19話
「こちらです」
拘置所。霊安室。担当者に案内されて、むざむざと、私は箭原が押し込められているという死体保管庫の前にいた。
担当者は、私に心の準備だとかの確認も取らないで、その引き出しみたいな保管庫を引っ張って中身を露わにした。
箭原ノノコは、確かにそこで、眠るように目を閉じていた。服は、前に会った時と同じだったし、義手もそのままだった。どうしてこれを見て、死んでいるなんて判断がつくのか、不思議でしょうがなかった〈受け入れろ〉。
寝てるだけなんじゃないの?
「……ねえ」私は箭原から目を離さないで、担当者に言った。「二人だけにしてもらっても良いですか」
「わかりました。済みましたら、そのまま出入り口に来て下さい」
担当者は簡潔にそれだけ言い残して、私と箭原だけを部屋に残して消えた。
箭原を見つめる。人違いかと思ったが、これほど綺麗な顔をする女なんてそうはいない。私の好みじゃないけど、それは本当だった。
「……箭原」
涙は枯れるものではなかった。
「どうしたのよ……何があったの……ねえ……」
ひたすら泣いた。そうすることで気が晴れることは、経験則と生物学的な知識が知っていたけれど、一向に私の悲しみは晴れそうになかった。
どうしてだろう。別に恋愛的な意味で好きな女でもなかった。私を殴った真犯人である可能性すら浮上していた。
なのにこの感情って、なに?
頭の声が、どうしてこう言う時は静かになるんだろう。
気を紛らわせてほしい。もう殺してほしい。夢も、愛も、人に対する信頼も、もう私には何もない。死んだってこの女みたいに後悔もないだろう。
箭原との契約だって終わってないのに、なんで勝手に死んでるの。
義手に触れる。
〈あれを開ける〉
その時に、頭の声とは別の何かが聞こえた気がした。
なんだ?
〈上着のポケット〉
私の上着のポケット。直感的にそう思う。
この女から、私がもらったもの。
そしてこの女の義手に備わった機能。
思い出して来た。箭原。あんた、まさか。
――蘇生可能な
イヤリングを取り出す。じっくりと眺める。〈可愛げがない形のイヤリング 細工がしてあるらしく、蓋のようになっている部分があって開く〉
私は、蓋に力を込めた。本当に開いて、そこには透き通った液体がたっぷりと詰まっていた。
これに違いない。だって私が、彼女から貰ったものは、これしかないから。
――仮死薬とかね。
それを箭原の口に突っ込んで飲ませる。
すると、
ああ、彼女の瞳が開いていった。
「…………対崎」聞き慣れた声が、彼女の口から、涎みたいに漏れた。
「箭原……」
「……うーん、どうやら、死ぬのに失敗したみたいだね」
私は、黙ってそのまま箭原の腹を殴った。
「ぐえ、なにすんだよ!」
そうしてしばらくの間、私は箭原の腹部に顔を押し付けて、泣いた。
ようやく落ち着いた(まあ正確には、それほど簡単に全てのことを処理できる情緒ではなかったのだけれど)私は、今目の前でのほほんと座っている箭原から、詳しい話を聞いた。同時に、私がこれまで経験した状況も彼女に教え込んだ。殺人事件から、冤罪から、没落までを。
「まあ、なんて言うか……死のうと思って、仮死薬を飲んだんだよね。蘇生薬を飲まないと、そのまま死ねるわけだし、これはちょうど良いやと思って」
「……なんで死のうとしたの」
「そりゃまあ、もう生きる理由がないんだよね」そんな重苦しいことを彼女は平然と言った。「言ったでしょ? 姉さんが殺されてから、もう私は狂ってたって。それで、同じ犯人に殺してもらうことを目標に、適当に生きてたんだよ。で、ついにその犯人である決してフォーゲット、つまり吉利を突き止めて、繋がりがある多川を脅して呼んでもらおうとしたけど、なんか私が捕まっちゃって。挙句にその吉利が死んだって言うじゃん。ああ、もう生きる理由無いなって思って、死のうとした」
「……バカよ、あんた」
「でも狂ってるなりに思い出したことがあって」
箭原は私を見た。綺麗な顔は相変わらずだったが、死に顔の方が、キスぐらいはしても良いくらいに魅力が無かったわけではない。
「対崎に、保険として渡してた蘇生薬をのことを思い出して。こんな状況になったら、牢屋か出るには、死ぬのが一番早いなと思って渡してた。対崎が……ここまで辿り着いて飲ませてくれるのは、ちょっと難しいかもしれなかったけど、無事にこんな結果になった」
「死ぬ確率と私が助ける確率、どっちが多いと思ってたわけ?」
「百パーセント死ぬと思ってたよ」なははは、なんて箭原は笑う。「いやあ、まさか生き延びちゃうなんてね」
私は、彼女の手を取る。願うように。
「箭原。お願い。あんたに頼るしか無いの。死ぬのは、それからでも十分だと私は思う」
「対崎の評判がガタ落ちになってることは聞いてる。それを挽回させたいの?」
「違う」私は首を振る。「真実を知りたい。もう……評判なんて、どうだって良いの。今は、内ケ島に協力してる。彼女、仕事を私達に手伝ってほしいんだって」
「あの内ヶ島がね……」箭原は、視線を逸らせた。「これは想像なんだけど、私が対崎を殴った犯人だって知ってるよね」
「う、うん……」
「まあそれは想定内。私が死ぬと、お父さんが対崎に連絡を入れると思ってた。そうなると、きっと私の家の遺品整理に対崎を呼ぶと思って、わかりやすく、それらしい説明書を置いておいた。対崎は推理出来ないから、私が犯人という説までは辿り着かないだろうけど、内ヶ島がきっと、対崎に協力してくれていると思ってた。だってあいつは、きちんと評価されている対崎を正面から潰したい変態だから、今の状況はあいつ好みじゃない。内ヶ島だって探偵志望だから、あのオーパーツの説明書を見せれば、私が犯人だって真相に辿り着くと思ったの」
「……概ね合ってるけど、残念ね」私は箭原の先見を恐ろしく思いながら、言う。「その前に、舞美がゲロった。内ヶ島と拘置所で面会した時に」
「あー、そっちか。それは考えたけど、誘導は出来なかったから捨てたんだよね」
「そんなのはいい」私は箭原に詰め寄る。「なんで私を殴ってオーパーツを使ったわけ?」
「……見ていられなかったんだよ」
同情のような視線を、舞美にも浴びせられたこともあった。志鷹にも。吉利に対して櫛谷が向けていたこともあった。
「姉さんが、同じ境遇だったから。対崎も姉さんも、他人の手で無理矢理に養育を施されて、異常に持ち上げられて、それが、かわいそうだった。きっと……姉さんみたいに、干からびて、都合が悪くなったら殺されるんだろうなって思ってたから。なんか、助けたいなって思った」
「なんで推理力を奪ったわけ?」
「対崎が、人に良いようにされてるってのがわかったから」箭原は、拳を握った。強く。「ずっと、見てたもん。憧れだった、あなたが。目立たなかったけど、堅実で、何より見ているところがわかりやすかったから、よく参考にしてた。こんなに持ち上げられてから、おかしいって思ったんだよ。誰かの意識が介在してるって言うのは、姉さんもそんな様子があったから、なんとなくそう思った。だから、気に入らなかった。私の……憧れを好き勝手にされて」
心臓が、跳ねる。この女が、私をそんな風に見ていたなんて、まるで気が付かなかった。
「だから……」箭原は続けた。「推理力に限らず、頭の機能に損傷を与えれば、そんな養育から逃れられるんじゃ無いかと思って、舞美と共謀して、そうした。コンクリート片が凶器なんていうのは嘘だよ。私は、この義手で殴った。その方が一番早かったから。それからオーパーツを使って……脳機能を損傷させた。推理力がピンポイントで無くなることまでは想像してなかったけど。とにかく、私が犯人なんだよ、対崎」
「……やり口が強引なのよ」そんな事実を聞いて、私は呆れた。「結局……観察眼だと思っていたものは、他人の意思だったの。今までの情報も……全部その意思が導いたに過ぎないんだわ。今も……観察眼じゃ無いって気づいてから、ずっと……鳴り止まないの、頭の声が……受け入れろって、言い続けてくるの。狂ってしまいそう……」
「その声が、きっと犯人だよ」
「犯人……?」
「吉利先輩を、殺したのはその声だと思うよ。私はそう思ってる」
「ど、どうして……」
「まあ、それが誰かはわかってないけどね」
箭原はようやく立ち上がった。その姿は、さっきまで死んでいたとは思えないくらい、いつもの見慣れた箭原だった。
「……死ぬのは保留にする。あなたとの契約はまだ残ってるわけだし、報酬もまだだからね」
拘置所の外に出るのには苦労した。まず霊安室の外で待っている担当者が箭原のファンだ、と彼女が言うので、彼女に説明をしてもらった。担当者は、箭原は死んだものと思っていたので、当然のように顎が外れるくらいに驚いていたが、箭原は拘置所には黙ってくれと頼んだ。彼は頷いて、私たちを外へ案内した。
箭原は当然そのまま歩き回るわけには行かなかったので、担架に乗せて、上から布を被せて息を止めてもらった。それから人の少なそうなルートを取って、拘置所の外へ辿り着いた。
箭原がシャバで、最初にしたことは、父親への連絡。ごめんやっぱり生きてました、なんて娘から電話が掛かってくる気分って、どういう感じなんだろうと疑問に思っていたが、箭原父は安堵こそすれど取り乱すことはなかった。箭原は、(私が指導した通りに)ごめんなさいと付け加えた。
そうしてから考えることは、次の方針だった。
箭原は、気になっていることがある、と言う。
「区長だよ。彼女を容疑者から除外出来ないと、犯人が誰かなんて断定は出来ないよ」
「区長なら、確かずっと議事堂にいるって、学長も言ってたわね」
「なら決まった。議事堂に忍び込もう」
そんな簡単に行くものかと思いながら、私と箭原は議事堂に向かったが、箭原の義手を持ってすれば、あらゆる場所の侵入なんてそれほど難しいものでも無かった。なにせ、力はある、伸縮する、鍵を開けられる、という狂ったような高性能ぶりだった。それだけの機能が揃っているというのに、懐中電灯の類が搭載されていないので、私が持っていた物で辺りを照らした。
議事堂内部に人はいない。もう夜中だった。いつもなら眠っている時間だったが、箭原の方はさっきまで死んでいたのが効いているらしく、あくびひとつ漏らさなかった。
区長室、と書かれた部屋は、二階の奥まったところにあった。分厚くてやや荘厳なドアを、箭原は躊躇もしないで解錠した。
「開けるよ」
「うん……」
流石に、区長はこんな時間にいるのだろうか。
いたとすれば、どう対処すれば良いのか。話し合って、ついでに事情聴取をして、それで綺麗に別れられるのか。箭原って、そこまで考えていたのかしら。
疑問に思ったが、そんなものは杞憂に終わった。部屋に存在したのは、電源が入ったままの、巨大なコンピュータのみだった。人間の姿は何処にもない。巨大な円筒形の本体が天井まで聳え立っていて、その手前にはモニターが三枚、操作用のキーボードが二つ。それらの後ろに、人間より大きな本みたいな機械が無数に並べられて部屋を覆っていた。
機械の匂いしか、漂っていない。ここには、どう見てもそれしか無かった。
「対崎」箭原も面食らったように尋ねた。「これは……」
わからなかったが、私は中へ足を踏み入れて、異常に吸音性の高いカーペット状の床に体重を乗せて、その機械に近づいて、キーボードを触る。
画面が光った。文字。
人工古殿システム。
「これ……」
はっきりとはわからないはずなのに、何故か頭は理解している。
〈受け入れろ〉
「区長……ここにいたのね」
ここにあるのはきっと、区長の人格をコピーした人工知能だろう。画面を見て、それは間違いないと思った。
「人工知能……?」箭原は驚く。「じゃあ、私たちがよく知ってるあの区長の写真は誰なんだよ。生前の区長だって言うの?」
「多分、そうだと思う……」
そう、きっと区長は、もう既に死んでいる。だからこんな機械……おそらくはオーパーツなんだろう超文明的な物体の中で、人工知能として生き延びている。
そうしているうちに、画面に変化が現れた。メッセージウインドウに、文字が浮かんだ。
『何の用だ』
これ……
「く、区長からのメッセージだ……」私は狼狽えた。まさか、こっちの声なんかを聞かれているとは思わなかったからだった。「どどど、どうしよう……」
「いいよ、対崎」箭原は首を振って、見上げた。「機械の言うことに付き合ってられないよ」
箭原は、そう言ってから私に指示を出す。この機械の中のデータを調べてくれと。
私は言われた通りに、表には出てこないであろう情報を探した。その間に、区長は止めろ、見るな、だとか話しかけて来たが、無視をした。
区長の下してきた命令の数々。決してフォーゲットの殺人司令は区長から発信されていたこと。そのターゲットは、民衆が悲しみ、一丸となる対象が殆どだった、ということ。決してフォーゲットの目的が、そう言った団結を促すことによる治安維持だったこと。区長はそれを進んで行っていたこと。
など。
眩暈がするような、事実の洪水だった。
箭原は、はは、と笑ってから、そうして呟く。
「姉さんって、そういう人だったよ、確かに」
「…………」
「対崎。叩き割ろうか、この区長の名を騙る機械」
「それは……」箭原の気持ちを考えれば、一概に否定も出来なかった。
もう、こんな人工知能は、狂ってしまっていた。おかしなことばかりな上に、おかしくなった私たちが、辛うじて生活していたのが、この区の正体だった。
「嘘だよ。冗談。また機会があったらで良い」箭原は機械から踵を返した。「とにかく区長は容疑者から除外出来る。こんな女に、吉利先輩は殺せない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます