Ø9 [over_end_over](2)


 想星は丘を登っている。

「貴様のことは知っている。俺は機関からの依頼で、貴様を殺す」

 声が聞こえる。

「貴様の情報は得ている。毒王、高良縊号云の息子、高良縊想星。獄窟ごっくつぎょうで四十八人の餓鬼の命を奪った多生たしょう羅刹らせつ

 丘の上から、声がする。

「貴様は知るまい。獄窟の業――獄業は、忍術の源流の一つである、修験道から生まれた。かの役小角えんのおづぬによって編みだされたとの伝承すらある。忍である俺にとっては、完全に無縁とは言いきれない」

 ものすごい枯れ葉だ。

 あの木は、いつの間にこれだけの量の枯れ葉を落としたのだろう。

「高良縊号云は忍だったのか? 興味はある。貴様はどうだ? いずれにせよ、貴様はこれから死ぬ――」

 枯れ葉はもう、鼻の下まで達している。

 口で呼吸しようとすると、口腔内に枯れ葉が入りこんでくる。

 口を閉じているしかない。

 鼻だけで息を吸って吐くしかない。

「我が忍法、落葉樹の術によって、貴様は死ぬ。命を完全に失い尽くすまで、死につづける」

 何も見えない。

「思うに、貴様は死の果てに、真の安らぎをえるだろう」

 想星は枯れ葉の中にいる。

「俺は情け深い忍だ」

 丘を登らないと。

「貴様の経歴を知り、哀れに思っている――」

 無理だ。

 動けない。

 身動きがとれない。

「さらばだ、高良縊想星」

 息もできない。

「繰り返される死の苦しみが、貴様にとって平穏への道となることを願う――」

 こんな苦しみには慣れている。

 苦しいだけだ。

 ただ、死ぬまで、苦しいだけ。




 死んで、生き返っても、想星は枯れ葉の中いて、苦しい。

 これは枯れ葉なのか。

 枯れ葉ごときが、こんなにも重いのか。

 指一本、動かせないものか。

 想星はなぜ、丘を登っていたのだろう。

 丘の上に、木が。

 花が咲いていた。

 花は散った。

 葉は枯れ落ちた。

 落葉樹。

 ああ、苦しい。

 苦しいだけだ。

 死ぬまで、苦しいだけ。




 わかっている。

 また死んだ。

 生き返った。

 生き返っても、同じことだ。

 苦しいだけ。

 死ぬまで、苦しむだけ。




 死んで、生き返って、苦しみ、やさしい忍の無慈悲な忍法、落葉樹の術とやらで、想星は死を待つのみで、安らぎ、真の安らぎ、平穏への道、そんなもの、願ったことがあっただろうかと、死への苦しみの最中、考える。

 それは、あった。

 願った。

 安らぎって?

 平穏とは?

 それが何なのか、正直、想星にはわからないけれど。

 でも、ずっと苦しかったし、いつだって苦しくて。

 こんなふうに生きたかったわけじゃない。

 こんなふうに、苦しみ悶えて。

 それどころか、悶えることすらできず、苦しみの中に閉じこめられて、死にたかったわけじゃない。




 死んで、生き返っても、何の意味があるだろう。

 どうせ死ぬまで、苦しむのだ。

 生きながらえても、同じことだし。

 命が尽きるまで死ぬことだけが、出口なのか。

 やさしい忍が言ったとおりなのか。

 ごめんなさい。

 あすみん。

 白森明日美さん。

 モエナさん。

 茂江陽菜さん。

 ワックー。

 枠谷光一郎。

 蓼志奈以織さん。

 他にも、謝らないといけない人が、たくさん、たくさんいる。

 死ぬまで苦しんだところで、とうてい許されない。




 死んで、生き返ることを、あと何回、繰り返せばいいのだろう。

 あと、六十?

 六十一だろうか。

 高良縊想星の命は、残り六十一個。

 六十一回死ねば、この苦しみも終わるのか。

 高良縊リヲナ、リヲ姉を殺したぶんは、計算に入れていない。

 リヲ姉は形代人だ。

 リヲ姉を傷つけた者は傷つき、殺した者は同じく死ぬ。

 だから、実感がなかった。

 もしリヲ姉の命まで勘定に入れなければならないのだとしたら、あと六十二回。




 ――六十一回。

 この苦しみを、六十一回。

 たいしたことはない。

 あの暗闇から始まったおぞましい時間と比べれば、こんな苦しみなんてどうということもない。

 苦しんで、苦しみ抜いて、死ぬだけだから。




 ――あと六十回。

 羊本くちな。

 羊本さん。

 高良縊想星は彼女をどうしたかったのか。

 それとも、彼女に何かして欲しかったのか。

 苦しみながら死ぬだけの今となっては、もうよくわからない。

 それは、彼女を救いたかったけれど。

 救えるものなら、救いたかった。

 でも、無理だ。

 彼女を救えるはずがない。




 ――あと五十九回。

 羊本さんを救うことができたら、どんなによかっただろう。

 そんな方法があったとしたら。

 不可能だとわかっていた。

 わかりきったことだった。

 あたりまえだ。

 高良縊想星は救われることがないし、羊本くちなも救われない。

 方法?

 ない。

 そんなものは。

 どだい、無理だ。

 どうしてもというのなら、誕生したときまで戻って、やり直すしかない。

 当然、そんなことはできない。

 やり直したところで、高良縊想星はともかく、羊本くちなの力が生得的なものなら、同じことを繰り返す羽目になりかねない。

 苦しんで、死ぬしか。




 ――あと五十八回。

 思えば、苦しんで死ぬだけの人生だった。

 苦しんで、死んで、殺して、苦しんで、死んで、殺して、苦しんで、死ぬ。

 こんなものを人生と呼べるのか。

 ただただ、苦しんで、死ぬ。




 ――あと五十七回。

 まだ五十七回。

 いいよ、と思う。

 べつに、いい。

 どうせ、すぐだ。

 この苦しさも、あと五十七回死ねば終わる。

 高良縊想星は無になる。

 自分は、いい。

 あと五十七回死んで無になれば、何も考えなくていいし、何も感じない。

 羊本くちなのことが気がかりだった。

 彼女はどうしているだろう。

 彼女も苦しんでいるのだろうか。




 ――あと五十六回。

 苦しみながら、想星は、羊本くちなを思う。

 彼女はまだ生きているだろうか。

 生きているだけで、苦しくてたまらないだろう。

 あるいは、彼女は自ら命を絶ったかもしれない。

 一度死ぬだけでいいなら、簡単だ。

 こんな苦しみを、五十回、六十回と繰り返さなくてもいいなら、楽なものではないか。

 苦しみ抜いて死ぬ、この苦しみを。




「想星」

 ――あと五十五回。

 高良縊想星は引き上げられる。

 引き上げられる。

 どこから?

 わからない。

 何が起こったのか。

 想星の、どこか、体のどこかを、何かが、誰かが、掴んだのだろうか。

 そうして、引っぱり上げたのか。

 そうだ。

 想星は枯れ葉に埋もれていた。

 動けなかった。

 ひたすら苦しかった。

 足掻くこともできない。

 苦しんだあげく、死ぬしかなかった。

 そこから、引っぱり上げられた。

 涼やかな笑顔が目に映った。

「大丈夫かい?」

 林雪定だ。

 雪定はまだ想星を抱えている。

 想星は雪定に抱きかかえられて、枯れ葉の上にいた。

 おそらく、雪定が手を放したら、想星はまた枯れ葉に沈む。

 沈んで、苦しみ、死ぬだろう。

 それなのに、雪定は枯れ葉の上に立っている。

 ここには、空を覆う一本の巨大な落葉樹と、枯れ葉しかない。

 どこまでも、どこまでも、枯れ葉、枯れ葉、枯れ葉、枯れ葉、枯れ葉、枯れ葉、枯れ葉だけ。

 地表は枯れ葉ですっかり覆い尽くされている。

 想星は知っている。

 枯れ葉は深い、底なしの層をなしていて、一度入りこみ、その中に落ちてしまったら、脱出できない。

 しかし雪定は、想星を抱きかかえて、その枯れ葉の上に立っていた。

 なぜ沈まず、枯れ葉の中に落ちてしまうことなく、立っていられるのか。

「ごめん、想星。断られたけど、来ちゃった」

「……来ちゃった――って……」

「いくら想星でも、忍の相手をするとなると、ちょっとね」

「や……忍って――」

「忍法、落葉樹の術、か」

 雪定のつるんとした顔には笑みが貼りついたままだ。

 けれども、雪定はもう笑ってはいない。

 それはただの表情だ。

 もっと言えば、表情として作られたものでしかない。

 緻密で、どこまでも精巧だが、本物とは違う。

 具体的に、どこがどう違うのか。

 想星には指摘できないが、違うということだけはわかる。

 そもそも、枯れ葉の上で想星を抱きかかえている、彼は何者なのだろう。

 本当に林雪定なのか。

「いかにも――」

 違う。

 雪定の声ではない。

 別の誰かだ。

 雪定、もしくは、雪定らしき何者かは、口を動かさなかった。

 想星は落葉樹の幹のほうに視線を向けた。

 そこに男が立っていた。

 体形からして、男性だと思う。

 黒装束を身につけて、目の部分しか露出していない。

「忍者……」

 想星が呆然と呟くと、黒装束の男が人差し指を左右に振ってみせた。

「いない。忍者などというものは。今はいない、昔はいた、いいや、そうじゃない。忍者はいないし、いなかった。史上、存在したことがない。高良縊想星、貴様が言う、忍者、そう言われて誰もが思い浮かべるような連中が、いたことはいた。そして、今もいる。だが、忍者じゃない。忍者と呼ばれてはいなかった。それは、クサ、といい、スッパといい、ラッパ、といい、間者、諜者、とも呼ばれた。呼び名は他にも色々ある。あとは、そう、シノビ。忍ぶ者。忍。いわゆる忍者とは、ここからきている。忍びの者。転じて、忍者。しかし、我々は忍者じゃない。忍者を自称した者は一人もいない。我々は――俺は、忍だ。貴様も忍だな?」

 あの忍を名乗る黒装束の男は、誰に尋ねたのか。

 むろん、想星ではない。

 雪定か。

「どうかな」

 雪定だ。

 返事をした。

 どうかな、と。

 肯定でも否定でもない。

「ただ、落葉樹の術――それは一度、試したよ」

「……何?」

 黒装束の男は、動揺したのか。

 一瞬だ。

 すぐに笑いだした。

「くだらん。戯れ言を。試した、だと? 我が忍法、落葉樹の術を? どうやって試したというんだ。俺が編みだした忍法だぞ。古今東西、どの秘伝書にも記されていない。俺の、この俺だけの忍法だ。ゆえに、必殺。誰にも破ることはできない。この俺にしか」

「きみだけの――」

 雪定は想星を抱きかかえている。

 両腕を想星の背中に回して、支え持っている。

 二人の体はほぼ密着している。

 かといって、想星はそのことで戸惑いを覚えてはいなかった。

 先ほどまでは。

「少し腕に自信がある忍は、だいたいそう言うね」

 雪定は、雪定なのか定かではない何者かは、黒装束の男と話している。

 だが、そちらを見てはいない。

 まるで、眼中にない、とでも言わんばかりに。

 彼は――彼、なのか、想星を見ている。

 想星は抱きかかえられている。

 現時点において、そのことが想星を面食らわせ、ある種の居心地の悪さというか、恥じらいのようなものさえ感じさせていた。

 今の雪定は、どう見ても、男性ではない。

 体つきが違う。

 顔も違う。

 もともと雪定の顔立ちはそれほど男性的ではなかったが、そういう次元の問題ではない。

 明らかに、林雪定ではない。

 彼女と林雪定との間には、共通点らしきものがほとんどない。

 ただ、年齢は同じくらいだろうか。

 彼女はどういうわけか、想星が通っていた高校の制服を着ている。

 もちろん、と言うべきか、女子の制服だ。

 彼女はどうやら女子高生らしい。

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