Ø7 [alter_ego](1)


 ――何回死んだ?

 どうだっていい。

 心底どうでもいいはずなのに、ちゃんと数えている。

 さんざん殺されて、高良縊想星の命は残り八十九だった。

「いい加減にしてくれよ……」

 夜更けの埠頭、ひとけのない倉庫街で、想星は左手で渦巻くような髪の毛を引っ掴み、右手で握った拳銃の銃身を髪の毛の中にねじこんだ。

 この髪の毛が――髪の毛の集合体のような、悪魔なのか、悪魔と契約した人間か、悪魔のごとき特異体質の持ち主なのか、何なのか、そんなことは知ったことではないが、望月読美が、もはや息も絶え絶えだということはわかっていた。

 想星は、執念深い望月読美に何回も窒息させられ、殺されたが、銃弾を何発も食らわせた。

 髪の毛の硬度は馬鹿にならないし、細くて柔軟な髪の毛が密集すると、どんな衝撃も吸収してしまう。

 だから、接近というか密着して、髪の毛をかきわけ、かきわけ、中を直接銃撃すればいい。

 そのために、何度、髪の毛にのみこまれて、苦しみ悶えながら死んだことか。

 弾がなくなるまで、想星は引き金を引きつづけた。

 やがて胸の中心あたりで、とくん……と音が鳴った。

「九十……」

 みるみるうちに髪の毛が短くなってゆく。

 やせっぽちで、体のあちこちに銃痕がある少女の体内に、吸いこまれてゆくかのように。

 ほとんどあっという間だった。

 少女は、本来の、と言うべきなのか、頭髪すらも失い、無毛の、無残な射殺体に成り果てた。

「何だよ、これ……」

 普通の少女ではなかった。

 やらなければやられていた。

 それどころか、想星は殺された。

 いくら逃げても、隠れても、望月読美は想星を付け狙い、しつこく追いかけてきた。

 やるしかなかった。

 やるべきことを、想星はした。

 後ろめたさはない。

 安堵している。

 喜びはない。

 後味がよくない。

 想星は唾を吐こうとした。

 思いとどまり、背負っているデイパックからスマホを出し、姉に電話した。

 姉はワンコール目の途中で出た。

『想星』

「姉さん」

『……終わったのね?』

「はい」

 ふたたび少女の亡骸が目に入った。

 想星は顔を背けた。

「……どうでしょうか。終わったのかな」

『望月読美を始末したんでしょう』

「ええ。そこで死んでます」

『終わったのよ』

「そうですね」

『おまえが終わらせたの』

「はい」

『後始末の手配をするわ』

「お願いします」

『……そこにいて。私、近くにいるのよ』

「え?」

『行くわ』

「行くって、誰が」

『私に決まっているでしょう。五分もかからないから』

「来るっていうんですか。姉さんが、ここに」

『切るわ』

 実際、電話が切れた。

 想星はスマホをしまうと、拳銃に弾を装填し直した。

 じっとしていられず、気がつくと死体の周りをうろうろしていた。

 この埠頭は古いし、大きくもない。

 建ち並ぶ倉庫は、一見、使われているのか疑問に思うほど、錆だらけだ。

 倉庫の前の、船が横付けして貨物の積み卸しをするスペースには、乱雑にコンテナが置かれている他、木材が積まれている。

 夜釣りをする者も多くないというこの場所に、想星は望月読美を誘いこんだ。

 決着をつけるために。

 狙いどおりに事が運んだ。

 うまくいった。

 想星は倉庫の前で死んでいる少女を見下ろした。

 この死体に見慣れたほうがいい。

 何も感じなくなるまで、見つづけるのだ。

 あるいは、足蹴にでもしたほうがいいのか。

 死者への冒涜を恐れるような柄でもない。

 自分より年下としか思えない少女を手にかけたからといって、それが何だというのか。

 そもそも、想星は良心が咎めているのか。

 良心など持ちあわせていないはずなのに、咎めるなんておかしいのではないか。

「想星」

 姉の声がした。

 埠頭の出口方面から、トレンチコートを着た女が歩いてくる。

 ベージュのトレンチコートだ。

 女はサングラスをかけている。

 想星は拳銃を握ったままだった。

 拳銃を女に向けたほうがいいのではないか。

 とっさにそう思った。

 なぜ彼女を撃たないといけないのか。

「姉さん」

 もちろん、想星は女に銃を向けなかった。

「会うのは……久しぶり――でしたっけ」

「そうね」

 女は死体の手前で足を止めた。

「望月兄弟。気味の悪い連中だわ」

 想星は笑いそうになって、銃を持っていない左手で口を押さえた。

「……そうですね。気味が悪い。変なやつらに目をつけられたな。仕事は選ばないと」

「それは、私に対する批判?」

「一般論ですよ。たぶん、手を出しちゃいけないことって、あるんだ。望月境介。壊し屋は、あんなに仕事をしていたのに、誰も手出ししなかったでしょ。きっと、こういうことだったんですよ。悪魔の手を持つ男か。ていうか、あの男が悪魔だったんじゃないですか。悪魔を殺したら、呪われるんだ。僕はあの男を殺してないのかもしれない。殺せなかったのかも。悪魔はまだ、生きてるんだ。ちょうど、僕みたいなものなのかもしれないですよね。殺しても、悪魔は死なない」

「想星……」

「NG系だって、この国に入りこんできてから、何年も――もっと経ってたわけでしょ。それなのに、潰さなかったんだ。COAも、全人会も、機関だって。危ないって、わかってたんじゃないですか。導火線に火をつけちゃいけなかった。爆発するんだから。爆発しましたよね。僕の目の前で」

「想星」

「何ですか、姉さん。説教なら、やめてよ。聞きたくない。聞きたくないんだ。空港で、何人死んだと思ってるんですか。ユーリン・グレイとNG系、愚かな殺し屋たちを除いて、死者十三名、重軽傷者七十二名ですよ。ユーリン・グレイが死んだからって、NG系はあきらめるのかな。むきになって、攻めてくるんじゃないんですか。また人が死にますよ。きっかけを作ったのは、僕だ。僕と、姉さんなんですよ」

「わかっているわ」

「わかってないよ。姉さんは、わかってない」

「私が仕事を選んでいるわけじゃない。組織が回してきた仕事よ」

「自己弁護ですか」

「いいえ。これは組織が望んでいる道なの。私たちはその先頭を歩いている」

「歩いているんじゃない。歩かされてるんでしょ」

 姉は口を開いて何か言おうとしたが、言葉が出てこない。

「いつ、なのかな……」

 想星はため息をついた。

「どこかで、何かミスをしたんでしょうね。僕には見当もつかないけど。最初から、かな。僕なんかが生き残ったのが、そもそも間違いだったんだ。姉さんは、浮彦のこと、覚えてますか」

「ええ」

「あの暗い場所に閉じこめられて、殺しあいをさせられた、四十九人……そのうち何人が、父さんの血を引いてたんですかね。姉さんは知ってますか」

「全員よ」

「……全員?」

「調べたわ」

「……四十九人? 一人残らず?」

「母親は別々だけど、父親は高良縊号云だと思う」

「全員、兄弟……」

「そうよ。だから、私たちはあの男を殺さなきゃいけなかったの。たとえリヲナが止めても、あの男を殺さないと、四十八人の弟たちが浮かばれない」

「浮彦も、僕の兄弟……」

「おまえも薄々気づいていたでしょう」

「……なんとなくは」

「あの子とおまえは仲がよかったわね」

「僕を――友だちだって。殺してくれって。痛くて、苦しくて、つらいから、早く楽になりたいって。僕に……僕の手で、殺して欲しいって、頼まれたんだ」

「浮彦は知っていたわ」

「……知ってた? 何を?」

「全員、血を分けた兄弟だって。あの子は決めていたのよ。呪われた兄弟たちを自分が葬って、生き残った最後の一人に、託すことを」

「決めてた……? どうして……姉さんが、そんな……」

「あの子と仲がよかったのは、おまえだけじゃないわ。弟たちの中では、あの子が一番まともだったし」

「……浮彦が、姉さんに話したんですか?」

「私は止めたのよ」

「浮彦を? あの……父さんの、儀式に……浮彦が、参加するのを?」

「逃げろと言ったわ。私は高良縊号云が何をしようとしているのか、ずっと探っていたし、だいたいのことはわかっていたから。浮彦なら、あの男の手から逃げおおせることも、可能だと思った」

「僕には教えてくれなかったですよね」

「おまえに? いつもびくびくして、隠れてばかりいる、弱虫想星に? 話したところで、意味があった?」

「……浮彦が生き残るはずだった」

「いいえ。あの子にそのつもりはなかった。どういうわけか、あの子はおまえを見込んでいたから。おまえは誰も殺さない。殺されもしない。代わりに、あの子が殺すべき兄弟を始末する。おまえが最後の一人になる。それがあの子の読みだったのよ。そのとおりになった。あの子は……優秀だった」

「すごいな」

 想星は首を振った。

「ひどいよ。本当の弱虫は、浮彦じゃないか。ぜんぶ僕に押しつけて。やるなら、最後まで自分でやればよかったのに。なんで、僕なんかに」

「あの子が一番まともだったと言っておいて、何だけど」

 姉は頬を緩めた。

 微笑んでいるらしかった。

「変わっているところもあったわ。気に入ったものは、何があろうと傷つけない。そうじゃないものは、平気で壊せる。あの子はおまえが好きだったのよ。リヲナのことも好いていたわ。あの子には、おまえ以外の四十七人なら殺せても、おまえだけは殺せなかった」

「……大丈夫だと思うって、浮彦は、僕に。『想くんは大丈夫だと思うけど』って、言ったんです」

「だから、あの子の読みどおりだったのよ。生き残ったおまえがその力を手に入れる。高良縊号云を許せない私は、おまえを引き入れて、あの男を殺す。どうしてもリヲナが邪魔になるけど、浮彦はリヲナを殺せない。おまえじゃなきゃいけなかったの。すべての元凶、高良縊号云を殺すには、これしかなかった」

「歩いてきたんじゃない」

「何ですって?」

「僕は……僕なりに、歩いてきたつもりだった。でも、そうじゃなかったんだ。歩かされてきたんだ。生き残ったときから。浮彦に、歩かされてきた。殺す前に……楽にしてやる前に、浮彦が、何か言いかけたんだ。『想くん……僕は――』……あのあと、浮彦は何が言いたかったのかな。たぶん、謝りたかったんだ。ひどいことをしたって。友だちだって……思ってたのにな。恨むよ、浮彦。僕はこんな道、歩きたくなかった。あの暗闇の中で、死ねばよかった」

「想星」

「はい」

「愚痴ならあとでまた聞いてあげるわ」

「もういいです。これ以上、話すことなんて、ありませんから」

「じゃあ、用意をして」

 姉は埠頭の出口のほうに向き直った。

「招かれざる客が来たみたいよ」

 想星は一瞬で頭が切り替わってしまう我が身を忌々しく思った。

 その嫌悪も即座に消え去った。

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