20話

 それから間も無く、一人の男が街中で保護される。

 行方不明になっていた、吉利先輩の秘書だった。

 心身ともに疲弊し切っていた彼が辛うじて口にした証言。

「あの日……事務所に吉利さんはいたんですよ。殺される前に……そのはずなんです。だって、指定の時間になったら、吉利さんのところに顔を出してくれって言われていたんです。それまで事務所の下で時間を潰してて……そうしたら、対崎さんが来て通しました。言われていた時間を過ぎたくらいで対崎さんが帰ったので、吉利さんに顔を見せに行くと、死んでいたんです、吉利さんが……。椅子の下に、倒れる様にして……。私は慌てましたが、とにかく探偵を呼ばないとと思って、通報しました。でも……おかしなことを言われたんです。すでに吉利さんは、議事堂で殺されている、と……。おかしいと思って、見間違いなんじゃないかとも思って、また二階に見に行くと、今度は死体が、消えていたんです。私、頭がおかしくなったみたいなんです。なんでそんな幻を見たのか、全くわからなかったんです。さらにそうしているうちに……玄関の方で、誰か複数人が集まって来てて……私はいよいよ身の危険を感じました。それで窓から逃げて……手頃な場所で息を潜めていました。その間も、ずっと吉利さんの死体が、頭から離れなくて、ねえ、助けて下さい。私は、おかしいんでしょうか? 狂ってるんでしょうか?」

 箭原の自宅。

 その証言の書かれた書類を、内ヶ島が直接私に届けに来た。彼女は死んだはずだった箭原を見ると、バカみたいな絶叫を上げて気を失いそいになっていた。

 書類を読んだ箭原は、呟く。

「……よし対崎。犯人の痴態を晒そう」



「それで……」

 私達の目の前には、能崎学長が、ソファに座ってくつろいで居る。

 ここは彼の自宅だった。箭原は、彼に吉利殺人事件の報告をしたいと申し出た。彼から協会へ報告してもらえば、手間が省ける、と箭原は考えたのだろう。自分が死んで蘇ったと言う説明は、学長には一切説明しなかったけれど。

「事件の真相がわかったていうのは、本当か?」学長は、まだ訝っている。「あの事件は、未だに手を焼いていてな。もっと複雑な事件なんじゃないかって思うよ。秘密兵器とも言える吉利がいないんじゃ、出せる切り札がない。対崎も、こんな調子だしな」

 皮肉げに私を睨んだ学長に、私は申し訳なく頭を下げた。けれどもう、頭の声がしない。

「順を追って説明しますよ」箭原は言う。

 学長は彼女の生きた姿を見て、始めは驚いていたが、なにか理由があるのだろうと汲んでくれたらしく、普通に接するようになった。

「この事件、対崎の言うように、確かに大した事件ではありません。適切に除外していけば、犯人は自ずと見えてくる。そうならなかったのは、対崎がこんな感じだからです。今の対崎に、推理は不可能。それは、私がオーパーツを使って、彼女の脳機能に損傷を与えたから。なのに、犯人の名前が自然と降ってきた。それを以前は観察眼がオートメーションで働いているからだろうと思っていましたが、実際には違う。それは、他人の意識が流し込まれていたにすぎない」

「どういうことだ?」

「オーパーツの仕業でしょう。対崎の頭に、自分の意識を流し込んでいた。その人物を選ぶのが、学校で行われた投票。そして養育プラン。その養育の正体は、そうやって、意識を無理やりに染めていく計画のことです。だから、対崎が犯人がわかったと思いこんでいたのは、意識を流し込まれたから。今までの現場で、そんなことはなかったのに、今回に限ってなんでそんな事が起きたのか。答えは明瞭です」

「なんだ」

「意識を流し込んでいる人と、吉利殺しの犯人が同一だからです」箭原は言い切る。「犯人は、嫌疑を草叢さんに逸らせたかった。それに対して、最も都合がいいのは、対崎ありえです。まあすぐに冤罪ということがわかってしまいましたが、あの対崎ありえでも困難な事件として、後進の担当者は引き受けることを拒み、今はもう、ロクに捜査もされていない」

「そうだ。容疑者である、私のもとに今は回ってきているくらいだ。私も、現役を退きはしたが、探偵だったという事実はあるからな」学長は唸った。「なら、きっと……木根淵の奴だな。あいつが犯人だ。奴は、偽証で草叢を追い込んだという事実がある」

「木根淵さんの現状を知っていますか、学長」箭原は邪魔そうに髪を触った。「会社での地位を剥奪されて、酷い状態です。その理由は、吉利さんに頼んでいた、オーパーツのテストのデータが取れなくなってしまったから。犯人であれば、自らの信じられないほどの不利益を被って犯行に及ぶとは思えません」

「じゃあやはり草叢か? あの女は第一発見者だ……きっと、一度疑われてからそれを払拭すれば、犯人扱いされることはない。それを狙ったのか」

「彼女だって、インフラ担当大臣の地位を追われてますよ。吉利さんに、調査の依頼をしていました。それが進まなくなったことが原因です。怒って、学校に殴り込みに来たって話じゃないですか。吉利を殺すのは割に合わないです。好んで議事堂での地位を失う人間はいません」

「残されたのは、箭原、君の父親だが」

「お父さんだって、吉利さんに依頼をしていましたよ。社内の、自分に対する抵抗勢力を調べてほしいってね。それがうまく行かなくなって野放しになったから、今、お父さんは無職です」

「……区長か?」

「区長は人間ですらありません。知っているでしょう」

 なら、犯人なんて、もうひとりしかいないじゃない。

「吉利さんは、あなたに恨みを抱いていたらしいですね」箭原は、そのまま、話を続けていく。「吉利さんも、投票で選ばれた人間でした。櫛谷さんが、投票してしまったことを悔やんでいたらしいです。吉利さんは、投票によって人生を捻じ曲げられ、決してフォーゲットなんて汚れ仕事をさせられるハメになってしまった。だから投票を実施した、学校を恨んでいます」

「まあ、そのことについて、言い訳はできないが」

「つまりあの日……事件の時、本当に狙われていたのは、あなただったんです、学長」

 能崎学長は、それでも平静を保って、箭原を見る。

「その時点で他の容疑者は消えます。吉利が殺意を向ける人間が、あなたしかいないからです」

「ふん……詳しく、説明してもらおうか」

「別に、簡単な事件だって言ったじゃないですか」箭原は笑った。「吉利さんはあなたをここで殺そうと計画をしていました。その根拠は、怨恨と、彼女がレンタルしていたという肉体を投影するというオーパーツ。あの日、殺される直前の彼女に、彼女の事務所で対崎は会っています。議事堂と事務所の距離はそれなりにあって、事務所から死亡時刻に議事堂に行くなんて言うのは不可能です。よって、事務所にいたのは投影した虚像、本物は議事堂にいたと推測出来ます。何故そんなことをしていたのか? 目撃証言が欲しかったからです。仮にあなたが殺されていた場合、吉利さんは私は事務所にいた、と言い逃れをするためです。事実、指定の時間に秘書に自分の所に来る様に伝えていました」

「…………」

「あなたはきっと、休憩時間に会議室に残る様に吉利に呼び出されていた。どんな話をしていたのかは分かりませんが、それで殺されると察したのでしょう。吉利も殺すつもりでしたが、邪魔が入りました。それは、対崎です」

 私。

「秘書よりも前に、対崎がアポイントメント無しで訪問してしまった。あのオーパーツは、投影先の様子を把握できます。対応しないわけにいかなかった吉利は、平静を装って対崎を応対します。対崎には会話が聞こえていたらしく、電話をしてたなんて言い訳をして。その隙にあなたは考えた。あなたは、吉利を殺すことにしました。応対で隙だらけだった吉利を、あなたは殴り殺したんです」

 学長…………つまり犯人の能崎は、舌打ちを漏らした。

「オーパーツは」箭原が指を差した。「そのずっとつけているゴーグルですね。それをつけている間、対崎に意思を送ることが出来る。具体的な条件は不明ですが、対崎にその存在を気取られてから効果が薄くなっていることを見ると、そう万能でも無かったみたいですね」

「……そればかりではない」能崎が、口を開く。「対崎の視界と聴覚がここに投影されているんだ。私に今見えているのは、椅子に座った私の姿だ」

 あの時、学長のゴーグルを盗み見た時に、それを通して見る景色が私のものと変わらなかった理由を知った。私の視界を得ているに過ぎないから、それはそうだった。

「投票の後」箭原は尋ねる様に言う。「対崎に手術か何かを施して、そのオーパーツの子機を植えつけた。対崎がどうして投票やその施術のことを覚えていないかというと、あなたの認識で上書きしたから。別に、大した記憶ではないと」

「ああ……」頷く学長。「今までの事件でも、私が手を貸していた。犯人に明確に対崎を導く様に、私の感覚や印象を投影させていた。そうして出来たのが、最近までの対崎の地位だ。お前が、余計なことをするまでは、それで上手くいっていた……。推理能力を失った対崎だったが、今度は私の印象を、観察眼だと捉える様になった。それで一安心したが、以前よりは苦労した。おまけに、推理をお前がやるようになったから、気を遣ったもんだ。殴打事件ではお前が犯人だと言うことはわかっていたが、それを裏付ける証拠も見当たらないばかりか、お前が変な方向に誘導していった」

「養育プランっていうのは、全員あなたがそのオーパーツで施してたわけですか?」箭原は睨んだ。「姉さんも……あなたが同じように?」

「ここ数十年は、私が担当していた。区長が、私にそう命じたからだ。君の姉さんは、優秀で扱いやすかったよ」

「学長…………」

 私は、口を開いた。そうして、背中に隠していた、志鷹の持っていた物騒なオーパーツを、学長に向けた。協会から、盗んできたものだ。

 これを使えば、私だって、この男を、殺せる。

「どうして……どうして吉利先輩を、殺したんですか」

「あれは私に自殺をするように促してきた。あの日、私を脅してきたんだ。ここで自殺をしろと。その理由を訊くと、私の非合法な行いを、何処で調べたのか延々と話し始めたよ。どれも真実だったがな。そして私に毒物を差し出した。このことを公表されたくなければ、死ねと言った。私はそんなものに従う気はなかったが、この女が何を仕出かすのか、その後が怖くなった。逃げれば、もっと別の人間や……区長に手を出すと思った。ここでこの女を止めなければ。幸い、私には対崎がいた。吉利を失っても、代わりはいる。その損得を計算しているうちに、吉利が急に独り言を言い始めた。これはオーパーツを使って、別の場所と会話をしていると思った。その隙を見て、殴り殺した。ありがとう対崎。君がいなければ、私は殺されていた」

「ふざけないでよ」私は、歯ぎしりをした。「あんたのために……私は……」

「殺した後、大した細工も思いつかなかった。状況は完成されていた。こんなことだから、吉利は、事務所の方で目撃証言を作っているだろうと思った。ならば、それよりも前に、議事堂で彼女の死体を発見させなければならない。考えた私は、まず、草叢に罪をなすりつけようと思った。大した理由はない。彼女の事務室への鍵を開けて、それから会議室入り口の鍵を中から掛けた。そして吉利の死体を、見つけやすいように、区長席の机の上に、儀式みたいに置いた。そうすることで、発見されやすくなるからだ。残ったのは、私だ。取れる手段は、殆どなかった。私は、まず部屋に入ってきた草叢は、吉利の死体に目をやると思った。しゃがんで、机の下に隠れていた。入り口の近くでな。そして草叢が騒ぎ始めた頃合いを見て、入り口の鍵を開けて、扉を開いて、何事だ、という顔を浮かべながら、会議室に現れた体を装った。それだけの話だ。窓枠の手形については、君との同調が、箭原を失ってからうまく行っていた。だから、本気で思い込めば、そう言った幻覚を君に見せたり、犯人の名前を直接送ることも可能だった。まあ、箭原以前には出来ていたことだがな……」

「…………クソよ」私は、呟いた。「吉利先輩だって、あなたを殺そうとするような問題のある人間だったとしても、全部あんたが招いたことじゃない。あんたに正当性なんかない。他人の頭を、勝手にいじるような外道よ」

「養育プランは、次世代のオプティマイズド探偵と、同時に決してフォーゲットを作るためのプランだった。優れた探偵は、優れた犯罪者でもあるからな。これも、区長が決めた政策だ。私は、それに従っているに過ぎない」

「じゃあ」箭原。「区長が悪いっていうの? なら叩き壊しておいたほうが良かったね」

「区長に手を出すな」

 学長……能崎は、立ち上がって、懐から拳銃を取り出した。

「銃なんか、私に通じると思ってる?」

「黙れ。動くな。これからお前たちの処遇を決める」

 箭原は話し合いを蹴って、駆ける。制圧するつもりだ。

 能崎はそれに反応し、引き金を引いて、銃を撃った。

 閃光。箭原はその弾丸を、義手で払う。

 それから床を転がって、能崎の足元にたどり着いて、足首を掴んだ。

 なのに、何も起きない。

「……なんか着てるな」と呟いた箭原。

「お前の義手の機能は知っている。スタンガンが埋め込まれていることもな。絶縁体を含んだ服にしていて良かった」

 足元へ能崎が発砲。

 箭原は能崎から手を離して、弾を手で受けた。そこから流れる動作で、義手の肘を突き出す。

 能崎の腹部へ。

 だが、能崎はその肘を掴んで、自分の方へ手繰り寄せた。

 箭原の身体が起きる。

「義手の構造も知っている」

 そのまま銃を捨てて、箭原の肩先を掴む。力を込めて捻りながら、箭原の肩は引っ張られる。

 変な音が鳴った。呻いて、箭原は床に崩れた。

 服の上からでもわかった。義手が、身体から外されていた。力をなくして、彼女の腕は垂れ下がっていた。

「……痛いな。高いんだぞ、この腕」箭原は腕を押さえて言う。その間も、腕を装着しようとしている。

「対崎」

 能崎は、銃を取って箭原に向けた。それから興味を失ったように、私を見た。

 もう一方の手には、なにかのリモコン。それを、躊躇いもなく押す。

「これは、街に毒ガスを散布するスイッチだ」

 ――。

「止めに行くには、全ての装置のところへ行き、直接解除するしか無い」

「なんで……そんなものを」

「この街には、私の都合の悪い実績が積み重なりすぎている。ここまで辿り着いたのは君たちが初めてだが、そういう奴らが現れたときのための備えを今行使した」

 じゃあ、箭原を見捨てて、こんな下らない街の住民、大岩根、サードイヤー、木根淵、そしてうちの祖母みたいな……クソみたいな人間のために、箭原を見捨てろと?

「は……」箭原。「火力発電所への爆弾テロ未遂も、あんただったってわけね……」

「ああ、そうだ。備えをしようとして、草叢に見つかっただけの話だ」

「……対崎」箭原が、私も見ないで言う。「あなたがここにいたって、何も出来ないでしょ。そのオーパーツを使っても、この男には多分、あなたは勝てない。行って。街の人が犠牲になったら、あなたはそれを背負わないといけない。重いよ、対崎には」

「嫌よ!」

「対崎、お願い。私なんて、もう死のうと考えてた人間だから。これは、数の問題」

「嫌……」

「じゃあ、私のお父さんのために」

「…………卑怯よ、そんな名前出すの」

 私は、私は……

 箭原達に背を向けて、その場から走り去る。

 嫌だった。嫌だったのに。嫌だったけど、

 ああ、どうして。どうして私は、あんな下らない夢のことを思い出してるんだろう。

 街の人を守りたいだなんて、どうしてまだそう思ってしまうんだろう。

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