Ø7 [alter_ego](2)


 埠頭の出口から、誰かが歩いてくる。

 姉は望月読美の死体を処理するために業者を手配したはずだ。

 その業者だろうか。

 明らかに違う。

 それ専門の業者が、徒歩で仕事現場にやって来るはずがない。

 道具、機材なども必要なはずだ。

 何より、死体を運搬しないといけない。

 間違いなく車を使う。

 それは、何ということもない、スーツ姿の男だった。

 眼鏡をかけ、頭髪を分けている。

 年の頃は三十代か、四十代か。

 平凡というより、中庸な容姿だ。

 鞄のたぐいは持っていない。

 ネックストラップにスマホを吊している。

 昼時のオフィス街には、似たような男性がいくらでもいそうだ。

「注意して」

 姉が小声で言った。

「今、データベースと照合しているわ」

 高良縊遠夏は、高良縊号云を殺害した際、自ら両眼球を抉り出して失明した。

 何も見えないはずだが、まるで視覚が機能しているかのように行動している。

 不思議だったが、弟が尋ねたところで素直に答えを教えてくれるような姉ではない。

 ただ、データベースと照合、という言葉から、漠然とではあるものの、からくりの一端が見えたような気がした。

 スーツ姿の男が足を止めた。

 想星や姉から、まだ十メートル以上、離れている。

「……適合しない」

 姉が声を潜めて言った。

「正体不明よ。でも――」

「悪魔の手を持つ男を、知っているか」

 男の声は少々くぐもっていた。

 それでも、はっきりと聞きとることができた。

 想星は迷わず拳銃を構えて男に照準を定め、すぐさま引き金を引いた。

 狙ったのは男の頭だ。

 相手も、想星も、直立している。

 お互い動いていない。

 外すような距離ではない。

 男がとっさに避けなければ。

 躱そうとするだろうと、想星は予測していた。

 ところが、男はその場から一歩も動かなかった。

 ただ大口を開けた。

 大口にも程がある。

 顔全体が口になったかのように、想星には見えた。

 そう見えたのではなく、それが実態だったのではないか。

 想星は四連射したのだが、四発の銃弾すべて、男の口に吸いこまれた。

 男は銃弾を食べてしまった。

 銃弾を平らげた途端、男の口はもとに戻った。

「腹の足しにもならない」

 男は右手の人差し指を立てて、左右に振ってみせた。

「悪魔の皮膚を持つ男を知っているか。悪魔の髪を持つ女は――そこで死んでいるから、まさか知らないとは言わないだろうな」

「望月……」

 姉が呟いた。

 そのときだった。

 想星は姉が両手を背中に回していることに気づいた。

 姉のトレンチコートは当然、前開きだが、背面にも目立たないスリットがある。

 姉は両手をそのスリットに差し入れていた。

 おそらく武器を隠し持っているのだろう。

「初めまして」

 男は会釈をした。

「望月葉介ようすけだ。不肖の弟たちと妹が世話になった。仇討ちなどというのは柄じゃないんだが、これでも一応、長兄なのでね。最初に生まれただけで、したくもない尻拭いをする羽目になるとは、まったく不合理な話だよ」

「――で、その望月兄弟の長兄とやらは、悪魔の口を持つ男、というわけ?」

 姉はまだ武器を抜かない。

 しかし、何か仕掛けがあるのだとしても、本格的な戦闘までやれるのか。

「悪魔の、口」

 望月葉介は微かに顔をしかめた。

「それは違うな。だが、見知らぬ他人に正解を教えてやる義理はない」

「見知らぬ他人とはつれない言い種ね。私たちはあなたの兄弟を殺したのよ」

「いいから、さっさとかかってきたまえ。わざわざここまで出向いてやった。これ以上の手間は御免被る」

 姉が首を右にひねった。

 それと同時に、背中のスリットから武器を抜き出しながら、左に跳んだ。

 想星は右に向かって駆けだした。

 姉は速攻をかけた。

 足を止めずに、二丁の拳銃で撃ちまくった。

 反動が小さい小口径の拳銃のようだが、そうはいっても両手に一丁ずつ持って、しかも、動きながらの射撃はたやすい芸当ではない。

 姉はかなり体勢を低くして、望月葉介の胸から下を狙い撃った。

 想星はさっき頭を撃ったが、効かなかったことを考慮したのだろう。

 想星も望月葉介の腹めがけて拳銃をぶっ放した。

 望月葉介はその場から動こうとしなかったので、姉も想星も全弾命中させた。

 二人とも弾倉が空っぽになるまで撃ち、倉庫と倉庫の間の路地に飛びこむと、倉庫の外壁を背にして弾倉を交換した。

「どうなっているの!?」

「……わからないですよ! 口になるんです、なんかこう――」

「ひどい説明だわ!」

「しょうがないでしょ、あんなの、自分の目で見て確かめてくださいとしか……」

「見えないのよ!」

「まるで見えてるみたいに撃ってるじゃないですか! 来た……!」

 想星は路地の出口に銃を向けた。

 望月葉介は急ぐでもなく歩いてきて、のっそりとそこに姿を現した。

 最初からそうだが、あの男の立ち居振る舞いは不気味なまでに無造作だ。

「見えてないなら逃げてください、僕がなんとか……!」

 想星は発砲しつつ、後退した。

 だめだ。

 撃っても、撃っても、望月葉介は大口を開けて、というか、頭部が大きな口と化して、瞬時に銃弾を、食べてしまう、と言うべきなのか。

 それとも、のみこんでしまう、と言うべきだろうか。

 望月葉介の動き自体はゆったりとしているのだが、あの大口は速い。

 頭全体が口になる。

 いや、望月葉介が口を開けると、その口腔が頭全体にまで広がる。

 さらに、口腔が伸び縮みして、そこに銃弾に吸いこまれてしまう。

 あるいは、口腔に銃弾が絡めとられてしまう。

「――情報が出たわ!」

 姉は、逃げろと言ったのに、想星と肩を並べて二丁拳銃に火を噴かせている。

「最近は仕事らしい仕事をしていないけれど、十年以上前に、海外のマフィア関係者三十人以上を、いっぺんに消し去っている! 悪魔の胃袋を持つ男……!」

「だから……! もう!」

 想星は姉の腕を引っ掴んで、望月葉介に背を向けた。

 弟が全力疾走すると、姉は足並みを揃えてくれた。

 望月葉介は追いかけてくる。

 しかし、走らない。

 引き離せそうだ。

「あんなのにかかずらってられないですよ!」

「でも、ずっと付け狙われるわよ! 他の望月もそうだったでしょう!?」

「どうやって殺すんですか!? 化物じゃないですか!」

「――ちょっと、想星、いなくなってない!?」

「えっ!?」

 姉に言われて後ろを見ると、たしかに望月葉介が消えていた。

「ていうか、姉さん、やっぱり見えてるんじゃ……」

 どういうことなのか。

 いやな予感がする。

 想星は入ってきたほうとは逆の、向かおうとしていた路地の出口に視線を戻した。

 案の定だった。

 望月葉介が立っている。

「言わなかったか。これ以上の手間は御免被る、と。それから、そこのご婦人」

「……婦人? 私?」

 姉は戸惑ったように言いながら、望月葉介に四発ほどの銃弾を浴びせた。

 無駄だった。

 口だ。

 やはり、あの口が銃弾をぺろりと平らげてしまった。

「そうだ。はしたない女性だな」

「余計なお世話よ!」

「嫌いではないタイプだ」

「こっちは願い下げだけど」

「残念だな。所作からすると、どうやら目が不自由のようだが、何か別のもので見ているな。これか?」

 望月葉介は口笛を吹くときのように唇をすぼめた。

 ひゅっ、と息を吐いただけではない。

 斜め上方向に、何かを飛ばした。

 唾か。

 別のものだろうか。

 拳よりも少し大きい物体が落下してきた。

 望月葉介と想星たちの、中間くらいの位置だ。

 その上空に、浮遊していたのか。

 望月葉介が唾、もしくは別のものを飛ばして、それを撃墜した、ということなのだろう。

 物体が地面に墜落した。

「……ドローン?」

 想星が呟くと、姉が舌打ちをした。

「目が一つ潰されたわ」

 姉は想星に言ったのか。

 違う。

 そうではない。

 姉は他の誰かと話している。

 通信しているのだ。

 想星は面識がないが、姉は仕事上、必要があれば、腕のいいハッカーだか何だかの手を借りる。

 どうも、複数ではなく、特定のハッカーを信頼していて、姉が、彼女、と呼んでいることから、それが女性だということくらいは、想星も知っていた。

 もしかすると、今、姉がやりとしているのは、その彼女なのではないか。

 姉と彼女とは、想星が思っていたよりも懇意にしているのかもしれない。

 姉は、目が一つ潰された、と言っていたから、一機ではないはずだ。

 このあたりを複数のドローンが飛んでいて、それらが収集した情報を姉に送る仕組みがあるのだろう。

 凄腕のハッカーなら、自前のドローンだけではなく、防犯カメラなどをハッキングして、その映像を入手することもできそうだ。

「……姉さん、やっぱり逃げてください。あいつは僕がなんとかしますから」

「私が足手まといだとでも?」

「まあ、そうです」

「言うじゃない」

「いられると、気になるんだ。僕は一人のほうがいい。一人がいいんです。気楽だし。誰もいらない。邪魔なんですよ」

「……わかったわ。終わったら教えて」

「はい」

「絶対よ。おまえと私。二人でやってきたの。これからもそうよ。途中で下りるなんて言わせない」

「姉と弟で、仲よしなんだな」

 望月葉介が少しだけ笑った。

「妹は年が離れすぎていたからともかく、弟たちとは子供の頃、遊んだものだ。思いだしたよ。愛していなかったわけじゃない。大人になって、どうでもよくなっただけだ。きみたちは違うようだな。ならば、二人仲よく死ぬのがお似合いだろう」

「姉さん――」

 想星は姉を後ろへ押しやろうとした。

 望月葉介が何かまったく異なるものに変身したのは、そのときだった。

 いいや、異なるもの、ではないのか。

 始まりは口だった。

 望月葉介は大口を開けた。

 頭部全体が口腔になった。

 その口腔が望月の全身を包んだ。

 というよりも、口腔が望月の全身に及んだのか。

 望月葉介があっという間に裏返ったようにも見えた。

 あれはたぶん、望月葉介の体の裏側だ。

 口腔というか、胃壁のようだった。

 それどころか、胃袋だ。

 もはや望月葉介は人間の形をしていない。

 単なる巨大な胃袋と化していた。

 悪魔の胃袋だ。

 何が、悪魔の胃袋を持つ男、だ。

 持っているどころの騒ぎではない。

 望月葉介は悪魔の胃袋そのものだった。

 胃には食道と接する入口の噴門、十二指腸と接する出口の幽門という、開口部がある。

 悪魔の胃袋と化した望月葉介にも、それがあるようだ。

 噴門か幽門、どちらかなのだろう穴がこちらを向いて、そこから何かが噴きだした。

 それは紫がかった鉛色の濁流だった。

 とてつもない量で、勢いもすさまじかった。

 路地は見る間にその濁流で満たされた。

 むろん、想星は逃げたかった。

 しかし、それよりも姉を逃がすことを優先した。

 望月葉介が言ったように、仲のいい姉弟だからでは、まったくない。

 それは断じて違う。

 たとえ姉でなくても、想星は自分より優先したに違いない。

 自分はいい。

 死にはしない。

 死んでもすぐに命が尽きるわけではない。

 けれども、高良縊想星以外はそんなわけにはいかない。

 濁流は臭かった。

 酸っぱいような、とにかく刺激が強くて、臭気というより、毒気としか言いようがない。

 それにのみこまれる寸前、姉と手を繋いだ。

 姉が手をのばして、それを想星が掴んだのか。

 その反対だろうか。

 定かではないが、姉の手の感触はわからない。

 手を繋いだ瞬間、二人とも濁流にのまれた。

 体中を焼かれながら、圧迫されている。

 圧搾、というほうが近いかもしれない。

 呼吸などできるはずもない。

 二十秒ほどは持ちこたえただろうか。

 苦痛の中で、これは確実に死ぬだろうと、想星は理解していた。

 姉はどうなるだろう。

 当然、死ぬ。

 姉さん。

 叫ぼうとしたところで、想星は意識を失った。

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