。おれも、だんだんよくわからなくなってきちゃって。本当のおれ、か。ううん……」

 どこか遠くを見て、考えこんでいるようでも、ぼんやりしているようでもある。

 雪定は不意に両手を軽く打ちあわせた。

「そういえば、羊本さんのことも、少し調べてみたよ。彼女は、全人会みたいだね」

「……それは、僕も、薄々……薄々? まあ、なんとなくは」

「大御影宮古彦っていう、その筋ではけっこう有名らしい――何だろうな、彼自身はプレーヤーじゃなくて、人を使って仕事をする、みたいな。オカシラ的な?」

「オオミカゲミヤ、フルヒコ……」

「羊本さんは、その人に使われてるんじゃないかな。そこまでしかわからなかったし、断言はできないけどね。おれは世捨て人みたいなものだから」

「世を捨てて、高校に通ってる?」

「そうか。世捨て人は、俗世を捨てた人のことだもんね。おれの場合は、逆か。あっちの世界から足を洗ったんだ」

「……だったら、余計、迷惑かけちゃったね。こんなことには、関わりたくなかっただろ」

「おれがもっと深く関わってたら、誰も死なずにすんだかも」

「どうかな……」

 想星は立ち上がった。

 黒装束の男はやはり事切れているようだ。

 蛇はいつの間にかいなくなっていたが、男は口も、目も開けている。

 明らかに呼吸をしていない。

 心臓も動いていないだろう。

「想星はこれからどうするの?」

 雪定の問いに、想星は迷うことなく答えた。

「僕は仕事を片づけないと」

「そっか――」

 雪定は続けて何か言おうとした。

 たぶん、よければ、手伝おうか、と。

 想星は遮った。

「僕の仕事なんだ」

 雪定の顔を見るだけで精一杯だった。

 目を合わせることはできなかった。

 雪定も、視線を想星のほうに向けてはいたが、想星の目を見ていなかった。

 眉と眉の間が少し狭くなっていて、唇がわずかにすぼめられていた。

 どこか寂しげだった。

「わかった。行ってらっしゃい」

 想星はうなずいた。

 行ってきます、と言おうとしたが、口を開くと別の言葉が出てきそうだった。

 想星は展望台をあとにした。

 丘を下りていると、笑えてきた。

 仕事。

 やらなければならない仕事など、もう想星にはない。

 誰かに依頼されたわけでも、報酬が得られるわけでもないのだ。

 そんなものを仕事と呼べるだろうか。

 それにもかかわらず、とっさに、仕事、という言葉が口を突いて出た。

 きっと、仕事しかしてこなかったからだ。

 仕事ではないとしても、仕事でいい。

 これまでどおりだ。

 慣れたやり方を貫く。

 そう考えれば気が楽だ。

 高良縊想星はこの仕事をやり遂げる。

 それでいい。

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