21話
「それで、能崎学長」
対崎の背中を見送って、箭原ノノコは訊く。
「本当は何を考えてるわけ?」
「ここでお前を殺す。それだけだ」
「は。だったら対崎ごと殺せば良い。あなた、何か別の思惑があるでしょ」
「あいつにいて欲しくない」
「理由」
「…………」
「言って」
「箭原。君は今どう言う立場なのか、わかってるのか?」
能崎は、箭原の頭に銃を向けている。
街では騒ぎになっていた。異臭がする。なんと無く気分が悪い。倒れた人間もいる。そんな話題ばかりが耳に入ってくる。大通りだった。装置は何処だ。まだ散布されて間もない。大した被害はまだない。そもそも、装置がどれだけあるのかわからない。
ひとつは、目立つ場所にあった。人だかりに囲まれていた。
「どいて……」私は割って入る。民衆は私に気づく。
見たこともない装置が、電柱の下方に取り付けられている。今までは疑問に思わないほど、風景に溶け込んでいる。
大した装置では無いはずだ。毒素だって、それほど吸い続けなければ、すぐに影響が出る様なものでもないらしい。
「毒が出てるから離れて」私は区民に呼びかける。
区民は私の話を間に受けて、下がる。こいつらが大人しいだけで感謝した。
目と、探偵としての感を信じたいのに、それが全部能崎から与えられた物だったことを思い出して怖気付く。
ハンカチを口に当てて、ゆっくりと、振り絞るように近づく。
無理かもしれない。私に、解除なんて……。
手が、止まる。
「おい、逃げるのか」聞き覚えのある声だった。そこには大岩根がいて、私を指差していた。「お前、それがなんなのかわかってるらしいじゃねえか。毒だって? そんな物を放置して、逃げるって言うのか。俺たちを見捨てるんだな?」
区民は大岩根の言葉を聞いた。私に文句を言う。
ふざけるな、見捨てるな、対崎馬鹿野郎、人殺し、そんな言葉ばかりを浴びせられる。
歯軋り。舌打ち。
私は、なんでこんな奴らのために、箭原を犠牲にしてるんだろう。もう、私だって、生きてる理由なんかないんだから、ここで何もしなくたって構わないのに。
助けてもらえるなんて思っているこいつらは、傲慢でしか無かった。
私はついに頭に来て、大岩根を、動かしていないオーパーツの硬い部分で殴った。
大岩根はよろける。
「誰がお前達なんか!」叫んだ。止まらなかった。「お前達みたいなゴミを、誰が……誰が助けたいもんか!」
殴った。さらに殴った。オーパーツを振り回す女を止める勇気を持つ人間はいない。
ひとしきり殴ったあと、また見たことのある女が、私の腕を掴む。
「ありえ……」サードイヤーだった。「ねえありえ辞めてよ。ありえ、そんなことしても……」
「うるさい! 知るか! もうこの街は終わりよ! 助ける価値なんかない!」
「ありえ……街が大変なのは知ってる? でも探偵協会は、何もしてくれない。ありえ、その装置を解除しようとしてたんだよね。だったら、私も手伝う」
「そうやって私に期待して、私から全部奪っていくんだよお前達は!」
「違うよ、ありえ……。私は、もうあなたを利用したりしない……けじめを、つけたい。あなたに、許して欲しい。あなたの夢を、叶えたい……」
夢? なに、夢って。
怯える大岩根が見える。振り向くと、私を心配しているサードイヤーが見える。
「もう、終わりよ、この街は」私は、とにかく殴る手を止めた。「箭原を……見捨てて、私はここに来た。見捨てて、得ようとしてるものが、こんなクソみたいな区民の命だなんて、もう死んだほうがマシ」
「……箭原さん、どうしたの」
「能崎学長が、拳銃であいつを人質にとって、毒ガスを撒いた。だから私は……毒ガスを止めに、ここまでやってきたのに……」
「だったら」サードイヤーは知った風な口を叩こうとする。「箭原さんの犠牲が、無駄になるんじゃないの」
「それに見合うリターンがないの、こいつらに……」
「じゃあ、さっさと毒ガスを止めて、箭原さんを助ければ良いんだって!」
「間に合うわけ無いでしょ! バカじゃないのあんた! 箭原は……もう……」
「間に合うよ!」何の根拠もなしに、サードイヤーは言う。「信じて……箭原さんを。彼女を助けに行く。その時まで、きっと彼女は生きてる。ありえの……パートナーでしょ」
「…………」
何も、言えなくなってしまった。
箭原の目を思い出す。あれは、死ぬつもりだった人間の眼なんだろうか。
「だから、ありえ……」サードイヤーは、私の手を握った。「ありえは、箭原さんのことだけを考えて。街なんて見捨てて。彼女のためだけに、毒ガスを解除して……」
……やるか。やるしかないのか。箭原のためと言われたら、そうするしか道はないらしい。
長い間感じていた肩の荷が、ようやく降りた気がした。
この街が気に入らない。もうそんなことはどうでもいい。
箭原を助ける。その為にしなければならないこと。
毒ガスの解除。そうしなければ、箭原が戻ってくる場所がない。なるほど、それはシンプルな考えだ。それ以上の理由なんて考えるな。どうでもいい。文句を言うな。
「もう、私は、あなた達のことは考えない」
「うん……それで良い。そうして」
「箭原のため。それだけよ」
そのために必要な、人手。
「……大岩根」私は倒れている大岩根に、話しかける。
彼は私を見て、固まる。
「……あんた、暇? 手伝って欲しいことがあるんだけど」
急に、能崎がよろめいたのが、箭原ノノコには見えた。
「あんたの優等生的なところが、本当に嫌いよ」
「……来ると思ってた」
入り口から現れたのは、銃を持った内ヶ島だった。
箭原はその瞬間に、自分の義手を嵌め直した。
撃たれた能崎は絶叫する。
「内ヶ島! 貴様!」
「私、対崎とは対等に戦いたいから、あなたみたいなのは邪魔なの」
「能崎!」
箭原は義手を、能崎の遥か下方から振り上げる。顎先をめがけて。
吹き飛ばされる能崎。それでも能崎は気を失わなかった。
銃を失った。脳震盪を起こした。けれど、まだ、執念で動く生物がいた。
能崎はそのまま、気力を振り絞って走って逃げる。
家の奥の窓から飛び出して。
箭原は窓から見下ろす。風が、頬を撫でた。二階だが、死ぬような高さでもなく、適度に足場はある。足音は聞こえる。能崎は駆けている。
「箭原」内ヶ島。「追うわよ」
彼を追って、議事堂に向かった。そっちに逃げた、という目撃証言があった。
急いで向かった区長室。
そこで能崎は、頭を撃ち抜いて、死んでいた。
区長のディスプレイ。
『能崎、自害してください』
「なにが、あったっていうの……」状況を見た内ヶ島は頭を抱えていた。
更に目を引くディスプレイの表示。
「ここにある爆弾が動いてるってさ」箭原は淡々と読み上げた。「どうする?」
内ヶ島は会話のログを読み込む。
「……結局、能崎も区長の駒だったわけね……命まで、吸い取られたんだわ。これを止められるのが、きっと能崎だけだったのよ。だから、区長はその方法を、消したんだわ……」
諦めたように、内ヶ島はそう呟いた。
街の毒ガスはあらかた解除できた。
私は単なる探偵としての知識と土地勘で爆弾を見つけ出した。学長と同期していた時期が長い影響だろうか。なんとなく場所はわかったし、騒ぎにもなっていた。そこからはサードイヤーの知識を使って、なんとか解体にこぎつけることが出来た。大岩根も、不満そうな顔をしていたが、解体用の道具を見繕って使ってくれた。
街で見かけた前波も協力してくれた。側にいた鶴居も協力してくれた。
気がつけば、街の騒ぎは静まっていたっていうのに、心臓に悪い情報がひとつ。
「……ありえ」サードイヤーがカフェにある端末を触りながら言う。「爆弾だって」
私たち(私、サードイヤー、大岩根)は、区長室を目指した。
そこには無事だった箭原がいて、私はつい抱きついてしまったが、彼女は迷惑そうに告げる。
「爆弾が動いてるんだって。能崎はこれを起動させて、死んだ」
そこで死んでいる能崎の説明を受けても理解は出来なかった。
区長室には、噂を聞きつけた区民ら十数名が、心配そうに見物に来ていた。不躾だと思った。そこには、木根淵もいた。私達を、馬鹿にするように見ていた。
「爆弾の規模は」大岩根が訊いた。「どのくらいだ。街はどうなる」
「……多分」内ヶ島が答える。「能崎の最終兵器っていうくらいだから、街ごと吹き飛ばすんでしょうね。毒ガスは、単なるブラフだったってこと。きっと、火力発電所に仕掛けようとしていたものも、同じ目的でしょうね……。本命ってことは、これだけがあれば良いのよ」
区民が騒ぎ始める。
「解除しろ」「頑張れ」「お前たちなら出来る」「逃げるな」「助けろ」。
その中にいた木根淵が前に出てくる。
「君たちなら爆弾くらい解除できるんだろう? お願いだ! 私たちを救ってくれ! そこで死んでるバカ学長が勝手に仕掛けた爆弾だ! 対崎くん! 君は、街を救う英雄になるんだ!」
「それは……」
そんなつもりに、どうしてもなれない。箭原も助かっている。
どうでも良い。なのに助けないといけないの? 私はまたこいつらの良いようにされて……。
「私達のためにどうか、頑張ってくれ! 応援はしよう! 君だって、街を失えば、困るだろう! 居場所がないだろう! もう一度、街に受け入れてもらえるように、私が宣伝をしよう! 地位を失ったが、金ならある。だから――」
箭原は、有無を言わせないで木根淵を殴った。
「いい加減にしてください」箭原は、区民に向かう。「対崎は、便利な道具じゃない。対崎は、私の契約者です。彼女の不利益は、私の不利益です。対崎にも私にも、街を救う理由なんかないです。働かせたいなら、報酬を出してください。それが出来ないなら……」
箭原は、私の肩を抱く。
「ここで一緒に、死んでくれるよね、対崎」
「……まったく」
勝手にそこまで言う箭原に呆れる。でも、それが私の、今の本心だったのかもしれない。
幸せになりたい。そんな忘れかけていた願いは、今、この女と、全てをかなぐり捨てて自由に死ぬことで、得られるような気がした。笑顔すら、私は顔に浮かべていた。
「あんたみたいな変人と、最後に知り合えて、光栄だったわ」
もう知らないっと。
街なんて。こんな区民なんて。
覚悟ができて、楽しみすら浮かんできたっていうのに、内ヶ島はそれを破った。
「対崎……お願い」彼女は深く、頭を下げた。「私はこの街を愛してる。あんたが嫌いな、この街を、この区を……あの団地を。あんたが、この街が嫌いなら、私はもっと良くしていきたい。私が変えたいって思ってる。だからチャンスが欲しい。報酬は、私が払う。だから……」
区民とは違う、まともな女がそこにいた。私を正当に扱う、この清くて美しい女が。
「……だってさ、対崎」箭原は言う。「その言葉、実は、私は待ってたんだよね。私、睡眠と食欲と、エッチなことと、あとお金には目がないんだよ」
「まったく、死ぬつもりだったのに、余計な仕事を」私も笑った。「まあ、でも、私なんかに出来るのかしら」
「えっと……」サードイヤーが言った。「多分……具体的な構造がわかれば、私が解体できると思う。機械には、強いつもり」
「指示をくれれば何でもしてやるよ」大岩根も被さった。「多川を殺すわけにもいかん」
「対崎なら」内ヶ島が手を上げた。「学長と同調してた時期が長いから、その眼で見たら?」
「と言っても、彼が死んでから、なんの声もしないのよね」
区長がいるとされる、端末を見た。ここに居る女が、狂ってしまったから、全てがおかしくなっていった。元凶だ、この女は。
睨む。〈背面にサブディスプレイ〉
何故か、情報が入ってくる。〈その裏側に、不自然な空間がある 端末の構造上、そこは余分なスペースのはず〉
ここに来たことがあったのか、学長の知識だったのか、
いや、私の、本当の観察眼だ。私の目は、真実として、探偵の目になっていた。
〈そこには起爆装置に繋がる配線が複数本ある〉
探偵心得。吉利先輩が書き残した著書に、そこにわずかばかり書かれていた記述だ。
このタイプの爆弾について、私は知っていた。
「…………見えたわ」
私は指示を出す。
言われたとおりに、箭原が背面を外す。大岩根が道具を使う。内ヶ島は、実際の配線を調べる。サードイヤーは、ニッパーで線を全て切った。
全て切り終えた時、殴られて倒れていた木根淵が、ディスプレイを見て叫んだ。
「はは! 見ろ! ありがとう! 爆弾は止まった! ありがとう! 君たちのおかげだ! 感謝する!」
木根淵は私に握手を求めてきたが、
私はその手を払った。
「くたばれバーーーーーーーーーーーカ!」
世界で一番楽しそうに、そんな言葉を私は口にした。
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